jujutsu
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任務は滞り無く完遂した。想定通りに丑三つ時に出現した呪霊を祓い、予定通りに明朝に帰還する。太陽が顔を出す迄の一時の仮宿として宛がわれたビジネスホテルの一室に、七海は居た。シャワーを浴びて一息ついた時には、夜は朝へと傾き掛けていた。労働に勤しんだ肉体は、不健康な時間迄稼働させられている事に訴えを申し立てているかの様に、休息に誘うべく引きも切らさず欠伸を引き起こす。身体に纏わり付く疲労感の言うに従って、七海は仮眠を取るべく、ベッドへと向かい――足が、止まった。
こん、こん、こん。控え目なノック音が針となって影を縫い止めたのである。補助監督が火急の用事を持ち込みに来たのだろうか。そう過るよりも先に、直感じみたものが七海の脳裏を駆けた。彼女である、と。それにしては随分と気遣わし気なノック音であった事が、少しばかり、七海の気に掛かった。ドアスコープを覗く。そこには、勘の働いた通りに見慣れた人物――今回、任務を共にした女が、待てを申し付けられて長らく経った子犬宛らに、俯き勝ちに立っていた。
幾ら近接戦闘の心得が有るとしても、斯様な真夜中である。男女間の面倒事を避ける為にも無用心に招き入れる心積もりは無いが、人気の無い廊下に女性を一人で棒立ちにさせるのは、七海の持ち得る常識が忌避させた。ホテルから提供されたごわつく浴衣の襟を正して、ドアを細く開ける。それだけで、女は、ぱ、と表情を明るくさせた。が、それも束の間。「ええと、その、今晩は。」と、軋みを上げそうな程にぎこちない笑みを不恰好にも貼り付けたのであった。
彼女が語るには、斯うである。割り当てられた部屋に入室したものの、待てど暮らせど一向に部屋の空調が利かなかった。これはおかしいとフロントに一報を入れて点検して貰った所、エアコンが故障していたのである。直ぐに代わりの部屋を用意された、との事であったが――そこで彼女は言葉を濁した。
「それで、部屋が変わった事を知らせに来た、と。」
「いいえ。そちらはもう断ってしまいました。」
「――は?」
嫌な予感が七海の声帯を絞めた。彼女の口から続けられるであろう台詞が、予想を超えて予知すら出来るようで、眉がきつく、きつく寄ってゆく。「何故です。」と、念の為に確認を行う。声のトーンが不機嫌同然に大きく落ちている事も気にせずに、女は、七海が脳内で走らせた台詞を一言一句違わずに口にした。
「泊めてください。七海さんのお部屋に。」
「――一度、中へ。」
鉄の如き冷たく硬質な声で告げた後、七海は部屋へと取って返した。彼が見ていない事を承知の上で一つ頷いてから、女は後を追った。その足取りは、砂粒程ではあるが、確かに不安を振り払えたかの様である。しかし、それも短い間だけであった。ベッドサイドテーブルに備えられたフロントへの直通電話、その受話器を取ろうとしている七海の姿を目の当たりにすると、女は慌ててその手を押さえ付けた。信じられない、とでも言うような表情で責め立てる。
「何をする心算ですか。」
「今からフロントに連絡して、事情を話して部屋を用意して貰います。私がそちらに行くので、アナタはここで寝てくれて結構です。」
「ここで一緒に夜を明かしてくれると言うオッケーサインだったのでは!?」
「勘違い甚だしい。」
「そんな……。何もしませんから! ね!?」
取り縋る女の瞳は、懇願で濡れかけている。それでも七海の表情は冷静な儘、微動だにしなかった。じ、と見詰め合う。視線で主張し合い、牽制し合う。「アナタは、」と、呆れをたっぷりと含ませた声を以て沈黙を破ったのは、七海の方であった。
「――私が、何もしないとでも思っているんですか。」
「何かしてくれて良いんですけれど!?」
「しませんよ、何も。しません。」
「二度も言う程、頑なに!?」
