jujutsu
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「了解しました。」と、苦い顔で七海が頷いた。
今回の任務についての説明も終えた所で、この案件の肝となる彼女――今は別の任務で僻地へと滞在している彼女へと、伊地知は電話を掛けるのであった。その表情は、七海同様に芳しくない。何しろ、彼女は気分によって対応に斑が出る。気分によって、と言うよりも、相手によって、と言った方が正しい。大抵の人間には省エネルギーな対応をするのだが――安否が心配になる程に長い呼び出し音が鳴る間に、伊地知は七海の方を、ちらり、と窺う。腕を組み、壁に背を預けて目を閉じていた。ふつ、と回線が開く音が、伊地知の視線を携帯端末へと引き戻す。居留守を決め込もうとしていた事が容易に察せられる様な、如何にも面倒臭そうな女の声。それは七海の元にもか細くだが届いた。大方、何時ものように領収書の提出について何か言われると思っていたのだろう。そう当たりを付けて、社会人としてあるまじき事だと、七海は一言添えたくなった。なっただけであるが、果たしてその気持ちを酌んだのは、神か、悪魔か。
彼女に話を付けていた伊地知の眉が、見る見る内に下がってゆく。嫌な感覚が胸に蟠り出した七海に、「……七海さん……。」と申し訳無さそうに目蓋を伏せて、伊地知は携帯端末を差し出した。この世界は悪い予感程当たるように出来ているものだ。七海はこの瞬間、怒濤の勢いで押し寄せて来るであろう言葉の散弾を鼓膜に受ける事が決定付けられた。
彼女は、七海の事が好きだ。好きな人間に対する時には省いた分のエネルギー全てを回すのが、彼女の常であった。極端な恋する乙女の相手は激務と言っても差し支えは無い。肺の中の空気を嘆息の形で全て吐き出し、息を吸い込むと同時に、七海は受話口に耳を当てた。
「もしもし。代わりました。七海です。」
「もしもし! 貴男の恋人の夢野夢子です! キャッ! 本当の事を言っちゃった!」
「役、です。夢野さん。そこは履き違えないでください。」
「大丈夫、大丈夫です。今から役に成り切るべく、こうして恋人を名乗っただけですので……フフ……。」
底冷えする様な不穏な笑い声に、七海は早くも通話を切りたくなっていた。
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――その橋には、鬼女が出る。個人が通り道にする分には何の変哲も無い橋なのだが、仲睦まじい恋人達が通るとなると、話が変わる。橋を渡ってから数日の間に、男女の内、概ね女の方が精神に異常を来たすと言う。次第に、鬼が見える、鬼が其所に居る、鬼が、鬼が、と譫言の様に繰り返すようになり、日毎に神経が衰弱して死に至る、と言う例が幾つも確認されていた。最近では、恐いもの知らずの若い恋人達の中で『愛の試練』と呼ばれ、度胸試しの一つとして周知され始めている。由々しき事態を招いているその呪霊は、地元住民の間では、かの伝説に準えて『橋姫』と呼ばれつつあった。
この度の任務の内容を端的に言えば、そんな所であった。その特異性故に、男女一組で現場に赴き、呪霊を刺激して引っ張り出す。そう言った作戦が立案され、抜擢されたのが七海と彼女の二人だった。
「以上があらましです。伊地知君から説明を受けたでしょうが、何かわからない点はありますか。」
「七海さん。」
「はい。」
「――恋人同士、とは、どんな行為を以て認識されるものですか。」
如何にも真剣じみた口調であったが、しかし、彼女が何某かの目論見を抱いている事は、抑え切れぬ興奮を無理矢理抑え込んでいる、抑圧されたその声音から明々白々であった。これが初めての対話ではない七海が、警戒レベルを引き上げる。取り合わない事が一番の良策なのだ。
「夢野さんは私の隣を歩いてくれれば十分です。」
「お付き合いをすっ飛ばしてプロポーズですか!?」
「違う。」
思わず、強い語気でぴしゃりと叩き落とす七海。しまった、と。流すべきであった所をペースに乗ってしまった己の失策を悔いる彼を知ってか知らずか、彼女は懲りた様子などは微塵も見せず、滔々と尤もらしい口調で語る。騙る。
「あのですね、七海さん。二人で歩いたところで、恋人らしいアクションを起こさなければ呪霊は現れないかも知れません。」
「まあ、一理ありますね。こちらとしても無駄足は避けたい。」
「でしょう!? で、あればこそ、恋人らしい振る舞いについて話を詰めなければなりません。だから、これはとても建設的な質問なんです。――恋人とは、手を繋ぐものですか。」
「世間一般的にはそうなるでしょうね。」
「と言う事は!?」
「……それくらいならば業務の一環に入ると思います。勿論、セクハラ問題もありますから、両者合意の上でと言う事になりますが。」
「私はオッケーにして無問題にしてバッチ来いです! ヨッシャアッ!」
その喜びようだけで、七海は合意したくない気持ちにさせられていた。
だが、彼女の言う通り、並んで歩くだけでは呪霊の気を引けない可能性が大いに有る。下心が成せるものだったとしても、目敏い。目を見張れども、業務連絡はこれで充分だと七海は判断した。国境を隔てている電話越しの彼女はわからないだろうが、彼は既に受話口から耳を離そうとしていた。携帯端末を持ち直し、切断ボタンを押し易いようにすらしている。そうとは気付かず、「こほん。」と、彼女は野太い勝鬨を上げた喉を咳払いで正し、けだものの己を取り繕って淑女然と言葉を繋ぐ。
