jujutsu
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穏やかな風を頬に感じて意識が浮上した。目蓋の裏からは陽光を見つけられず、今が夜半であると察する。奇妙な話だ。就寝時には窓を閉める習慣が私の中には根付いている。それは今晩とて例外ではなく、施錠した事を確認してから寝具に身を委ねた。だから風が侵入する余地など一条たりとも無い。若しくは強盗だろうか。それこそまさかだ。何せ此所は、並大抵の狼藉者が可愛らしく思えるような人間達の巣窟――東京都立呪術高等専門学校、その敷地内に在る寮の一室なのだ。そもそもの話、只の強盗が入り込む隙などあろう筈もなく、只の強盗が目をつける類いの物だってあろう筈がない。だとすれば、この伸びやかなる風の正体は一体。
そうして夢と現の境界を彷徨っている間にも、するり。ふたたび、羽毛でされる様に頬が撫でられる。ひと度であれば気の所為であったと蕩めく儘にも出来たが、勘違いと捨て置く事は、遂に憚られた。
疑問に手を引かれて、巌の如き重さで微睡みを守ろうとする目蓋を何とか持ち上げてゆく。私が漏らしたものではない、小さな吐息の様な音が耳朶に触れた。気配を辿り、視線を巡らせる。そうして目に飛び込んで来たのは、月映えのする白い髪。それは宵闇がとどまるこの部屋に在っても尚、皓月の寵愛を注がれでもしているかの様にちかちかと煌いていた。夢まぼろしそのもののようだ、と思った。
「……さとるさん……?」
カーテンは締め切られ、常夜灯も点っていない室内は暗い。それでも、夜闇を纏っているかの様な黒衣も、眼帯に覆われた白皙の面貌も、何一つ紛れる事はなかった。焦点が定まらないながらも、唯一人、思い当たる人物の名前を口唇で形作る。寝起き、それも途中覚醒では、頭も身体も声帯も中々思うように働かない。自分でも間抜けだとわかるくらいにぽんやりとした私の声を聞いて、何時からかベッドに腰掛けて此方を見下ろしていたその人は、可笑しそうに喉で笑う。
「うん。悟さんだよ。」
頬に柔らかく触れていた風が悠揚たる動きを見せる。頬から眦、額へとゆるりと上がり、前髪を掻き上げられた。意味が有るのか無いのか――恐らくは無聊を慰めたいだけなのだろう、訳もなく生え際を撫でられる。
そこで漸く、先程から私に悪戯を繰り返しているこれは風などではなく、悟さんの指先であったのだと気が付いた。正体がわかると、やおらこそばゆさを感じ始めるもので、気怠い腕を漸う振って、ぺちり。他人を弄ぶ悪い手を細やかに叱ってみる。だが然して気にした様子はなく、今度は得手勝手に耳の輪郭などをなぞり始める。「くすぐったい……。」と訴えると、「やっぱり?」と実の無い返答が与えられた。
「なに……? よばい……?」
「意識が無い子を如何こうする程、悪趣味じゃあないって。いくら何でも。」
二人分の重さを抱え込んだベッドが微かな軋みを上げる。如何やら、悟さんが足を組み直したようだった。携帯端末を探る気力も湧かないのでは、今が何時なのかはわからないが、もう暫くは居座る気満々なのだと窺える。だとしたら、起きて相手をするべきだろうか。でも、もう。目蓋が。重力に敵わない。瞬きをする度に。とろりと眠りの淵へと滑り落ちる。
「さとるさん……。」
「はいはい。」
「じゃあ、なにか、ほかに、ようが……だから、きたのでは……。」
「用、ね。」
ふむ、と態とらしく考える素振りを見せる悟さん。正確な程は定かではないが、こんな時間に態々来訪するくらいだ。万が一にも火急の用かもしれない。それにしては随分と長閑な時間を過ごしていたものだが――嗚呼、もう、勿体振らずに早く答えて欲しい。此方は睡魔に雁字絡めにされているのだ。深く沈む前に、如何か。「はやく……。」。きしり。懇願の様な催促は、もう一度上げられた寝台の呻き声によって遮られた。長い影法師が私に被さる。
「会いたくなったから、会いに来た。それだけさ。」
子守歌みたいに安らかな声に包まれる。
次いで、露わにされた額に柔媚なる体温を感じた。
私の意識はそこでふつりと途切れる事となる。
雀の歌声で目を覚ました、早朝。
あれは全て夢だったのではないかと、先ず疑った。
窓の鍵はきちんと掛けられ、玄関の鍵もしっかりと施され、悟さんは傍らに居なかった。部屋には彼が居た痕跡は何一つとして無かったのだ。だから私は、あれは夢だったのだ、と結論付けた。何とも恥ずかしい夢を見たものだ。思い返すだけで熱が籠る頬に手を添える。だが、それは逆効果であった。夢に見た手指の感触を回顧しているようで、気恥ずかしさがいや増すのだ。
焼け石に水だとしても顔を手で扇ぎながら、そそくさと洗面所に向かう事にした。身支度もそうだが、何よりも、この火照りを冷ます為に念入りに顔を洗いたかった。そうして蛇口の栓を捻る直前。違和感に気付いて、ふ、と備え付けの鏡を見る。そこで私は目を見張った。
鏡の中の私の髪は、覚えの無い三つ編みに編まれていたのだ。
まじまじと鏡を見詰めながら、不可思議な三つ編みの手触りを確かめる。寝癖で少し乱れてはいるものの、未だ編み目が美しい。私には斯様に奇麗に編むだけの技術が無い。寝惚けて三つ編みを編む奇癖も、生憎と持ち合わせていない。
――矢張り、あれは、夢ではなかったようだ。
三つ編みを解いた髪にはきっと、癖がついてしまっているだろう。波打つ髪をヘアアイロンで伸ばして、普段通りに結おうかとも思ったが――勿体無く思われて躊躇われるのであった。で、あれば。編み直す為にゴムを取り払う。朝日の中で会う彼は、秘めやかな夜の逢瀬を誤魔化すだろうか。否。ならばこんな証拠を残してゆきはしないだろう。
熱い頬を緩ませながら、夜を超えて、飛びきりの身支度を進める。
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