jujutsu
name change!
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遠くで大量の爆竹が爆ぜたかと思ったものだが、それは急速に此方に近付いて来るではないか。
板張りの廊下の途中で立ち止まって、音のする方向にじいっと注意を向ける。階段下から、だろうか。けたたましく、床が抜けそうな程の過激さで鳴り渡る騒音が、瞬く間にこの二階へと駆け上がって来る。 来た。
「悟さん……?」
そう。掻き鳴らしていたのは、ようく見慣れた白髪頭の持ち主であった。こうも走っている姿は珍しいが、如何やら、猛スピードを出す足音はもう一人分あるようだ。
詰まり、彼は何者かに追われているのだろう。
物々しいセッションの邪魔をしてはならない。巻き込まれないように脇へと飛び退こうとしたが、私の影を見とめた悟さんが名前を呼ばう。「夢子!」。すると、如何だ。自動車の前に飛び出した猫宛らに、身体はびたりと硬直してしまった。駄目押しに、「その儘!」との指示が飛んで来る。咄嗟に足を踏ん張る肉体は確かに私の持ち物である筈なのに、素直過ぎやしないだろうか。棒立ちとなったこの身に向かって手が伸ばされる。努めて速度を殺さぬよう、掬い上げる形で私を抱き上げると、彼は更に廊下を走った。
揺れる。揺れる視界を占領する、悟さんの容貌、白い髪。何時もよりもずっとずうっと顔が近いなあ。お姫様抱っことはこんなにも密着するものなのか。いきなりの事に付いてゆけずにぼんやりとする意識。無遠慮に気付けたのは、頬を叩く風であった。
「――何で!?」
「そこにいたから、つい?」
つい、で持ち運ばれるようなものなのだろうか。人間とは。異を唱えるべく視線を遣ろうとも、甲斐は無かった。受け止められる事が無かった為である。首を巡らせて背後を顧みた悟さんが、「うわ。」と実に不穏な声を上げる。
「夢子、結界張って。早く!」
「え、ええ?」
訳の一つもわかっていないが、言われるが儘に、得意とする結界術の一端を開帳する。彼の軌跡へと展開したそれに、何か、鋭利なものが非常に攻撃的な音を立ててぶつかった。額に冷や汗が吹き出る程の剣呑さだ。
悟さんの肩に手を添え、身を乗り出して恐々と覗いてみる。結界が阻んだのは、如何やら、槍の形をした呪具のようであった。敢えなく弾かれたそれは、しかし、床から高くバウンドしている所を見るに、相当の殺意を込めて力一杯に投擲されたのであろう。危うく、串打ちされる焼き鳥の肉の様になる所だった。間に合って良かった、と息を呑む。
憤怒に燃え滾る投手の姿を映すよりも早く、耳を貫いた、「避けんな、バカ!」との怒号。そこから、追っ手が誰なのかが察せられた。じっとりと悟さんを見詰める。
「真希さん、物凄く怒っていますけれど。一体何をしたんですか。」
「屠坐魔を借りていたんだけど、色々あって壊れちゃってさー。それがバレちゃった。」
てへ、と茶目っ気たっぷりに笑ってみせるが、笑い事では無いだろう。何と言っても、彼女は呪具を主力として呪霊を祓うのだから、その重要性は推して知るべしだ。
「ちゃんと謝ったんですか。」
「勿論。誠心誠意。」
「貴男の言う、誠心誠意、とは。具体的には?」
「こう、眼帯を外して――」
「わかりました。成程。納得しました。」
悟さんと真希さんは教師と教え子の関係ではあるが、敬意を持たれているとは決して言い難い間柄だ。
それを抜きにしても、彼女の気性を考えれば、偏差値が高いだけの顔面を引き合いに出された所で、それが何だと言う話になるのも無理からぬ事だろう。何よりも、彼の事だ。有無を言わせぬ筈の美貌が丸で通用しない真希さんに、要らぬ一言を言ったであろう事は、明白であった。
燃え盛る火に油をガロンで注ぐ真似は止した方が良いと思うのだが、注いでいる事を自覚しているのかすらも怪しいのでは諌めようが無い。
一先ずは、「そう言う所ですよ。」とだけ小言を漏らすのと、悟さんが廊下の先の階段に足を掛けるのは同時であった。その長い脚を活かして、二段、否、三段飛ばしで軽快に上ってゆく。ゆくのだが、私はと言えば、二階分にも渡る激しい上下運動に、いよいよ三半規管がやられ始めた。彼の腕の中で小さく手を挙げる。発言権を求めてから、提案に見せ掛けた懇願をする。
「あの……私、もう下りても良い頃合いではありませんか。」
そう尋ねてみた所で、悟さんの手からは一向に力が抜ける気配が無い。それが答えのようであった。
あっと言う間に最上階の廊下に出ると、彼は殺意に奮い立つ足が奏でる音楽を背中で聞きながら、右を見て、左を見て、正面の窓を見て。私を見下ろすと、冗談なのか本気なのかわからないさまでからからと笑った。
「そうつれないこと言わずに。この状況、駆け落ちしてるみたいで楽しくない?」
「ないですね。」
「遊び心がないなぁ。」
即答で返すと、幼気な子どもの様に唇を尖らせるのであった。
真希さんは一つ下の階の階段に差し掛かる頃だろうか。足音がより大きく反響している。その勢いを追い風とするようにして、悟さんは飄々と窓に近付く。手を空ける為にであろう。片腕で抱き直された。男のひとの力は強いなあ、などと暢気に考えていられる暇が有るならば逃げれば良かった、とは予約済みの後悔だ。
