jujutsu
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虎杖悠仁は映画を観ていた。何時もの地下のシアタールームで、ソファに腰掛けて、虎杖は映画を観ていたのだ。
そこにやって来たのが、彼女、であった。猫の様に足音も立てずに階段を下り、細く開けた扉からするりと滑り込んで来て、ちょこなんと隣に座って同じ画面を見詰めていたかと思いきや、見る見る内に欠伸の数を増やし、まなこをとろりとさせて、鑑賞から実に数分と言った所で、くたり、と。虎杖に身を寄せて来た。そして、寝た。それはもう健やかな寝顔を浮かべて、寝た。幾ら後輩相手とは言えども、曲がり形にも男の肩を借りて、少女は無防備にも寝たのだ。
この瞬間の思春期の男子の心境を慮れるだろうか。彼女にとって自分は信用に足る人間なのだと言う自信の獲得と、彼女にとって自分は男として映っていないのだと言う自信の喪失。その間で板挟みになりながら、虎杖は自由が利く方の手を――ローテーブルの上に放られたリモコンへと向けた。少女を部屋へと送り届けるべく、一時、再生を中断しようとしたのだ。てっきり映画を観に来たのだと思ったが、まさか、仮眠でも取りに来たのだろうか。「悠仁くんの側は居心地が良いねえ。」と言っていた少女の声は数日も前に聞いたものであったが、今、尚彼の裡に響いていた。すっかりと委ねられた華奢な身体を不必要に揺らさないよう、虎杖はゆっくりと身体を捻って、腕を伸ばす。自然、少女の円な頭に顔が寄る。シャンプーの香りがふわふわと鼻腔を擽った。酒に酔うとしたら斯様な心地になるのだろうか、との感慨が青き精神に過る。後、少し。爪がリモコンの角を掠めた。
しかし、そんな彼の献身も虚しく。少女の睫毛がふるりと震える。むずかる様な吐息。髪の一筋にも触れず、何一つも悪い事はしていないと言うのに、虎杖は反射的に全身の筋肉を硬直させた。ぎこちなく首を巡らせた先で、ゆうっくりと目蓋が持ち上がってゆく。眠気に抑え込まれているらしく、半分以上は開かなかった。少女は眉根を寄せて目をしばしばとさせると、覚束無い様子で虎杖と言う枕から上半身を起こす。あたたかな重石が外れた虎杖は、素早くリモコンを引っ掴んだ。手元を見ない儘に一時停止ボタンを押して、「夢子先輩。」と呼び掛ける。支えを失い、前後左右にぐうらぐうらと揺れている彼女の耳に、果たして届いているか、如何か。朦朧として定かならぬ少女に、そんなにも眠いのであれば部屋に戻った方が良い、と虎杖は続けようとする。その目の前で、ソファから落ちかねんばかりに一際大きく五体が傾いだ。舟を漕ぐ危なっかしい肩を、今度は虎杖の方から支えに行こうとする。が、少女は、は、として持ち直した。そして、何かを思い付いたかの様にもぞもぞと脇へとずれ出したのであった。「先輩? どしたの?」。何事だろうか、と見守る虎杖から距離とも言えない距離を少女は確保して。それから、ぱたり、と。虎杖の太腿へと倒れ込み、ふた度、寝た。それはもう健やかな寝顔を浮かべて、寝た。幾ら後輩相手とは言えども、曲がり形にも男の膝を借りて、少女は無防備にも寝たのだ。
「……嘘でしょ……。」と途方に暮れた声が虎杖の口から転び出て来たが、まことである証拠に、静まり返った室内にあっては、安らかな寝息ははっきりと聞こえるものなのであった。安定した姿勢になった為か、今度の眠りは先程よりも深いものに見える。――如何したものか。如何するべきか。虎杖は思案した。斯様に安心し切った表情を見せられては不用意に触れるのは気が引けたし、気持ち良く寝ている所を邪魔されるのは嫌な気分になるとの覚えもある。この儘寝かせてあげる事こそが、最良の選択なのでは。虎杖は、先程引き寄せたリモコンでテレビの音量を下げた。聞こえるか聞こえないか、夢の中に届くか届かないかの、ぎりぎりの音量に設定する。この映画が終わっても目を覚まさないようであれば、抱え上げて、部屋迄送り届けよう。そう決めて、停止していた画面に時を戻すべく、再生ボタンを押し込もうとした――瞬間。
「やっぱ寝ちゃった?」
突然、背後から降り掛かった声に、虎杖は悲鳴を漏らしかけた。喉元から飛び出して舌に乗ったそれを、膝の上の寝息の安寧の為に、寸での所で奥歯で噛み殺す。勢い良く振り返ると、何時の間にかそこには黒い壁――と見紛う程に縦に大きな体躯が。黒衣に沿って首を上へ上へと向けると、サングラスの下で飄々と笑う担任の頭が載っていた。「ご、五条先生。」、虎杖が声量を落としてその名を呼ぶと、「や。」と五条は高い場所から応じた。
「面白い事になってるね。……ハハッ、ぐっすりじゃん。」
「俺、どうしたら良いと思う……?」
「そう言うイベントだと思って喜んどけば?」
「いや、どう言うイベントよ。」
マイペースな事に、的確な答えは無かった。代わりに、五条は背筋を撓ませて張り詰めた所の無い彼女の寝顔を覗き込むと、目を細めた。そうして、ふくふくとしたその頬に甘やかに人差し指を埋める。
「夢子、観たがる割りには映画を観るのに向いていないんだよね。クライマックスまで観られた映画って、そう無いんじゃないかな。」
「そうなの? てか、そんな事したら起きるんじゃ……。」
気遣いなど何所吹く風で、骨張った指先は、無遠慮にその柔らかさをふにふにと楽しんでいる。膝を貸している虎杖としては気が気ではなかった。だが、五条は声を落とす事もなく訳知り顔で軽く笑い飛ばす。
「大丈夫、大丈夫。これくらいで起きた事ないから。前も――」
例を挙げようと五条の双眸がディスプレイを見遣ったが、登場人物達は総じて動きを止めており、静止画の趣となっていた。「へえ。」と溢れたそれは、少年の少女への心配りに感嘆した風にも取れる。それから五条は、ソファの正面へと回り込んだ。横になった少女の肩と膝の裏へと手を差し込んで、「よっ。」と。短い声と共に、すやすやと夢見る少女を抱き上げる。羽毛布団でも持ち上げているかの様な軽やかな動作であった。それを見上げる虎杖と目が合うと、五条はディスプレイを顎で示した。
「僕が送るから、悠仁は続き観てな。」
「あ、うん。よろしく?」
「ほいほい。」
長い歩幅はゆったりとしたものだ。少女の安眠を守ろうとの事なのだろうか。虎杖は、今や広い背中にすっぽりと隠されてしまった柔らかな寝顔を思い返す。抱えられて宙ぶらりんとなった彼女の脚が微かに揺れるのを見ながら、「あ。ドア。」。両手が塞がっているのならばドアを開けてやった方が良いだろう、と腰を浮かせた時には、しかし、五条は器用にも少女を片腕で抱き直して、ノブを回していた。閉める時には行儀悪く足を使っていたが。耳を澄ませてみれば、靴音はもう地上に出る所のようであった。だとすれば、これ以上の心配は無用だろう。
腰を落ち着かせて、下げていた音量を普段の通りに戻して、再生ボタンを押す。その時。不図、虎杖は引っ掛かりを感じた。薄ぼんやりとした考えが口を衝いて出る。
「あれ。もしかして俺、マウント取られた……?」
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