jujutsu
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「悟さんって、料理、出来るんですか?」
「出来るよ。カレーでも作ってあげよっか?」
「是非。」
以上が事のあらましである。
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夕食の仕込み迄に後片付けを済ませて明け渡す事を条件に、寮母さんからの使用許可が下りた。借り受けた食堂――その奥の調理場で、とん、とん、と包丁がまな板を小突いて奏でられる、狂いの無いテンポの良い旋律。惹かれて、振り返る。半信半疑ではあったが、その危な気の無さから察するに、如何やら本当に調理に慣れているようである。眼帯からサングラスへと装いを変えたのみならず、悟さんは何時もの熱吸収率の高い真っ黒なジャケットを脱いで、今は白いワイシャツ姿である。腕捲り迄している気合いの入りようだ。それだけでも中々に見慣れないのに、寮母さんが貸してくれた黒いエプロンをきちんと身に着けているものだから、見ているだけで違和感で酔いそうになる。
「……様にはなっていますけれど。」
「? 何か言った?」
「いいえ。特別な事は、何も。」
見てくれも良く、その上で強くて更には料理でも何でも熟すとあれば、それはそれは景気良くモテ……迄浮かんだテンプレートの判断を、よく知る女性陣からの評価の数々が掻き消して行った。天から二物も三物も与えられても、十全にはいかないものなのか。
人の生の儘ならなさに思いを馳せながら、私は洗い場で種々様々な野菜の洗浄を手伝っていた。振る舞ってくれるとの申し出であったが、丁度出先から高専に戻る所であった伊地知さんに無理を言って買いに行かせたその材料は、二人分にしては多い。やけに多い。目測で優に十人分くらいは有りそうなものだが、誰がそんなに食べるのか。疑問は募ったが、兎に角量が量なので、お客様気分で食堂から見ているだけと言うのも気が引けたのだ。
土汚れを落とした追加分の野菜を籠に納めて、悟さんの立つ調理台へと持ってゆく。先に運んであったものの殆どは、既に食材の格好をしてボウルに山を築いていた。
「これで最後です。」
「はいはい。お疲れサマンサー。」
大きな手が籠から取った馬鈴薯は、私が洗っていた時には大振りであった筈なのに、その手中に納まると随分と縮こまっているように見える。これで私の仕事は終わりである。手持ち無沙汰なので、馬鈴薯の行く末を見届けようと、悟さんの手元を覗き込む。包丁が当てられると、自ずから脱いでいるのではないかと思ってしまう程にするすると馬鈴薯の皮が剥けてゆき、あっと言う間に均等な大きさに切り分けられた。手際が良いものだ。馬鈴薯を次々と裸にしてゆき、放出される催涙弾をものともせずに玉葱をも撫で切りにする悟さん。予め一口大になっているカレー用の豚肉を除いて、残すは人参のみとなった。が。
「あー……背中痛い。」
一旦包丁を置くと、腕を背中に回して、背骨に沿って肩甲骨の下辺りから腰迄を叩く悟さんであった。
「それだけ身長が有ると、調理もし難いものなんですねえ。代わりましょうか。」
「よろしく。と言っても、後はこれだけだけど。」
見兼ねて申し出ると、一歩、横にずれて場所を空けられた。代理としてまな板の前に立つ。包丁の柄を握る。堂々と言ったものの、調理なんて何年振りだろうか。中学校の調理実習以来ではなかろうか。此所に来てからは寮母さん任せかコンビニ任せであった事、そして、実家に居た頃にも料理などそうそうやっていなかった事を今更ながらに思い出した。しかし、引き受けた手前、もう後には引けない。既にピーラーで皮を取り去られた朱色の三角錐は、鯉宜しく、大人しく横たわっている。鈍く光る刃先を中程に押し当てる。
「切る時は猫の手、って習わなかった?」
アドバイスに誘われて顔を上げる。軽く握った拳を顔の側へと持って行って、猫のポーズを決めている成人男性が居た。猫、と言うよりも、この人がやると虎か獅子かと言った風格が有る。視線を逸らす事でこの気不味い気持ちを伝えようとすると、「シカト? 感じ悪いよ。」と言われた。「そう言う心算では、」と言い募ろうとしたが、打ち切る様に、す、と悟さんが私の背後に移動した。そうして、開き勝ちであった私の手は、悟さんの大人の男のひとらしい手ですっぽりと覆われた。有無を言わせずに手を丸められる。次いで、包丁を持つ手も握り込まれた。