自由になった片手で窓を開け放つと、再度、お姫様抱っこが続行された。今度は、「手、首に回して。」との注意付きであった。犇々と、嫌な予感がする。
「これくらいの高さでも吊り橋効果って出るのかな。」
窓枠に脚が掛けられる。嘘だろう。自分の頬が引き攣るのを感じた。
横目で確認した地上四階からの景色は、高過ぎると言う程高くはないが――一般的な人間は空を飛べないのだと警告する脳味噌が、うなじの辺りをざわつかせる。言われた通りとは行かなかったが、思わず肩先にしがみ付くと、悟さんは意地の悪そうな角度で口角を吊り上げた。
「折角だから試してみよっか!」
「いや、いやいや、い――」
ひょい、と。
軽々に一線が越えられた。
途端に広々とする視界。ぎう、と固く目蓋を閉ざした。悲鳴が声帯で縺れる。内臓が浮き上がる一瞬の感覚は、絶叫系マシンに乗った何時かの記憶を思い起こさせた。
――すっかり忘れていた事だが。当然の事だが。二人揃って地面に衝突、なんて事にはならなかった。
緩やかな着地を知らせる靴音が耳に触れる。次いで、喉で笑う声に目蓋を撫でられた。振り払う様に持ち上げる。
「どう? どきどきした?」
「……動悸はしています。一発、殴りたくて。」
「これくらいじゃ騙されないか。それじゃ、次はもっと高度を上げよう。」
次の機会なんてあって堪るか。眉間でそう語りながら、無言で障壁を張る。それを合図にして、悟さんが駆け出す。
接触面で派手な音を散らしながら、ふた度、人並外れた膂力で射られた槍を退けた。
「晴れときどき槍って天気、あるもんだね。」
「笑っている場合ですか。」
躊躇の無い動作であった。ターゲットの後ろ姿を見付けた真希さんが、槍を追うようにして、同じく四階の窓から飛び降りるのが視認出来た。ちらりと見ただけだが、それでも気が重くなるには十全だ。鬼の形相、と言うのは斯様な面貌を言うのであろう。そう言う顔を真希さんはしていた。
「私はもう下ります。その辺りの物陰で下ろしてください。」
「ノリが悪いな。」
「ノリで命を捨てられる程、酔狂では有りませんよ。」
「まさか。真希だって命までは取らないでしょ。」
だとしたら、再三に渡って狙いを澄ませて来たあの槍はレプリカだとでも言うのか。落下地点で回収せしめた彼女の手の中で、壊された呪具の仇の血を吸いたそうにぎらぎらと輝いて見えるが。
「それに、今、ここで下ろすなんて悪手でしょ。夢子の足じゃあ真希からは逃げられない。人質に取られるだけだから却下。」
「人質って、何の謂れがあって。」
「さっき庇ってくれたじゃん。グルだと思われててもおかしくはない。」
「それは成り行き上、仕方無くでしょう。」
「その辺の事情なんて向こうは知らないよ。」
酷い言い掛かりだ。私はただ、廊下を歩いていただけだと言うのに。
「だから、ほとぼりが冷めるまでこの儘で待った方が、逆に安全じゃない?」
「……それは何時冷めるんですか。」
「さあ? 真希に訊いてみ。」
顎で示された。訊けると思うのか? この状況で?
何所迄も適当なさまに、痛むこめかみを押さえざるを得なかった。振り返していた酔いをも問答無用で押し返すちゃらんぽらんさだ。
一定の距離を保っていた足音が、やや近くなって来ている気がした。肩越しに見てみると、矢張り、先程よりも真希さんの憤怒相がはっきりと窺える。徐々にだが、間違い無く、距離を詰められているのだ。――それはそうであろう。彼方は地の身体能力の高さに加えて身軽ななりだが、此方は幾ら最強と誉れ高くとも人一人を抱えて走っているのだから。
「この儘だと捕まりますよ。」
「マジで? 困るなぁ。」
「困っているようには見えませんが……もう、下ろしてくれて結構ですから。」
「それは無しでしょ。」
何時迄続くか知れない持久戦だ。確実に逃げ切るのであれば、体力を削る重荷は置いてゆくべきであると考える。見事に逃げ仰せた所で怒りが治まるかは別としても、この局面だけを乗り切ろうと言うならば、私は下ろされて然るべき重荷だ――と言うよりも、下ろさないメリットが無い。
前述の通りに、私は結界術を得手としている。人質にされる前に結界を織り成して、籠城する事も可能だ。本丸を目前にしているのだから、そもそも目も呉れない可能性だって高い。この結界術が目的と言う事も無いだろう。この人は、私が居らずとも呪具くらい難無く撥ね退けられる事を今更思い出した。
なのに、何故、こうも頑ななのか。
見上げた先の顔は、この状況下にあって尚、今しも大口を開けて笑い出しそうなものであった。快哉を叫ぶようにして、悟さんは言う。楽し気に言う。
「さっき言ったじゃん。駆け落ちしてるみたいだ、ってさ!」
いずれはその背中を捕らえるであろうぎらつく刃で脅されているにも関わらず、鼻歌でも歌い出しそうな気楽さである。
これはまた、なんとまあ、物騒なロマンスだろうか。
場所を移して、古めかしい数々の建物が顛末を見守る中で、追い駆けっこは未だ未だ続けられるようであった。
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