jujutsu
name change!
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背後から、「わっ!」と大声で脅かされたものだから、盛大に肩を跳ねさせてしまった。上げ損ねた悲鳴が喉に詰まって、一瞬だけ息が止まる。転び出そうな心臓を押さえ付けようと、胸に手を遣る。早鐘を打つそこから直ぐ様に浮かび上がって来たのは、斯様な悪戯をするような人物への心当たりであった。声の主の気配は、直ぐ後ろ迄来ている。文句をぶつけてやろうと、たった今、開けたばかりの缶ジュースを慎重に握り締めて、振り返る。
「――ッ!?」
「何飲んでんの?」
何時の間に其所迄詰められたものか、最早、後ろから抱き締められていると言っても差し支えの無い距離となっていた。想定よりも大分、距離が近かった。振り返ろうとした私の身体は、背丈だけは大人並みの悪童――悟さんにあわや激突する所であった。そうなっていたら今頃、私の手は甘い芳香をべたべたと放っていたであろう。答えを発さずにいる私を――と言うよりも、緊張した手で持っている、このたぷたぷと中身が波打つ缶を頭上から覗き込んで来る悟さん。その正体をサングラスの奥で確かめると。
「丁度、喉渇いてたんだよね。もーらい。」
ひょい、と鳶の如くいとも容易く掠め取るのであった。未だ一口しか飲んでいないのに! 咄嗟に手を伸ばすが、取り上げる様に大きく掲げられてしまっては、平均的な体格をした私の腕では届く筈も無い。挙げ句の果てに、片手で肩を押さえ付けられてしまった。これでは十全な身動きが叶わない。「私のジュース!」と取り縋ってもみたが、それで引き留められる訳もなく。悟さんは躊躇無く飲み口に唇を寄せると、一息に煽った。そして干した。無力な事に、私は、詰め襟から覗く喉が上下するのを呆然と見守る事しか出来なかった。
「ほい。ご馳走様。」
「ご馳走した覚えは無いです!」
甘露に濡れた唇を舌で拭いながら、悟さんは漸く私の目の前に缶を下ろして来た。中身は勿論、すっからかんだ。剰え、捨てろと言うのか。人を怒らせる天才ではなかろうか。屹立した腹に嗾けられる儘に、彼の胸辺りを叩こうと振り被る。半身になって躱された。なんて小癪な! やきもきする私が頑として受け取り拒否の姿勢を示していると、「ケチ。」との呟きすら落として来る始末である。
「人のものを勝手に奪った上でその言い草ですか!?」
食って掛かる私を他所を向いて往なす、その仕草すら癪に触る。取り付く島が無いと判断したのか、至極面倒臭そうに、悟さんは術式で空缶を潰し始めた。その最中、「あ。」と。何か着想を得たかの様な声を漏らしたのを、この耳は聞き逃しはしなかった。「何ですか。」。陸でもない企みである可能性を考慮して、自衛の為にも尋ねる。円形に圧縮された缶は、見る見る内に体積を小さくしてゆく。最後に手の平から消失させると、にまり、と。悟さんは良からぬ笑みを見せるのであった。
「間接キス、奪っちゃった。」
言葉に合わせて、空いた手をぱくぱくと動かす。CMで観る女優の笑顔とは程遠い邪さだなあ。そう思っていると、彼は揃えた指先を、そ、と私の唇に押し当てて来た。反応を窺う様に小首を傾げられる。
「……菜々ちゃんに失礼ですよ。」
渋面で言い返してやると、パンダのパペットを模したその手で、今度は額を小突かれた。衝撃に目を瞑った隙に、悟さんは此方に背を向けて、すたすたと歩いて行ってしまった。その背中には、「詰まらない。」と書いてあるようである。何が気に入らなかったのかは知らないが、不満ならば私だって負けてはいない。じんじんと痛む額を押さえて、怒号を投擲する。
「何をするんですか! せめて金返せ!」
脚が長いと、歩幅もとても大きくなるもので。あっと言う間に遠退いた彼の耳には、もう一片の怒りも届いていやしないだろう。「一つくらい聞けよ!」と地団駄の様に足を踏み鳴らしてはみるが、返って来るのは虚しい反響のみであった。否――。
「――悟が済まないね。」
ふた度、背後から声を掛けられた。私はもう少し、気配を読む練習をするべきやも知れない。若しくは、後ろから登場するのを止めて貰えるように彼等に交渉するとか。突然の御出座しに驚いて引き攣ってしまった喉で、「傑さん……。」。名前を呼ぶと、彼は一つ頷いた。その仕草を見届けてから、息を深く吸っては吐いて、鼓動を整える。それを手伝う様に、傑さんはゆったりと穏やかな口調で話し掛けて来た。
「硝子にゲームで負けてね。二人で買い出しに来たんだ。だと言うのに突然走り出したものだから、一体何かと思えば……。」
「良い鴨が居た、と。」
「鴨が葱を背負っている様に見えはしたかも知れないな。」
「見事に缶ジュースを強奪されたので、何も言えませんね。」
買い出し、と言う割りには悟さんは何も買っていなかったが、良かったのだろうか。この分だと、傑さんに任せたと言った所なのだろう。影も形も既に存在しやしないが、あの長身が去って行った方角をぎりりと睨み付ける。
「あの人、歌姫さんにもああ言うからかい方をするんですか?」
「いや。からかう事はからかうが、ああ言うのは君にだけだよ。」
