jujutsu
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二人分の体重を支えて踏ん張るシングルベッドが、ギイ、ギイ、鈍い悲鳴を上げている。
今夜も今夜とて、私は虎杖くんの部屋に、虎杖くんのベッドにお邪魔していた。そして、隣に寝そべる家主にじりじりと近付き、悪戯心からベッドの端に追い遣る。磁石のS極とN極のように、頑なに拳一つ分の距離を保って後退する虎杖くん。その姿が逃げる手長海老を思わせて、狩猟本能が掻き立てられる。更に追いかけるも、シングルベッドの名は伊達ではなく、高校生二人の遊び場には狭い。はたと気が付けば、虎杖くんの上半身は宙を枕と布団として、床に頭を打ち付けぬよう腹筋の力のみで身体を支えていた。
「ふふ。ここ、もう固くなっている。緊張している?」
「ベッドから落ちそうになっていればそりゃあね?」
腹の、力の凝縮されて盛り上がっている筋肉を触る。Tシャツの上から。序でに、胸もとにでかでかと飾られた無闇矢鱈と凝ったデザインで『TOKYO』とえがかれているプリントもなぞっておいた。絶妙にダサい。原宿で買ったのだとどや顔で言っていた。
虎杖くんの部屋で――男の子の部屋で、二人きりで、同じベッドで寝ている私達は、彼氏彼女の関係ではない。然りとて服を脱いだ事もない。彼から、に限定すれば意図して身体に触れて来る事だって稀だ。恋人関係にある人びとは首を傾げ、爛れた関係に耽溺している人びとであれば眉を顰め、父母が聞いたら叱るだろうが、生憎とどれも身近にいない人びとのご意見だ。
「ほれ。寝よ寝よ。」
「はーい、はい、はい。」
「「はい。」は一回で結構でーす。」
安眠の為のストレッチに代わる戯れにも満足したので、のそのそと定位置であるベッドの壁際に戻る。壁に背を預けると、向こうからは物音一つせず、振動一つ伝わらず、分厚いコンクリートで出来た頑強な箱の中に閉じ込められている感覚に見舞われる。それもその筈である。先輩から聞いたところによると、決まった時間に祝詞を上げる、読経する、と言った縛りを設けている呪術師が実在する以上、他の生徒の勉学の妨げとならぬようにせねばならない。コンクリートの壁の厚さは、曲がり形にも「学校」としての配慮の厚さなのだと言う。悪意の視点を持つ者からすれば、室内に連れ込んでさえしまえば、力の強い者が力の弱い者で遊べてしまうのだが。そうされた事はこれ迄に一度だってない。
虎杖くんは腹筋のみで上体を起こすと、床に降りる。私達の戯れ合いで除け者にされ、ごちゃごちゃに丸まったタオルケットを広げ、私はふんわりと身体を覆われる。
「夢野、電気消してい?」
「ん。」
そう言う動物の鳴き声みたいに短く返事をすると、パチン。常夜灯の薄ぼんやりとした橙色が部屋に紗を掛けた。
虎杖くんの部屋には物が少ない。リュックサック一つで上京して来た、と聞いた時にはその身軽さに驚いたものだが、有象も無象も物があふれている東京に来ても、任務で給金を得ても、物欲は然程湧いていないように見えて困る。何時か、の日に備えて、彼は箱の中を空に近い状態にしておきたいのではないか、と。遺された者が私物の処分に難儀しないように気を遣っているのではないか、と、そう思う度にさびしさで苦しくなる。
「虎杖くん、早く、こっちに来て。」
「今行くって。眠ぃもん。」
仄光るフローリングを渡って来た虎杖くんが、ゆっくり、慎重にベッドに上がる。何時もの事だが、乱雑に自分の体重を乗せてはベッドが真っ二つになりかねない、と危惧しているようだ。その冷や冷やとしている仕草が、私は意外と好きだった。等閑にされず、此所に居る事を無条件で赦されている気がするのだ。
ギシ、ギシ。虎杖くんがこまかに身動ぎをする毎、ベッドが軋みを上げる。呻く声が大人しくなった時、彼の身体はかたわらに横たわっている。私一人で占領していたタオルケットの端を、虎杖くんの腹の上に打ち掛ける。そうして、じい、と。向かい合って眠気が遣って来る時を二人で待つ。
「虎杖くん、未だ起きている?」
「ん。どした?」