「何だかお料理教室みたいですね。」
「そこは新婚さんみたいだとか言おうよ。」
「包丁を持っている時に抱き着いて来る旦那なんて、危機感が無さ過ぎて好みから外れます。」
「それは手厳しいことで。」
おどけた声音を降らせながら、悟さんは蔕を落とすように私の手を操る。とん、たん。彼一人で取り扱っていた時よりも随分と不格好な音を鳴らしながら、人参が程良い大きさへと切り揃えられてゆく。切り終える頃には、さては私が出る幕など無かったのではと思いもしたが、それでも悟さんは、「上出来。」と花丸をくれたのであった。
「はい、下準備はこれでおしまい。」
「お疲れ様でした。」
「いやいや、何言ってんの。こっからでしょ。」
調理台からコンロへと移動すると、悟さんは、その下に納められていたぴかぴかの寸胴を引っ張り出した。人間の頭部が丸々一つ入って尚余る程の大きさだ、と想像して、若干の後悔を抱いた。凄惨な現場と密接な関わりを持つ呪術師としての悪癖と言えども、神聖な調理場に持ち込むべき比喩では無いだろう。
「どしたの、しょっぱい顔して。虫でも出た?」
「だとしたらもっと騒ぎ倒しています。ご心配なく。」
「そ? じゃあ、それ持って来て。」
「了解です。」
応答して、切り替える。伸ばされた人差し指の先に示された、処理が施された野菜を受け入れる、幾つものボウル。野菜の種類毎に分けられている所を見ると、そう言う所は几帳面なのか――と思いきや、量が多い所為で分けざるを得なかっただけであろう事は、これ迄の付き合いから理解が及んだ。豚肉が入った発泡スチロールのトレーと共に、それ等を抱えて彼の元へとゆく。
ごと、と見掛けに見合った重い音を立てて、寸胴がコンロの上へと設置される。そこで私は、ずっと気になっていた事を遂に尋ねた。
「二人分にしては大分、量が多くないですか?」
「ついでに生徒達にも食べさせてあげようと思ってね。今、身体を動かしている最中だし、終わったら矢っ張りがっつり食べたいでしょ。」
「おやつ代わりに、と言う事ですか。……その後、直ぐに夕食では?」
「若いからヘーキでしょ。いやー、僕ってば生徒想いの教師の鑑だね!」
「そうですね……。そうですかね……?」
流した。流し切れなかった。それは、ちょっと、若さを過信していやしないだろうか。寮母さんは、調理するのは私達二人の分だけだと思っている。今からでも止めるべきだろうか。しかし、もう準備は整ってしまった。整えてしまった。今からでは止めても遅いだろう。こうなっては、皆の若い胃袋に頑張って貰う他無い。私は私で、勝手を怒られる覚悟を決めて、逃走しそうな悟さんを引き留める根性も備えておこう。――だが、今は、それよりも。
コンロに火を点す悟さんを、懸念と共に固唾を呑んで見守る。否。これは、監視、に近いやも知れない。自然と険しくなってしまう視線の先で、熱した鍋底にサラダ油が敷かれる。常温に戻された豚肉が、先陣を切って投入された。次第に、ちうちう、と香ばしい脂の匂いを伴った音が聞こえて来た。肉が十分に加熱された其所に、野菜類が加えられ、木べらでざくざくと炒められてゆく。有り触れた調理行程だ。だからこそ、意外であった。
「パッケージ通りに作るんですね。」
「何か言いたそうだったのって、それ?」
「隠し味と言って糖類をざばざばと入れるとか、何か突拍子も無い事をするのではないかと警戒していました。」
「大人なんだから、幾ら何でももうそんな冒険しないって。ハンバーグにホイップクリーム載せて食わないでしょ。そう言う事。」
「以前にやらかした事が有るかの様な口振りで話しますね。」
「……。蜂蜜は入れるけれど、隠し味程度ダヨ。」
何某かやらかしたんだろうなあ。そして食べられない代物となったに違いない。顛末がありありとわかる、実にぎこちない間であった。
それから悟さんは、玉葱が半透明になったのを確かめてから鍋に水を注ぎ、蜂蜜を落とした。斯様な失敗談を聞いた後でははらはらしたが、言葉の通りに隠し味の範疇の分量であった。ひと度、沸騰させてから、火を弱める。ぐらぐらと踊る肉や野菜に混じって浮いて出る灰汁を取る悟さんであったが、これまた何ともお玉が似合わない。エプロンにしてもそうである。彼と言う点と家庭的と言う点が、私の中では未だ上手に繋げられないからであろう。
