jujutsu
name change!
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彼が何時、私のもとを訪れるかなんて、知る由も無かった。粗雑に扱っているのであろう、傷だらけの携帯電話を通して事前に連絡が寄越される時もある。盗聴器なりが仕掛けられているのではないかと疑いたくなるようなタイミングで、ふらりと来訪する時もある。出会いの切っ掛けは最早覚えていないが、向こうの都合でしか逢瀬が叶わないのは、初めからの事であった気がする。
彼が私の部屋でする事は元より決まっていたし、する事をしたら帰るのも変わらなかった。実に淡白な関係であった。私は彼にとって都合の良い女で、只の捌け口で、それだけでしかない。そこに愛なるものは介在していない。わかっている。それでも、彼のひと時の寄る辺となれている。刹那だけ与えられるその傲慢は、獰猛な獣の背を撫でる様に刺激的で、毒々しい迄に甘やかなものであった。
――なのに。
「私、」と切った口火は、いよいよ燃え尽きようとする蝋燭の灯かと言う具合にゆらゆらと激しく揺らめいていた。「私は、」。唾を飲み込んで気を取り直そうとも、この心を反映するのでは、か細いばかりとなるのは必定であった。
「売国だって、国家転覆だって、何だってやってご覧に入れましょう。何だっておそろしくは有りません。」
「ご大層な事じゃねぇか。俺は興味ねぇけど。」
そうは言っても、只の小娘では、口にした全てが適う程の権力も暴力も勿論持てやしない。私の持ち得る力と言えば、親の脛を囓って与えられた金の力が精々である。大言壮語と言われればそれ迄だが、気持ちは真実であった。だが、それ程の大口を叩いても、彼の気を引いて身支度の妨げとなる夢は、僅かたりとも叶わないのだ。
縺れ合った残滓とぬくもりとが生々しく残るシーツを置き去りに、遂に彼が立ち上がる。嗚呼、行ってしまう。戦慄く唇を噛み締めて気付け、途端に他人然とした広い背中に向けて吐露する。
「また、会えますか。」
「さてな。」
「会いに来てください。如何か。」
「気が向いたらな。」
至極面倒臭そうに応えている間も、その歩みは止まらない。「私――」。言い募ろうとしても、もう遅かった。部屋の扉が、ばたり。音を立てて閉まり、彼と私を隔てた。間も無く、遠くから玄関戸が開いては閉じる音が届いた。それは別れの挨拶の様に聞こえなくもなかったが、だとすれば、感傷の所為に違いなかった。
結局、最後迄、彼は一顧だにしなかった。冷たくなりゆくシーツをなぞる。彼の痕跡を掻き集める様に、そっと。
「私、貴男に嫌われることだけが、唯一、おそろしいんです。」
愛なんてそこに無くっても。ついぞ言えなかった言葉を呟いてみる。空虚なものだと思った。彼に面と向かって言ったら、果たして、何と答えただろうか。愚かな女だと嘲笑うだろうか。「何で好かれてる事が前提なんだよ。」と邪に嗤うだろうか。それとも、向けられた好意を出しにして、残りの財産の全てを持ってゆく? 簡単に想像が出来てしまう。どれでも良かった。冷え切ったシーツを握り締める。涙も慟哭も出て来なかったが、胸からはなにかが零れ落ちてゆくようだ。
彼はもう、此所には来ない。そんな確かな予感がしていた。
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