「……そうですか。」
私と同じ様に悟さんの行方を追う傑さんの口から出た、君にだけ、と言う、微笑ましそうなニュアンスが含まれた言葉。それに安堵が込み上げて来たのは、歌姫さんに貞操の危機が及んでいない事に対してだ。指を唇へと持ってゆき、戯れに触れられた軌跡をなぞる。誰にでも彼にでも斯様な振る舞いをしていたら、それこそ背後に気を付けて生きて行かざるを得ない人生が待ち受けていそうだ。
「と言うか、見ていたんですか。」
「ん? ああ、まあね。」
「傑さんが助けに入ってくれたならば、缶ジュース、取り返せたと思うのですが。」
「楽しそうだったから、邪魔するのは野暮かと思ってね。」
野暮なものか。楽しそうにしていたのは、悟さん唯一人だけだろう。それとも、彼の目には私もはしゃいでいるように映ったのだろうか。感性のズレについついじとりとした目付きとなってしまうが、傑さんは物ともしない。それ所か、労る様な眼差しを注いで来るのであった。
「悪気はない――と言うよりも、好意しかないんだと思う。許せはしないだろうが、後できつく言っておくから、この場は治めてくれないか。」
こうも真摯な態度を取られては、これ以上の怒りは燃やせそうになかった。黙って、こくり、と首を縦に振って見せる。安堵したかの様な声音で、「有り難う。」と、傑さんは切れ長の目元を柔らかに綻ばせた。その姿は、何と言うか。
「悟さんの保護者みたいですね。」
「保護者か……。悟とは同い年なんだけれどな。」
「老けて見えるとかではなくてですね!?」
「わかっているよ。」
必死に取り繕おうとする様が、そんなにも笑いを誘ったのであろうか。くつくつと喉で笑う傑さんは、手の平を向けて私の弁解を制した。そして、ポケットから財布を取り出すと、これ迄の顛末を黙って見守っていた自動販売機へと身体を向ける。
「買い出しのついでだ。悟に代わって、お詫びに奢ろう。何が良い? 同じもので良かっただろうか。」
「有り難う御座います。では、お言葉に甘えて。」
折角のお申し出を無下に断る事は出来まい。硬貨を数枚入れた手で、「どうぞ。」と指し示された。準備万端であると主張する様に、自動販売機のボタンが一斉に点灯している。その内の一つを遠慮無く押し込む。がこん、と重たい音を立てて、中身が詰まった缶ジュースが直ぐに落とされた。
「君は、甘いものの方が好みなんだね。覚えておこう。」
私が缶を取り出した事を確認してから、傑さんは新たに硬貨を投入した。硝子さんからのお使いの分なのだろう。どれだったか、と指先を迷わせていたが、徐に一つのボタンを押した。指の行方を盗み見ると、ブラックコーヒーのボタンであった。硝子さんはブラックコーヒーがお好みなのか。大人だなあ。悟さんは砂糖が主成分のものが好きだし、傑さんは――傑さんは?
「私ばかりが知られるのは悔しいです。傑さんの好きなものも、一つ、教えてください。」
取り出し口へと手を伸ばす、屈められた背筋が一瞬だけ固まった。ブラックコーヒーの缶を手に入れた傑さんから、「私の?」と実に怪訝そうな声を返される。まさか、興味が無いとでも思われていたのだろうか。同じ学舎の、同じ呪術師だ。袖擦り合うも多生の縁。情の一つや二つや三つ、自然と湧くと言うものだろう。況してや、頼りになる方の先輩であるならば、お世話になる機会も多く有る事だろう。お礼の品を用意する際に必要となる情報の収集は、欠かさないに越した事はない。答えを促す為に、「はい。」と首肯する。「そうだな――」と、傑さんが口を開こうとした、瞬間。鳴り響いた予鈴が間を裂いた。思わず、二人で顔を見合わせる。
「ええと……。」
「授業が始まるね。」
こんな所だけは普通の学校の様だと、何時も不思議な感覚を抱いてしまう。聞けず仕舞いか、と少しだけ残念な気持ちに浸りながら余韻が漂う宙を眺めていると、優しい力で肩を叩かれた。
「道すがら、話すとしようか。」
そう言って、傑さんは教室に向かって歩き出した。慌てて後を追うと、その背中に追随する形となる。悟さん程ではないとは言えども、私からしてみれば、傑さんも十分に背が高い。一歩一歩が大きい。歩幅の違いに競歩同然となる私の様子を、しかし、傑さんは肩越しに察してくれた。言葉通りに話がし易いように、私が並んで歩ける程度の歩調に緩めてくれる。そこでいよいよ話の続きとなる、かと思いきや。
「――これは、抜け駆けだとか言われてしまうだろうな。」
やにわに肩を竦める傑さん。柔和な相の中に混ぜ込まれた一抹の感情、その名前を問う間は無かった。遠くの方から、「傑ー!」。親友を迎えに出戻った声が響いて来た。私にとっては缶ジュースの仇の声だ。彼の姿は未だ豆粒程度の影法師で、はっきりと捕捉出来ない。今度こそは略奪されまいと、未開栓の缶を今から背中に隠した。「傑さん。」。次こそは助け船となってください、と言外に訴える。迫り来る本鈴其方退けで臨戦態勢を取る私と、悟さんが遣って来る方向。交互に見遣ると、傑さんは、仕方が無いと言った風に笑うのであった。
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