夜な夜なこうして添い寝して貰う事となったのは、ひと月程前からであったと思う。東京都立呪術高等専門学校に入学を果たしてより、学業の傍ら、呪霊祓除だなんて怖気を震う任務に就く内に、夜がおそろしくなった。朝がおぞましくなった。大した等級にも値しない私は、朝な夕な生きた心地がせず、生きた人肌が恋しくてならなかった。大丈夫だ、と。無責任にでも良いから、子守唄のように肌を通して語り掛けてくれる存在を求めていた。虎杖くんとの任務の帰り、送迎車の車内で何とはなしにそう打ち明けると、「良かったら、俺の部屋、来る?」と誘ってくれたのが事のはじまりだ。実際、虎杖くんと一緒に眠るようになってから、睡眠の質は大幅に向上した。
身体が筋肉質が故に熱を持っているからだろうか。虎杖くんを包むなり、見る見るタオルケットの内側があたたまってゆく。タオルケットをつま先で引っ掛け、肩を外気に晒す。ただ添い寝をして貰っているだけとは言えども、この状況を釘崎さんや伏黒くんが知れば、虎杖くんは両の頬を腫らす憂き目に遭うやも知れない。けれども。
「大丈夫だって。だいじょーぶ、だいじょーぶ。」
言葉に詰まっていると、私の裡に巣を作る不安を手懐けるように落ち着いた声が掛けられる。月に代わって常夜灯が照らす虎杖くんの顔は、陰影が濃くなろうとも翳りのない笑みを浮かべていた。真昼の太陽の如きからりとした能天気なものではない。私にはそうあって欲しい、との願いがいっぱいに込められた優しい微笑だ。
嗚呼、この部屋から離れられない。
「――ごめんね、虎杖くん。」と呟く。彼が首を傾げるよりも早くにてきとうな言葉を接いで、前置きに変ずる。
「虎杖くん、釘崎さんや真希さんが私と同じ事をお願いしても、部屋に上げそうだよねえ。」
「同じ事?」
「眠れないから一緒に寝て、て。」
「え。俺、そんなに見境無いと思われている感じ?」
「ううん。優しいから。私にしてくれたように親切にしてあげるんだろうなあ、と。」
「あー……えっと……取り敢えず、釘崎や真希さんが眠れないって言うんだったら、食堂にでも行くかな。なんか夜食でも作って、食っても眠れないなら、その場で話し相手くらいにはなるかも。」
「一緒に寝てあげないの?」
「そんなにほいほい女子を部屋に上げるのは駄目でしょ。」
「そんなにほいほい部屋に上がっている私は良いの?」
「いーの。寧ろ、遠慮して伏黒とか狗巻先輩とか五条先生の所に行かれる方が困りますね、男子としては。」
「狗巻先輩や五条先生はわからないけれども、伏黒くんはパーソナルスペースが広くて鰾膠も無く追い返されそうだなあ。行くならばパンダ先輩の部屋かなあ。」
「確かに、あの魅惑のふわふわボディには抗えん。」
うんうんと頷く虎杖くんだが、私の口数の多さから気付いているのだろう。私が中々眠れそうにない事を。
先程つま先を使ってずらしたタオルケットを肩迄引き上げると、虎杖くんの手はその儘つと上がって、私の耳のふちに触れるか如何かの所で止まった。逡巡しているような間を置いた後、躊躇いで揺れる瞳と声で以て尋ねられる。
「あのさ。髪、触って良い?」
律儀だ、と可笑しくなってしまった。此所は彼の部屋で、間借りしているのは私なのに。私の求めた、添い寝して欲しい、と言う領分を超えないようにしてくれる。何時だって他人を尊重してくれる彼に、「どうぞ。」。赦しに迷いなぞあるものか。
答えを得ると、ふ、と。頭蓋骨の輪郭に沿って、骨太の大きな手の平が置かれる。あたたかい、と、あつい、の中間にある体温は丸でカイロが降って来たようだ。
一度、おずおずと髪を撫でられる。二度、こわごわと髪を撫でられる。三度、しみじみと髪を撫でると、虎杖くんがぽつり。
「頭寒足熱、って言って、頭を冷やして足を暖めるとよく眠れるんだって。昔、爺ちゃんが言ってたんだ――けど、これだと頭暖めてんじゃんね。」
自らの勘違いに気が付いて、虎杖くんは夜を壊さぬような小声で照れ臭そうに笑った。
時計の秒針の音、静寂のキインとした耳鳴り、朝の訪れを知らせる鳥の鳴き声。耳を刺激する夜の只中の音は何れも眠りを急かして、追い立てられた睡魔は焦って焦って、脳味噌の奥へ奥へと身を隠してしまう。けれども、虎杖くんの笑った声は、その声だけは、私も睡魔も安心して緊張をほどいてしまうのだ。