「――では、次に。」
「次は要らないでしょう。それでは、当日はよろしくお願いします。」
「待って待って! 七海さん待って! ウェイト、プリーズ、ウェイト!」
スピーカー通話にしていないにも関わらず、この声量。会話の邪魔にならぬようにと少し離れた場所に立っていた伊地知も、何事か、と顔を向ける始末であった。咄嗟に耳を塞いだ七海だが、あわや鼓膜が傷物になる所だった。伊地知に掌を向けて問題無い事を伝えてから、渋面のお手本の様な顔で溜息を吐く。携帯端末を再び顔に寄せて、「何ですか。」。溢れて止まぬ溜息を堪えもせずに、言葉に練り込んで短く応答する。
「友人同士であっても手を繋ぐ事は間々あります! こんな事くらいでは呪霊の目は誤魔化せませんよ、きっと!」
確かに、と一瞬だけ過った。
「だから、腕を組んだり、人目を憚らずにキスをしたり、しっぽりとホテル街に消えたりしなければ恋人とは言えないのでは!?」
本当に一瞬だけであった。
「呪霊を祓いに行くと言うのに消えてどうするんですか。それに、セクハラですよ。それ。」
「良識の壁が固い!」
「だから、手を繋いで隣を歩くだけで良いですから。これでも譲歩した方です。」
「折角の機会なんですよ!? 見す見す逃したくないんです! 仲良く――そう、七海さんともっと仲良くしたいだけなんです!」
「仕事に託つけないでください。」
「ごもっとも過ぎる!」
「それに、そうガツガツ来られても良い気はしません。距離感が近過ぎる。」
「押して駄目ならば更に押すべし、との先人のお言葉の馬鹿!」
「存在したかもわからない先人を責めるよりも、鏡の中の人物こそを責めてください。――ですが、念には念を、との言葉もありますしね。」
「! じゃあ!」
項垂れていた子犬が飼い主から許しを得た時の様な声色。電話の向こうの表情すらもありありと浮かぶ程の、満面の喜色。底意有りきの見解だったとしても、納得したのは紛れも無い事実である。きんきんとした大声を長く鼓膜に通していた所為か、痛む目頭を揉みながら、七海は吐息と共に吐き出す。
「腕を組むくらいはしましょう。これが最大限の譲歩です。」
「やったー! 七海さん、好きです!」
「それでは、今度こそ失礼します。」
「少し待ってください。最後に一つだけ!」
「……本当に一つだけですよ。」
訝りながらも素直に聞く姿勢を取っている事に、彼女に絆されていると感じる七海。そこに気付いたのであろう。彼女は、「はい!」と、取り分け嬉しそうに弾けんばかりの返事をした。そして、それから。
「ドレスコードはありますか!?」
「――は?」
余りに浮かれた発言に、絆されていた筈の七海の声が零度を下回る冷たさを記録した。端で控えていた伊地知も釣られて肩をびくつかせる始末である。
「話を聞いていましたか? パーティー会場に行く訳ではありません。」
「七海さんが私に着せたい格好はあるか、と訊いているんです! 例えば、ウエディングドレスとか、白無垢とか!」
「動き易い格好で来てください。」
「ビジネスライク!」
「ビジネスですから。」
これ以上は話を続ける事なく、今度こそ七海は通話を切った。ボタンを押す直前迄彼女は何某かを叫んでいたが、無視した。
袖口で画面を拭い、様子を窺っていた伊地知に、「終わりましたよ。」と声を掛ける。いそいそと戻って来た彼に、七海は静まり返った携帯端末を手渡した。点灯していない画面に映り込む七海の顔は、何十連勤の地獄でも超えて来たかの様な有り様であった。
「お疲れ様でした……。」
「もう慣れました。」
何か言いた気な伊地知の視線を受けながら、七海はネクタイの結び目に手を掛けて少しだけ寛げては、虚空を仰いで、本日最後となる長息をする。
▼
後日。
恐いもの見たさで件の橋を訪れようとしていた若いカップルは、道中、スーツをぱりっと着こなした男と、一張羅と思われる気合いの入ったワンピースドレス姿の女と言う、ちぐはぐな組み合わせを目にするのであった。男の落ち着いた様子と女の幼気に浮かれた様子から、パパ活、と言う言葉がカップルの間に過ったが、腕を組んでいるにしては余りに温度差がある。女は男の体勢を崩そうとでもしているのか、頻りに絡んだ片腕を引っ張っている。スーツの袖が取れそうなくらいに見えるのは、女がしがみついているからか、男が抵抗しているからか。何か問答を繰り広げているようであったが、その内に女は痺れを切らしたようで、「ほっぺにちゅー! ほっぺにちゅーくらいならば許されるでしょう!」と言う、腹の底、もしくは魂の底から張り上げられた明け透けな要求が朗々と辺りに響き渡った。おどろおどろしい雰囲気をぶち壊すそんな二人を見ては、恐れ知らずのカップルとて、回れ右をする以外にないのであった。
そうした彼女の献身、または渾身のお陰なのだろうか。橋の呪霊は難無く現れ、そして難無く祓われた。彼女は嘯く。「これぞ愛の力が成せる業ですね!」、と。
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