jujutsu
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炊飯器の予約ボタンを押し忘れていたなんて。その事に就寝間際のこの時間迄気が付かなかっただなんて。寮母として不覚に過ぎる。
音が食らい尽くされでもしたかの様に、しん、と静まり返る夜半の廊下を一人、ゆく。誰も居ない廊下に在っては、体裁なぞ有ったものではない。大口を開けて欠伸をしながら、布団恋しさに足を急かす。忙しない足音で夜闇を踏み潰してゆくと、私の戦場である食堂迄は、あっと言う間であった。さて、手早く済ませよう。扉に手を掛ける。と。中に誰かが潜んでいる気配がした。丑三つ時も近い、こんな時間だ。勿論、食事の提供は行っていない。そもそも、提供する立場の私がこうして扉の外に居るのだから、出来よう筈も無い。――となると。一息にドアを開け放つ。ぎくり、と硬直したシルエットが見えた。室内は明かりが落とされていたが、そこは勝手知ったる我が食堂。私の前では、食卓や椅子は従順である。障害物となり得る事は無いのだ。ずかずかと併設された調理場へと突き進む。携帯端末のライトを懐中電灯代わりに使っていたのだろう。しかし、闖入者に驚いてその手から滑り落とした今となっては、LEDの鮮烈な光はサーチライトの趣を醸し出している。その中に白々と浮かび上がった顔は。
「こんな時間に何をしているんですか。悠仁くん。」
「……てへ。」
そう。業務用冷蔵庫の大きな扉を開けようとしていた現場を押さえられたのは、一年生の虎杖悠仁くんだった。足下から照らされながらぎこちなく笑う彼を、じっとりと見詰める。引き攣る頬に冷や汗が流れてゆくのが見えた。そこで視線での詰問を一先ず打ち切って、調理場の電気を点けにゆく。暗闇に慣れた目には、電灯の光量は些か刺激が強かった。思わず半眼になる。悠仁くんも瞬きを何度かして、冴え冴えとした明かりに馴染もうとしていた。その脇を通り、当初の目的であった炊飯器のボタンを押す。これで私の用事は終わりだ。落ち着いた。落ち着いたので、次は悠仁くんに向き直る。彼は取り落とした携帯端末を拾い上げる所であった。ポケットに納めたのを見届けてから、糾問の時間を再開する。
「良い子は寝る時間ですよ。」
寮生達の健康を預かる寮母として、ここは敢えて、険の有る声を出さねばならない場面であった。
「腹減って眠れなくて、つい……。ごめん!」
健康的な若者らしい理由と、顔の前で手を合わせて謝ると言う可愛げに免じて、ついつい二つ返事で許してしまいそうになる。しかし、その言葉を看過する事は出来なかった。「一つ、訊きたいんですけれど。」。 口火を切る。
「前科、何犯ですか?」
「………………三………………。」
長い長い沈黙の後に、蚊の鳴く様な声で以て数字が提示される。――矢張り。今迄も、買い置きの食材が不可解に消えたり、作り置きのおかずが不可思議に減っている事が何度かあったのだ。大方、寮生の誰彼か、又は一部……と言うか一人のと或る教職者が摘まみ食いしているのだろうと目星は付けていたのだが、そうか。三度も。頭が痛くなって来て、思わずこめかみを押さえてしまう。加えて漏れ出てしまった唸り声を見聞きした悠仁くんは、「本当にごめん!ごめんなさい!」と深い角度で頭を下げるのだが、何方かと言えば、謝りたいのは此方の方だ。
「――少なかったですか?」
「な、何がでしょーか……?」
「ご飯の量が、です。」
悠仁くんは朝昼夜とよく食べ、ご飯のお代わりも沢山していた筈だが、実はあれでも遠慮していたのだろうか。魂を二つ抱えるようになってしまった分、実は食事量も常人の二倍になったとか、そう言う事も有るのだろうか。となると、買い付ける食材の量も考え直さなくてはならないだろう。であるならば、今からでも追加でお米を研いでおこうか。とても悩ましい問題だ。一人で頭を抱える私の様子を窺うように、悠仁くんはそろりそろりと面を上げた。そして背筋を正すと、首を摩りながら、「いやー……。」と、言い出し難そうに目線を外すのであった。
「いっつも腹一杯食べさせて貰っているんだけどさ。俺、直ぐ腹減っちゃうんだよね。この前も夕飯で白米五杯お代わりしたけどさ、夜中にはもう駄目だった。」
「あー……成程。成長期。若い。代謝良い。若い。」
「何でカタコト。」