受話器を巡る攻防は続行された。七海の片手を、両の手で押さえる女。掛けられた体重に耐え切れずに、受話器の方が嫌な音を立て始めた。今しも二つに折れそうである。埒が明かない、と何方ともなく思い始めた。七海は空いている片手で彼女の手を引き剥がそうとし、女は、此所迄覆い隠していた恥部である本音を吐露する事に決めた。込めていた力を、ふ、と解く。これからどの様な気色が浮かぶかわからぬ目から逃れる様に、重なった手へと視線を落とすと、女は躊躇い勝ちに言葉を手繰った。
「――ちょっとだけ心細いので、一緒にいて欲しいです。」
未だ受話器を握り締める七海の手を、今度は、そ、と。幼子のする様に頼り無げな力で握る。
彼女の体温が十全に手の甲に移った頃、七海は小さく溜息を吐き出した。女の身体がぎくりと強張る。お小言が飛んで来ると身構えたのか、失望されたとでも思ったのか――その様子を見て取ると、七海は一拍だけ間を開けた。彼女の本心は、ドアスコープ越しに見た憂い顔から察してはいた。それを言葉として引き出すのに掛けられた労力が押し出した一息ではあったが、一度出してはもう呑み込めはしない。平静であるように、尖りの無いようにと努められた声音で、七海は言う。
「アナタはいつも前置きが長い。」
「はい。」
「次からは端的に、初めから素直にそう言ってください。」
項垂れていたこうべが上がる。七海は、己の手に重ねられた彼女のそれを包み込む様にして取った。突き放さず、振り払わず、適切に退ける。浮かせ掛けていた受話器を遂に置いて、ベッドサイドテーブルから離れる七海。その言動から許容の意思を受け取った女の頬に、漸く安堵が宿った。
「済みません。でも、嘘は何一つとして言っていませんよ。七海さんがお相手だったら、何かあっても御の字です。」
「冗談でも妄りにそう言う事を言わないように。」
「冗談で言う筈がありませんよ!」
憤慨する女の声を背中に受けながら、七海は嵐が訪れる少し前に腰掛けていただけのベッドのシーツを、律儀に手で伸ばす。掛け布団を正す。そうして、手の平で彼女へと指し示した。
「私はソファを使いますから、アナタはベッドにどうぞ。」
「押し掛けて来たのは私です。七海さんがベッドを使ってください。」
「構いません。アナタが寝たのを確認したら、今度こそフロントに電話をして、別の部屋に移りますから。」
「本当につれない! そう言うところも好きなんですけれど! でもつれない!」
耳に胼胝が出来る程に聞かされた言葉である。七海は慣れた様子で聞き流した。彼女が気兼ね無く使えるように、さっさと一人掛けのソファに腰を下ろすと、目蓋を伏せる。
共寝に至れる取っ掛かりは無いものかと探っていた女であったが、暫くすると、彼が手ずから整えたばかりのベッドに上がった。大人しく布団を頭迄被ったその様は、深く呼吸をして、速やかに眠りに入ろうとしているようである。そう判断して、今からどれだけの睡眠時間を確保出来るだろうか、と逆算する七海。その耳に、穏やかなそれから徐々に荒くなってゆく呼吸音が届く。
「七海さんのにおいがする……これは実質同衾……。」
「締め出しますよ。」
先の呼吸は眠りに就く為のものではなかったのか。想い人の名残に息を荒げる彼女に、七海は痛む目頭を押さえながら強めの語気を浴びせた。
――それから。興奮して寝付けないと赤らめた頬で熱っぽく笑う彼女を置いて部屋を出ようとする七海と、それを引き留めようとする女とでひと悶着有った。ふた悶着もさん悶着も有った。繰り広げている内に、女の中の不安は解け、空は白み、朝が訪れ、そして。報告の為に高専へと向かう、補助監督が運転する車内。その後部座席には、寄り添い掛けては離れてを繰り返す、舟を漕ぐ二人が居たのであった。
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