jujutsu
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初任給でキングサイズのベッドを買ったのだと、頭に瘤を載せて彼は言った。
数時間前、学校の門前に出入りの業者ではない家具屋のトラックが止まった事で、ちょっとした騒ぎになったのである。一体何用かと、住所を間違えていやしないかと。代表して応対に出た夜蛾先生が仔細を尋ねると、此所迄トラックを繰って来た運送員は状況に困惑しながらも、はっきりと言った。「五条悟様から、ご自宅用のお荷物を預かって来ました。」と。遠目から様子を窺っていた硝子さんから、その時の夜蛾先生の身体からは濛々と怒気が立ち上っているかのようであった、と伝え聞いた。その場で巨大な荷を下ろして貰ってお帰り願ったとの事であり、悟さんは夜蛾先生に呼び出されずとも、荷物の引き取り、そして設置の立ち会いの為にのこのこと門へと現れて、瞬時に脳天に拳骨を打ち据えられていた、とも教えてくれた。
話を聞き終えるのを待たずに、同じく鉄拳制裁を食らったかの様な気分となった私が思わず頭を抱えた事を、彼は知るまい。家格も才覚も身長も膂力も、あらゆるものが掛け離れていようが、幼い時分から知る間柄である。そんな彼のやらかしに同じだけの責任を感じるのは、烏滸がましい事だろうか。
キングサイズのベッド、と。逸れてゆこうとする思考を正道に戻そうとして、彼の言葉を反芻する。悟さんは、幾日か掛けて漸う何某かのゲームをクリアした日の様な、疲労が滲みつつも晴れやかなる表情を浮かべていた。
「さっき組み立てが終わったとこ。つっかれたー。」
「組み立てたんですか。一人で。」
「業者帰されたし。折角設置サービス付きだったっつーのに、要らん苦労した。」
回想が引き金となって鈍痛がしたのであろう。唇を尖らせて白髪のこうべを摩っている。キングサイズのベッドの組み立てとなると、余程の重労働であろう。言ってくれれば手伝ったと言うのに。「それは――」大変でしたね、と労ろうとした。が、今回の夜蛾先生の苦労が忍ばれた為に、きゅっと口を引き結んでしまうのであった。
「見に来るだろ? デッカいベッド。お陰で部屋はちょっと手狭になったもんだけど。」
問うておきながら、答えを聞く耳は持ち合わせていないらしい。噤んだ唇が肯定の意を伝えるよりも早くに手を取られて、連れてゆかれる。手の平から伝播するのはよく知る体温であるし、瞳の煌めきは変わらずにうつくしい。だのに横顔は昔よりも遠いのだから、成長期と言うものは。
悟さんに割り当てられた部屋に着いても、手は離されなかった。手を引く力の強さが、早く早くと幼気に急かしている。新しいゲームを買った時の様な浮かれた足取りに追随してゆくと、そこには。部屋の過半数を占めた寝具が、でんと存在感――最早異彩とすら言える――を放っていた。
「どうよ!?」
「大きなはんぺんみたいです。」
「腹減ってんの?」
当世風でシックなデザインのベッドは黒を基調としていたが、実にふかふかそうな真四角のフォルムから受けた印象はそれに限る。素直に述べると、悟さんは呆れた様子を見せた。それから勢い良く手を引かれて、二人して巨大はんぺんへとダイブ! スプリングを軋ませながらも、平然と二人分の体重を受け止めてくれた。
振動の余韻と悟さんの上機嫌な笑い声が治まる頃には、合わさってひとつとなっていた彼と私の手は、自然と個と個へと戻されていた。それを契機にして、大の字になる長躯の妨げにならぬように私は身体を起こした。こぢんまりと三角座りで纏まる。
「この身長だと備え付けのベッドじゃお話にならなかったから、真っ先に買っておきたかったんだよ。だってのにゲンコとか。」
「それはお気の毒でしたが、良い買い物だと思いますよ。悟さん、お布団も寸尺が足りていませんでしたものね。」
「ベッドだと座布団も敷けないから余計にキツかったな。あー、ホント不便だった。手足が伸ばせるってサイコー。」
ごろりごろりと寝返りを打つ悟さんは、本当に伸び伸びとしている。
