jujutsu
name change!
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丸くなった背を摩ると、背骨の固い手触りに当たった。
無脊椎動物だと思っていた訳では決してないが、それでも。彼は人間なのだと、この時になって初めて実感を得たのだと思う。
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コンビニのレジ袋に留守を任せて、急ぎ、夜の中に佇む自動販売機へと駆けた。憩いの自室への利己的な心配半分、どんなに高名な予言者だって見通せなかったであろう彼の不調への純粋なる心配半分と共に、飲料各種を胸に抱いて足早に来た道を戻る。如何やら、留守役が務めを果たす事はなかったようだ。悟さんの側にぺたんと侍っているそれに胸を撫で下ろして、幾つものペットボトルの中から飛び切りに冷えた水を抜き出し、手渡す。
「はい、お水です。それから、スポーツドリンクと温かいお茶も買って来ました。水分、確り摂ってくださいね。」
「わー、至れり尽くせり。」
気怠そうに受け取るその頬は、吃驚する事に、障子紙の様に真っ白いのであった。
私のベッドを背凭れに、障害物並みに長い足を投げ出して床に座っていた悟さんは、冷水が充填されたペットボトルを熱冷まし代わりに額に当てた。漸く人心地ついた様子を見せた彼に、「少しは楽になりましたか。」。レジ袋を回収為い為い、求められたら何時でも差し出せるようにスポーツドリンクとお茶を手に手に、隣に腰掛けながら尋ねる。くったりとした体躯から、「んー……。」と気の無い返事が漏れ聞こえて来た。冗談みたいに歯切れが悪い。本調子でない事は、例えば赤子が見ても明らかだったが、それもその筈である。
「まさか、貴男が下戸だったとは。」
「だね。意外だった。」
「それは此方の台詞です。」
寮の玄関にじいっと座り込んでいたものだから、何事がそこに在るのかと、最初は心底から怯みもした。恐る恐るその背中に声を掛けてみると酩酊していたものだから、更に怯んだ。何でも、硝子さんの、「二十歳になった事だし、アルコールへの耐性がどれ程のものか調べてあげる。」との一声で酒の席を共にしたのだと言う。だが、カルーアミルクを一杯舐めて、敢えなく悪酔いしたとの事であった。しかも、「ここで吐くのはやめて。それと、私はこんな甘い酒は飲めない。持って帰ってくれ。」と、早くも目を据わらせた硝子さんから、中身がたぷたぷに詰まったカルーアの瓶を相棒として持たされて、寒空の下に放り出されたとの事。そして何とか手頃な――通い慣れた寮へと転がり込もうとしたものの、気分は悪化の一途を辿った為に、一歩踏み込んだその場で休んでいたそうな。そこに、任務から帰った私は鉢合わせたのだ。幾ら大抵の難事は退ける男だとしても、斯うも異常な状態で、しかも真冬の凍てつく風が忍び込む玄関先に放って置くのは、矢張り気が引けた。その儘手を引いて、近くであった私の部屋へと招き入れて、あれやこれやと世話をしたのであった。
彼が演じた失態をつぶさに回想しかけた時。察しが良過ぎる事に、打ち切るようにして、「……ああ、そうそう。」と。依然としてアルコールが滞留しているのであろう舌が、重たそうに回された。
「夢子さ。硝子に付き合えるんだから、酒、飲めるんでしょ。」
「余程は飲めませんが、絶対に貴男よりはいける口ですね。」
「一言多いな。ま、いいや。介抱のお礼に、それ、あげる。」
ふらふらと揺れる人指し指で示された先のテーブル。そこにでんと鎮座しているのは、目にも鮮やかな黄色が特徴的なラベルの貼られた、濃いカラメル色の艶々とした瓶――悟さんを打倒せしめたカルーアの瓶だ。酒は嗜む。カルーアも嫌いではない。貰い受けない理由は無い。それに何よりも、最強の呪術師を下した酒ともなると、何か、神懸かった強力な呪具にも映るのであった。まったく、其所い等のスーパーマーケットで売られている市販品が、飛んだ箔を付けたものだ。
「それは詰まり、厄介払いですか。」
「失礼な。僕からの愛のこもったプレゼントだよ。」
「……それは有り難くありませんが、有り難く頂きます。」
どれ程酔いが醒めただろうかと、確認の為にも皮肉などを遣ってみる。何が可笑しいのか、けらけらとご陽気に笑い出した。顔を合わせた時よりかは酒が抜けたようだが、これはまた、絵に描いた様な見事な酔っ払いだ。あの、悟さん、が。動けずにいる証拠を前にしても、何度だって舌を巻いてしまう。幾ら最強の称号を担っているとは言えども、アルコールの分解は範疇外なのか。そう考えると可笑しさが込み上げて来なくも無いが、辺り構わず術式を放つような手の付けられない酔い方でなくて良かった、と安堵する方が先立つのであった。
手慰みにペットボトルをやわやわと握りつつ、倒木みたいになっている身体を見詰める。この事態、聞く人が聞けば、鳩がミサイルを食った様になるだろう。介抱した当の私も、俄には信じ難かった。今だって、演技なのではないか、との疑いが捨て切れずにいる始末だ。……そうする理由が無いし、幾ら何でも演技で吐きはしないだろう、と言う所が担保となって、やっと信じられているだけなのだ。このひとのこんな姿、思いもよらなかった。そう。
「――本当に、驚きました。貴男にも人間の臓器が入っていたんですね。」
「何それ。僕の事、宇宙人か何かだと思っていたわけ?」
「だって、ねえ?」
怪訝そうな声色に曖昧に返す。
五条悟。最強の名を欲しい儘に出来るだけの呪力と術式を身に宿す、格別のひと。学生時代を共に過ごしていながら、彼は血も肉も臓器も私とは異なる、人外なるなにかであると、心のいずこかで線を引いていたのやも知れない。偶像崇拝、と言うものだったのだろう。今夜になって初めて己の心の裡を知った事で、ばつの悪さが澱の様に溜まってゆく。
「何にしても、今回は助かったよ。」
「……お節介では有りませんでしたか? 貴男だったら、一人でも何とかしそうですけれど。」
「まさか。流石にこんな酷い目に遭うとは思わなかったよ。ありがとね。」
私のそんな葛藤を知ってか知らずか、神様みたいだと思っていたこの酔態の人は、斯様な言葉を贈って来るのであった。「……そうですか。」、と応えながら、ぬるくなりつつある手の中のお茶へと視線を逃がす。そうして、瞬きを一つ、二つとした後で、彼を見詰め直す。天井を仰ぐ事で曝け出された喉頸が、酒気を帯びてほんのりと桜色に染まっているのが窺えた。普通だ。普通の人体だった。
こんな夜でも、室内でも、何所でも外さないサングラスの下の眼球が目蓋に覆われている事を見留めてから、真冬の外気にも似た温度を湛えてやまないスポーツドリンクのボトルを首筋に当ててやる。「冷たっ!」と悲鳴じみた声が上がった。当てられたのか、此方迄酔って来た気がする。吹き出して、それから、深夜である事を無視して腹から笑う。
「貴男って、本当に人間だったんですねえ。」
「人間だよ、一応。ホント、人の事を何だと思っていたんだ。」
起き上がる事も未だ一苦労なのだろう。正に腹を抱えて笑い転げている私の背中を叩く手には、力が籠っていなかった。
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