jujutsu
name change!
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「王様ゲームッ! 僕、最強だから王様ね。」
斯様に巫山戯た台詞を鼓膜が受け入れる前に、恥を掻き捨ててでも、脱兎の如くこの場から走り去るべきであった。否。神経を駆け抜けた嫌な予感が、発言者である悟さんと同席していたソファから私の身体を起立させたし、「用事を思い出したので。」と声帯を振動させはしたのだ。したのだが、立ち上がって一歩を踏み込んだ瞬間に、それを見越した大きな手に手首を掴まれてしまった。剰え、力強く腕を引かれた所為で見事に体勢を崩してしまい、今度は悟さんの膝に跨がった格好で着座すると言う羽目になった。こうして差し向かっても動揺を見せない彼である。此方も動転する気を押さえ付けて、そそくさと膝の上からお暇しようとする。
「済みません! 今直ぐに退きますから、」
「退かなくていいよ。こっちの方が都合が良いしね。」
一体、何の都合が良いものか、これ幸いとばかりに人体の動きの要となる腰をがっちりとホールドされる。これにて逃亡を果たす未来は絶望的となった。
「それじゃあ、気を取り直して! 王様の目の前の人が――」
意気揚々と王命が告げられようとする。参加者が彼と私の二人しかいない王様ゲームだ。実質、ワンマンである。続く言葉を待つ間、存在を確かめた事もない神仏に祈りを捧げるより他無かった。如何か、如何か、何卒。無茶振りだけはされませんように――
「王様と三十秒間見つめ合う。」
「無理ですねえ!!」
食い気味に断ると、悟さんは、「えー。」と至極残念そうに口を尖らせた。
仕組まれた、と理解した。私とて人間社会で生きて来た年数は、十を軽く飛び越えて数えられる。基本的な礼節は身に付いている心算だ。例えば、列に割り込まない、だとか。例えば、箸で器を引き寄せない、だとか。例えば、人と話す時は相手の目を見る、だとか。身に付いている心算だ。だが、物事には何事にも例外が有るもので、私は悟さんの目を見る事が苦手であった。彼と話す時は何時も、耳の辺りを見詰めたりだとか、肩の辺りを見詰めたりだとかして、如何にか斯うにか視線を逃がして此所迄遣って来たのだ。それを、つい先程の事だ。「夢子ってさ。僕と、目、合わせないよね。」と真っ正面から図星を突かれた。「伊地知とかとは合わせられるのに。何で?」と。返答にまごついている間に、先の突拍子も無い台詞である。あの時に今回に比肩する反応速度を見せられていたならば、今頃は心中穏やかな私であったであろうに。
「即答されると流石の僕でも泣くよ?」
「貴男がそんな事で泣くようなタマですか。」
「わかんないよ。ほらほら、見て確かめてみ。」
「無理、無理です!無理!」
拒否するばかりの私への、示威表示、なのだろうか。腰に回された腕の拘束が少しばかりきついものとなった。それでも必死に顔を背けて、眼帯の下に在すあの瞳から逃れる。今しも首筋が攣りそうだが、この際、逃れられるならば安いものだ。移り気なこの人の事だから、その内に飽きて放ってくれるだろう。それ迄の辛抱だ。現実は慈悲深いものだと信じ込んでいた私は、心と首の筋肉にそう繰り返し言い聞かせていた。
「いや、無理とかないから。王様の命令は絶対でしょ。」
だが、かなしい哉。現実は非情なものであると直ぐに教え込まれる事となる。悟さんが強引な手段に出たのだ。外方を向いていた私の顎が、がっつりと掴まれる。そして無理矢理に王様の方へと向けさせられた。その際に首から嫌な音が聞こえたものだが、それを気にする暇は無かった。
「何でそんな嫌なの。理由くらい言ってくれないとこっちも納得出来ないんだけど。」
その声音は、純粋な疑問半分、不機嫌半分、と言った配分だった。それは御尤もな事だろう。自分一人だけが頑なに目を逸らされていたら、無論、良い気はしない。誰だってそうだ。私自身、礼を失した態度を取っている事は自覚している。申し訳無いとも、心底から思っている。