所帯を持たない者ばかりでは勿論無いが、呪術師はその職業柄、独り身が多い。だからこそ、自分で自分の面倒を見る能力は必須となって来る。そう考えれば、悟さんが料理の一つや二つ出来る事は何等おかしくは無い。無いのだが――この人の場合は、御三家の一つに数えられる名家の生まれである。個人として生活力が有るに越した事は無いだろうが、必要性には欠けよう。何と言っても、立場上、許嫁が居て然るべき御方なのだから。だと言うのに、そんな話どころか、浮いた話すら耳にした事が無い。御家の為と言うしがらみを抜きにしても、伴侶、乃至恋人を作る気は無いのだろうか。身近な人物は総じて止めておくよう忠告するが、性格に少しだけ目を瞑りさえすれば、彼は超が幾つも列なるような優良物件。詰まる所は、非常に魅力的な男性であろうに。世の女性から放っておかれるなんて事が、真実、有り得るのだろうか。――実は、彼女、いるのだろうか。新鮮なその横顔から、女の影を探ろうと試みる。と。
「穴、開ける気?」
如何やら、見詰め過ぎたようである。鍋から目を離さずに叩かれた軽口には敢えて取り合わずに、生まれた疑問をストレートにぶつけてみた。
「彼女、いないんですか?」
「なる?」
文脈も脈絡もへったくれも無い問いだったにも関わらず、惑う様子も無く即座に打ち返されたものだから、此方の方が狼狽してしまう。聞き逃してしまいそうな程に聞き慣れた、自然体のさらりとした声音である事を鑑みると、冗談、なのだろう。真に受けそうに大きく打った自分の心の臓にようく言って聞かせる為に、一音一音、はっきりと口にする。
「そう言うリップサービスみたいな真似、要りませんから。」
「リップサービス、ねえ。割りと本気なんだけど。」
「二度は言いませんよ。」
「あっそ。だったら、今はいないって事にしておこうか。」
それは。含みの無い、その儘の意味だろうか。
それとも。心に決めた人はいる、と言う事だろうか。
何方にせよ、私は揶揄されただけなのだろう。湯気で曇ったサングラスを外して、エプロンの裾で拭いている悟さん。その表情には、何一つとして変わった所が見られない。本当のほんとうに本気であったならば、もっと、こう、顔色の一つでも変わるものではなかろうか。安堵したような、落胆したような。相反する心持ちが胸の裡で綯い混ぜになる中で、遅蒔きに芽生えて来たのは期待であった。――もしも。もしも、前者であったならば。例えば。あすこで是と答えていたら、なれたのだろうか。彼の、恋人に。なんて。まさか。直ぐ様、首を横に振る。都合の良過ぎる妄想を是正したくて、真偽を明らかにする為に、ふた度、その横顔をつぶさに観察する。但し、今度は見逃されなかった。ぱちり、と。直ちに蒼い眼差しと結び付いてしまった。先程、隠し味として入れられた蜂蜜よりもずうっと甘そうなこの目は――秋波、と表現されるそれに似ている。
そう勘繰ると、コンロの火や鍋から立ち上る湯気の所為だけではない熱さが、私を火照らせた。何かを言おうとして、言いたい言葉の数々が喉で渋滞を起こして、陸に打ち上げられた魚の様にぱくぱくと口を開閉させるしか能が無くなる。
幸いな事に、と言うべきか。溶かされてしまいそうな瞳からは、直ぐに解放された。沸騰して跳ねた飛沫が鍋肌に当たって蒸発する音へと、悟さんの意識が逸らされた為だ。長身を橈らせて火加減を覗き、摘まみを捻って調節する。サングラスを掛け直した悟さんは、何だか殊更楽しそうに此方に向き直ったのであった。
「後は火が通るまで待ちます! で、何して待つ?」
「座って待ちます。」
私はと言うと、これ以上彼に弄られる事が無いように、一刻も早く頭と頬を冷やしてしまいたかった。言い終える前に、一人になるべくさっさと食堂へと向かう。当然のように悟さんも付いて来た。煮込んでいる間、ぽつねんと突っ立っているのも詰まらないのであろう。
隣接した食堂に移って、幾つか在るテーブルの内の一卓に設けられた椅子を引いて、座る。熱気に当てられたのだと言い訳が出来る内にこの赤みを引かせたいのに、尾を引かせるかの様に、悟さんは隣の椅子に腰を落ち着けた。更には此方に寄せて来るものだから、たちが悪い。
「暇だし、恋バナでもする?」