ふふ、と。自然と釣られて笑っていた。
「でも、虎杖くんに頭を撫でられると心地が好いよ。虎杖くん、犬や猫を撫でる事も得意だったりする?」
「犬や猫だと思って撫でてないんだけど……。夢野の事、ちゃんと女の子だと思って撫でているって。」
「おお、プレイボーイっぽい発言ですなあ。」
「プレイではない発言をしたボーイですねぇ。ね。真剣、って英語で何てーの?」
「わからないなあ。トゥルー、とか?」
「じゃあトゥルーボーイ発言だから。」
するり、足の甲に何かが這う。熱さから虎杖くんのつま先だと理解出来た。私の足の甲の形を確かめるようにゆるゆると、親指がつま先へと下ってゆく。皮膚が固い。ややざらついて感じるのは皮膚が乾いて逆剥けているからか。任地では誰よりも最前線に進み、地を踏み締め、自身の肉体を武器として酷使しているから所々傷んでいるのであろう。だとしても、彼は私を傷付ける心算はない。それは、爪を当てないように細心の注意が払われている様子の挙措からわかる。
少ししっとりとし始めた虎杖くんの足の指が、遠慮勝ちに私の指先に小さく絡む。
「……ビビったんだけど、足、冷たくね?」
「万年末端冷え性なんだよねえ。虎杖くんこそ、足、冷えちゃうんじゃあない?」
「俺、体温が高いから丁度良いよ。……水虫は持ってないので安心してクダサイ。」
「なあに! そんな心配、していないよ!」
笑い飛ばすも本人は至って真剣だったらしい。いや、爺ちゃんが病院のスリッパで、だからサンダルでも分けろって言われて来て、としどろもどろに答弁している。それがまた可笑しくて、虎杖くんの足の指先を戯れに摘まむ。
拳一つ分の距離を保って、狭いシングルベッドの上。添い寝フレンドになってくれた虎杖くんには感謝だ。
何時か、夜半に目が覚めて、彼の寝顔を見た事がある。虎杖悠仁の身を仮住まいとする両面宿儺の存在がおそろしくはないのか、と自問した夜だ。自答は即座であった。私達は、何れ死ぬ。復活を果たした両面宿儺の手に掛かるよりも、呪霊に四肢を千切られる方が現実的な営みの中で生きている。だから、君が優しいから、君をこわがる理由にはならないよ。
まばたき、ひとつ。すとん。眠りの沼の底を目掛けて意識が落ちて行った。
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――寝た、と。口に出して確認する事も憚られる程に安らかな寝息であった。
虎杖はふた度、少女の髪を撫でる。今度は寝付かせる為ではなく、己の欲に従っての行動であった。添い寝フレンド、と言う、添い寝のみで夜を明かす男女の仲が巷で流行し出していると聞いた事はあった。まさか、心を寄せている少女からその関係を持ち掛けられるとは思いもよらなかったが。釘崎と伏黒に事の経緯を白状した時、二人の台詞は揃った。「手ぇ出すんだったら筋は通してからにしろよ。」。
フィジカルギフテッドは生来、身体能力が高く、それは五感とて例外ではない。虎杖は人並外れて夜目が利く。その視力で見とめた少女の寝顔は、無防備に口をぱかりと開け、会話の余韻を夢への土産にしているのか口端がふにゃふにゃと弛んでいる。
虎杖は間の抜けた顔付きに小さく吹き出すと、梳いていた髪を背中に流してやり、擽ったさが安眠の妨げとならぬように計らう。
「トゥルーボーイだから、今はまだ友だちで良いよ。」
縦しんば告白を断った彼女が、気を遣い、以後自分のもとを訪れられなくなる事を虎杖はおそれていた。先は茶化しながらも思わず独占欲がこぼれてしまったものの、彼女が眠り易い場所を見付けられるならばそれでも良い。それで、良い。だが、眠れずにひとりで弱ってゆく少女を見ている事しか出来ない事こそが虎杖悠仁にとっての最悪であった。
今夜も虎杖は同じ床の中、好きだ、と少女のそばに居る事で伝える。
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