「……済みません。」
「うん。で?」
「でも無理です。」
「まぁーたそれかよ!」
嫌――なのではない。それは確かだ。解放されたばかりの頤を擦りながら、胸の内で首肯する。けれども私は、その感情を正しく掴み切れず、上手に伝える術をも未だに持ち合わせていないのだ。何時か見た、あの時から、ずっと――。
故に、愚かな事ではあるが、その場凌ぎに適当なはぐらかし方をしてしまうのであった。
「……その、なにか、その、体重とか体脂肪率とかを測定されそうなので……。」
「タニタの体重計じゃあるまいし。ま、ある程度は想像つくけど。」
「!? わかるんじゃあないですかヤダーッ!!」
「測られたくなかったら大人しくこっち見な。」
「それも無理なんですけれど!? そもそも、そんな情報を知ってしまったら余計に其方を向きたくないんですけれど!?」
眼帯をも貫く鋭さの、射掛ける様な真っ直ぐな視線を感じる。気不味さが頂点迄登り詰めた私は、又もや顔を明後日の方向へ遣ろうとしたが、今になって首がじくじくと痛んで来た。最早、逃れる事は許されないようであった。せめて、と、目をきつく瞑って抵抗を試みる。――薄闇の只中、悟さんが何某かの動作を行っている事は察してはいたのだ。
「キス待ち?」
尋ねられる。違う。否定しようと、目蓋を開ける。と。そこには。
眼帯を取り払った悟さんの。蒼い瞳。が。あった。
お互いの吐息が触れ合う様な距離だ。無垢な色をした睫毛の一本一本すらもよく見える。そして、花嫁のヴェールの様に清廉な睫毛を冠する双眸。それはうつくしき神秘を湛えながら、私を映しているのであった。一目合っただけで、頭は蕩けてぐずぐず、なのにその芯はじんじんと痺れてやまない。甘い息苦しさが身体中に伝播してゆくものだから、声にならない音が喉から押し出される。
「う、あ、」
彼の瞳の中の私は、浅ましくすら見える程に眉尻を下げていた。
幼い頃に胸をときめかせた青いビー玉も、宇宙飛行士が夢見る地球も。このひとの瞳の前では、きっと、見劣りしてしまうであろう。遮るものが無い状態で初めて彼と視線を交わした時、そう、これ迄の人生で感じた事の無い程の陶然とした心持ちになった事を思い出した。その時も私は、斯様な表情を晒していたのだろうか。
「……ううー……。」
「何それ。威嚇してんの?」
食い縛った歯の間から、逃げ出したい気持ちが籠った呻き声がか細く漏れる。心地良さそうに細められた蒼い瞳に、頭に更なる血液が迫り上がって来た。あれ程目を逸らしたがっていたのに、今や、片時だって目を離せないでいるだなんて。気がおかしくなりそうだった。自然と彼の胸板に添えていた手を持ち上げて、その目を塞ごうと試みる。「猫かよ。」との声が私の耳朶に触れたが、私の手はと言えば、悟さんの相貌に触れる事は叶わなかった。術式に阻まれているのだ。無駄な抵抗に終わった手が、ふた度、取られる。
「はい、お縄。無駄な抵抗はよしなさいね。……ああ、出来ないか。」
言われて気が付いたが、腰からはすっかり力が抜けてしまっていた。へたり、とその膝に座り込んだ儘動けない。腰を捕縛されていたとばかり思っていたが、その実、支えられていたのである。降って来た愉快そうな笑い声に、情け無さの余りに顔から火を吹きそうになる。
「じゃ、今から三十秒ね。タイマー無いから僕の体内時計で計ります。」
「そんなばかな……。」
「ちなみに、目を逸らしたら最初からやり直すからそのつもりで。」
「きちくですか……。」
彼の体内時計が通常よりも格段に速く時を刻むものである事を願うばかりなのだけれど。「いーち、にー。」と、随分と悠長に間延びしたカウントを聞くに、三十秒では済まされない事はよくわかった。
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