突っ込みを受けながら、遠い目でしみじみと回顧する。そんな時代が私にもあったのだ。食べても食べても、夜中になれば呆気無くお腹が空いて眠れない年頃が。当時の寮母さんの目を盗んで、買い込んでいたカップ麺をこっそりと啜った年頃が。あった筈なのだ。今や遥か昔の事で、思い至る道筋すらも忘れていた。
食堂の扉を開いた時の、食料泥棒とは太い奴だ。此所で会ったが百年目。その顔を一目拝んでやろう。などと息巻いていた感情の悉くに水を被せられ、今や、私は、如何にか目の前の少年から、あの耐え難い飢餓感を拭い去ってやりたいばかりとなった。調理場をぐるりと見渡して、先程、彼が侵犯しようとした冷蔵庫の中身を頭の中で復習う。「……そうですね。」。朝食作りをしながら齧る用に常備している私用の食パンを、奥の棚から取り出しにゆく。在庫がありながら、今日、安さにかまけてもう半斤買ってしまったのだが、こうなっては丁度良かったと思う。
「では、簡単にサンドイッチで良いですか?」
夜食の定番であるおにぎりを作ろうにも、当然、お米は未だ炊けていない。訊く体を取ったものの、半ば確定事項を告げたようなものであった。
「えっ!作ってくれんの!?」
「お腹が空いた子を放って寝られませんからね。」
何せ、私は寮母。育ち盛りの若者を食いっ逸れさせるなど、職務怠慢。倫理に反すると言うものだ。それに、厚意を素直に受け止め、諸手を挙げて喜んでくれる悠仁くんの姿には、力を尽くしてあげたいと思うようないとおしさがあるのだ。愛嬌の神様がいるのならば、彼は一等愛されている事だろう。
とは言えども。「何か手伝う事ある?」と尋ねられる迄も無く、先に言った通り、工程は本当に簡単なのであった。各調味料を入れて溶いた卵を電子レンジで加熱して卵焼きを作り、マーガリンを塗った食パンにレタスとハム、それから出来立ての卵焼きを挟む。これで簡単ハムエッグサンドの出来上がり。食べ易い大きさに切り分けてから皿に盛って、食堂の一卓で待たせていた悠仁くんの前に供する。
「如何ぞ、お上がりなさい。」
「頂きまっす!」
律儀にも胸の前で手を合わせてから、一つ摘まんで、ぱくり、と。打てば響くと言った具合に、レスポンスは直ぐに返って来た。
「ウマッ!!」
「そこ迄手間は掛けていませんよ。」
「メチャメチャ美味いよ。マーガリンの塗り方とか絶妙。」
「そこですか。」
思わぬ視点に吹き出してしまう。今のは冗談だったとしても、美味しく食べてくれているのは事実のようだった。空腹に痛め付けられていた瞳が、今はきらきらと輝いて見える。それは決して、天井に取り付けられている電灯の所為だけではないだろう。雄弁に物語る表情で、早くも二つ目のサンドイッチに手を伸ばしている。
「悠仁くん。」
「ん?」
「次は、盗み食いする前に私に相談に来てくださいね。」
時間帯を考えると迷惑になるのでは、などと考えているのだろうか。悠仁くんが言葉を紡ぎ出す迄に掛かったその一瞬を、奪う。
「私は寮母なんですから。そう言う時くらいは頼ってください。」
本心からの言葉を口にして、サンドイッチを作る序でに淹れたお茶で、少しだけ渇いた喉を潤す。「食材の把握にも関わる事ですしね。」、と付け足したのは、自分が何だか傲岸な事を言った気がするからだ。湯呑みの中で織り成された綾から、悠仁くんへと視線を戻す。すっかりと気を抜いた様に笑っていた。
「寮母さん、頼もし過ぎでしょ。」
「こんな所で寮母をやっているくらいですから。」
「確かに……? じゃあ、もう我慢出来ないって時には声かけるようにするよ。」
「はい。そうしてください。」
「それと、盗み食いしてホントごめん。」
今一度、頭を下げて謝られる。こうして食事を挟んで丁重に謝られると、何だか、ハムエッグサンドがカツ丼に見えて来るのであった。我ながらその発想が可笑しくてならず、声を噛み潰して笑ってしまう。近々、何所かの時間帯でカツ丼を提供するとしよう。そう決めてから、悠仁くんの名前を呼ぶ。短い応えを耳に入れてから、私は、二人の間にある皿を指差した。
「では、罰としてお皿洗いは任せましたよ。」
「任しといて!」
間髪入れずの屈託無い返事は、気持ちが良いものだ。それから彼は、腹の虫が責っ付く儘にぱくぱくりと次々とサンドイッチを胃に納めてゆき、それはそれは痛快に白磁の皿の肌を暴いていった。一つ一つ美味しそうに食べてくれるその柔らかな顔は、此所に来る道中、一刻も早くと布団を求めていた事実を私の中から消し飛ばしてしまう程のものであった。
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