jujutsu
name change!
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最強が貰う程のウイルスなのだから、それはもう細菌兵器じみているのも道理だろう。
そんなもの、一般市民――とは言えないが、少なくとも一般的な呪術師に太刀打ち出来るものか。
ぐわんぐわんと効果音がついていそうな程に揺れる視界。熱湯に浸かっているかの様な頭。何十キロも走り込んだ後の如き全身の倦怠感。明日にでも腹筋が割れかねないくらいに引っ切り無しに続く咳、嚥下の度に強く痛みを訴えて来る喉。エトセトラ、エトセトラ。紛う事なき風邪の諸症状であった。インフルエンザでなかっただけマシではあるが、そんなものは不幸中の幸いと言うものだ。つらいものはつらい。
先程、診察してくれた家入さんから受け取った風邪薬の苦さを思い出しながら、如何して斯様な事に、と考える。熱に浮かされていてもそれだけは明白に掴める。きっとあの最強の呪術師様が原因なのだろう。とは言えども、呪われて如何こうと言う話ではない。そもそも、彼に呪われてこのくらいで済む筈がない。決してない。原因はもっと、もっと単純だ。
先日、件の最強の呪術師――悟さんが、「なんか喉がいがらっぽい。」と口にしていたのだ。
「へえ。貴男でも風邪を引くんですね。」
「馬鹿にしてんの?」
「素直に感心しているんですよ。風邪ウイルスの可能性に。」
「あっそ。……風邪って移せば早く治るって言うけどさ。」
「非科学的な迷信ですね。」
「迷信でも呪術師がやってみれば真実になりそうじゃない?」
「結構。」
「遠慮しなくて良いって。」
「近寄らないでください。」
「じゃあ、その儘遠ざかってコンビニで喉飴買って来て。甘いやつ。棘が出張中で貰える当てがないんだよね。」
「だったら薬局で風邪薬の方が良いのでは。」
「だって、薬って苦いじゃん。」
と、二十八歳とは到底思えぬ我儘をぶつけられた際に、ウイルスも一緒にぶつけられたに違いない。折角、コンビニでご所望の甘目の喉飴のみならず、薬局を梯子してうんと苦い風邪薬と子ども用の服薬専用ゼリー迄買って行ったと言うのに。後者は結局見向きもされなかったけれども、これは恩を仇で返されたと言って良いのではなかろうか。否、今の私のこの状態を見越して、薬には手をつけなかったのか……?そんな良い話で纏まって堪るか!
回想は盛大な咳によって強制的に締められた。純粋にしんどい。単純にしんどい。素直にしんどい。電気を点ける身体的余裕も無いこの部屋は、今や暗闇に席巻され、私が発する咳き込む音と洟を啜る音と、苦しさに喘ぐ情けない呻き声だけが只管反響する。――元気になったら、こう言う時の為にアナログ時計でも買おう。気が滅入る雑音ばかりの中で、秒針が立てる音は少しでも無聊を慰めてくれるだろう。だろうか?今よりも余計にさみしくなりそうだ。今ですらこんなにもさみしいのに。
嗚呼、弱っている、と実感した。呪術師として精神を律する術は心得ているけれども、これは参る。風邪なんて十何年も引いていなかったものだから、勝手がわからず、尚更に心細い。誰彼に会いたい。看病を求めている訳では……正直に言えば有るが、傍に居てくれるだけで良いから、心底から誰彼に会いたい。と言った所で、風邪を移すのは忍びないのだが。
そこで、ふ、と一人の顔が浮かんだ。ぼんやりとした思考の箍は緩い。からからの体力を更に絞り出して、鉛に作り変えられたかの様な腕を動かす。普段よりも遠く遠くに感じられるベッドサイドテーブルに置かれた携帯端末を、やっとの思いで引き寄せる。責任くらいは取って貰おう。元はと言えば彼が持っていた風邪なのだから、正当性は大いに有る、筈だ。
携帯端末の電源を入れる。画面の明かりでやけに目が痛む。それを堪えてメッセージアプリを開いて、端的に用件を入力して、送信。
しかし、ボタンを押した瞬間、回想に肩を叩かれた。そう言えばあの後、これから飛行機を乗り継いで行くような何所かの国に出張するのだと言っていたような。だとしたら、彼は未だ異国の地に滞在している事だろう。もしかしたら帰途に着いた頃かもしれないが、彼がこの地に戻った時にはもう私の風邪は治っているか、私が風邪に屠られた後だろう。時既に遅しだ。早く帰って来て欲しいと願うだなんて、弱っているにしても恥ずかしい真似をしたものだと思う。
結局、体力のみならず徒に気力をも使い果たしてしまっては、それ以上ものを考える事すら難しく。取り消しのメッセージを打つ元気も無く。私はこの儘独りで死んでゆくのかなあ、と大仰に嘆いている内に睡魔の泥に全身を覆われた。
――彼女が眠りに落ちた瞬間、新着メッセージを知らせるランプが携帯端末に灯された。
通知には簡潔に、こう表示されている。
『20秒だけ待ってて』
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