何食わぬ顔を装って顔を扇いでいると、意趣返しなのかと疑いたくなる様な話題が振られた。しかし、かなしい哉。私には取り分け隠し立てする事柄も無い。素直に応じる。
「持ちネタが有りません。以上。終わり。」
「ツマンネー。じゃあ何か面白い話して。」
「そんな無茶な。」
伊地知さんの苦労が十分の一くらいわかった所で、私ばかりが調子を狂わされているのも癪であると思い直した。息を抜いて、努めて平静に、「面白いかは知りませんが。」と話し始める。
「カレーと言えば、テストの答案にカレーの作り方を書くと丸が貰える、と言う謎めいた言い伝えが有りましたね。」
「何で?」
「さあ、何ででしょうか。」
「書いた事あんの?」
「私は無いですね。勉強はそれなりに得意だったので。けれども、中学校でクラスメイトだった子が――」
そうやって益体も無い話をだらりだらりとしている内に、熱は引き切り、時間も良い頃合いとなっていた。二人で連れ立って調理場に戻る。考えてみれば、彼に手を引かれている訳でもあるまいし、私は食堂で待っていても良かったのだが、折角なので完成迄見届けようと思ったのである。
悟さんがお玉を鍋の中へと沈める。馬鈴薯を一つ掬い上げて、菜箸で刺す。す、と箸が通った。それを合図に、コンロの火が消される。市販のカレールゥを割り落として、鍋を掻き混ぜる。ルゥが溶けた事を確認してから、再びとろ火に掛けた。カレーらしい外観になった途端に、ぶわり、と。郷愁を誘う、嗅ぎ慣れたスパイスの匂いが押し寄せる。刺激された私の腹の虫が、くう、と高らかに鳴いた。聞かれていやしないかと悟さんを窺うと、声こそ出していないものの、明確に口の端を上げて笑っていた。ばっちり聞かれていたようであった。大人しくしているようにとお腹を擦っていると、「そこの棚から小皿取って。」との仰せが掛かった。指し示された通りに赴いて、味見皿の一枚を取り出し、彼へと手渡す。お玉から、とろり。少量のルゥが移された。
「味見してみて。」
差し出された小皿を受け取って、薄い縁に口を付ける。「ど?」と短く尋ねられた。
「美味しいです。普通に。」
「普通て。もっと絶賛してくれても良くない? 胃袋掴まれましたー、とかさ。」
「パッケージ通りの作り方ではこんなものでは。」
「愛情なんて、隠し味にしてもあてにならないもんだね。」
「愛情……? 蜂蜜では?」
「愛情も込めたよ。足りなかったみたいだけれど。」
「それでも学生達には伝わりますよ。多分、きっと。恐らく、少しくらいは。」
「そうね。でもそうじゃねーよ。」
では何だと言うのだ。口を開こうとしたが、先んじて仕込んで置いたお米の炊き上がりを知らせる、甲高い電子音に塞がれた。肩透かしを喰らって妙な静けさが落ちようとした所に、「ま、その内に嫌でもわかるでしょ。期待してて。」との言葉が寄越される。杓文字を取り取り炊飯器へと向かう背中に、何を、と重ねて問おうとするが、又もや喉から下げる事となった。ぱかり、と蓋を開けられた炊飯器から溢れ出る、炊き立ての白米の香り。それには思考をまっさらに塗り潰す程の食欲を掻き立てる効果が有るのであった。呪術師が言うのだから、呪術的観点から見ても間違いはないだろう。
炊き立てのご飯にカレー。改めて、贅沢だ。これだけで後に確約されている寮母さんからのお叱りも甘んじて受けられそうな気がして来る。先の問答も置き去りに、逸る気が急かす儘に、私はエプロンを脱いだ。
「後は少し煮込むだけですよね。皆を呼んで来ます。」
「校内放送かけた方が早いよ。」
「「カレーが出来たので食堂にお集まりください。」と……?」
「「五条シェフのスペシャルカレーが出来たよ!全員集合!」とか。」
「夜蛾学長にも怒られそうなので、校庭迄走って知らせに行きます。」
「冷めるじゃん。」
「冷めさせませんよ。そんな勿体無い事は絶対にしません。」
そう頑なに言うと、悟さんは納得してくれたようであった。軽い調子で手を振って、「早く帰っておいで。」と母親みたいな台詞と共に見送られる。それでは、気合いを入れて走るとしよう。出来立てのカレーが待っているのだから。最高のスパイスとの呼び声高い空腹をも欲張る為に、私は一層の気合いを入れて駆けるのであった。
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