あっと言う間に誰よりも大きく伸びた、彼の背丈。成長するに伴って、日常生活で鬱憤が溜まる事が増えて行ったであろう事は、想像に難く無かった。布団に見る不便もそうだが、公共交通機関や乗用車の乗り降りの際に頭部を強かにぶつけているのを、幾度か見掛けた事が有る。眠れない程に成長痛が酷いのだと、足を摩りながら話していた痛ましさだって鮮明に覚えている。それでもはぐれた時の目印には良い、と茶化すと、「こっちからしたらどいつもこいつも同じ身長だから滅多に見つけられねぇよ。」と吐き捨ててみせたものだが、悟さんは、私が人混みに翻弄された時は何時だって直ぐに見付けてくれるのであった。
恵まれた体躯だけではない。持って生まれた、強く、大き過ぎる才能にしたってそうだ。世界はきっと、このひとにとって窮屈に出来ている。だからこそ、この学校で彼に友人と呼べる存在が出来た時は、我が事のように嬉しく感じた。この世界に彼が少しでも等身大の儘で居られるスペースが在る事が、私は心底から喜ばしいのだ。
悠々と寝転がる悟さんの姿は今しも蕩けてしまいそうである。その寛ぎように、安堵にも似たぬくもりがこの身いっぱいに満ちる。もう少しばかり彼の為の空間を作ろうと、移動すべく腰を浮かせる。浮かせかけた所で制された。
「何でそんな縮こまってんの。」
唐突に腕を掴まれたかと思えば、そう尋ねられた。貴男の為の場所を確保したい一心である、とストレートに言うのは些か気障ったらしい。オブラートを用意して、包んでから渡す。
「お邪魔かと思って。」
「だったら態々部屋に呼ぶかよ。」
傍らをぽすぽすと叩いて、「良いから寝てけって。」と催促される。勿論、躊躇いを抱きはしたが、まごついている間にも無理矢理に引き倒されそうである。自ずからゆく事にした。そろりそろりと横になり、ふた度、悟さんと二人でシーツの海に溺れる。差し向かう格好だ。視線は自然と蒼い眼差しと絡み合う事となる。
――例えば。せせこましい様相となったこの部屋が彼の世界の縮図なのだとしたら、世界の中心となったこのベッドの上で揺蕩う私は、もしかして、彼の特別と言えるのだろうか。狭くなろうとも、在る事を許されるくらいには。
得意気な心地に支配されてしまうと、胸の裡の何と熱くこそばゆい事か。感情と連結してにやけてゆく口許を押さえる。これ程近いのだから当然の運びとは言えども、弛んだ頬が見留められてしまった事がとても恥ずかしい。道中とは異なり、今度は間近となった悟さんのかんばせ。満足そうであったそれから揶揄の色が滲み出て来る迄が、よくよく観察出来た。
「エッチ。」
「そう言うのじゃあありません。」
「じゃあ何考えたらそんなニヤけ顔すんだっつーの。」
頬をやわやわと摘ままれる。秘密だと言った所ではぐらかせやしないであろう。「もう!」と怒った風な声を上げて、頬に纏わり付く手を払う。
「……サングラス、寝ている時に掛けていると危ないので外しますよ。」
「話の逸らし方、露骨過ぎだろ。」
敢えて取り合わずにサングラスのつるに手を掛けると、悟さんは大人しく、甘える様にして目蓋を閉じた。サングラスを外すだけの事で瑕疵など付く筈も無い。わかっている事なのだが、彼の白皙の貌は珠玉の如き宝だ。少なくとも私はそう心得ている。慎重に慎重に、やがてサングラスを取り去ると、私は詰めていた息を吐き出した。先の言葉の所為もあって、露わとなった長い睫毛にやけにどぎまぎとしてしまう。
「けれども、こんなに大きなベッドが在ると他のものは置けませんね。」
蒼い瞳に幕をする目蓋が持ち上げられる前に、世間話を紡いで調子を取り戻す。早回しとなってしまったが、悟さんは気にする事もなく、事も無げに答えた。
「夢子の部屋に置いといて。」
「私の部屋は物置ではないのですが。」
「そう固い事言わずに。俺とオマエの仲じゃん。」
快闊に言ってのけられた言葉に嫌そうな声を出してはみるものの、頭の中では既に、部屋の片付けの算段を始めているのであった。――嗚呼、私は斯うも悟さんに弱いな。サングラスのつるを畳みながら、尚一層、惚れた何とやらを自覚するのであった。
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