短編小説(2庫目)

 鉛筆が回っている。

 自分で鉛筆を削れない若者が増えている、
 と、何十年も前から言われている。
 自分で鉛筆を削れない若者たちは歳を取って、自分よりも幼いものたちに、「自分で鉛筆を削れない若者が増えている」と、言う、
 のだろうか。

 回っているのだ。何が? 鉛筆が。
 ぐるぐると回っている。
 旅をしていたと思っていた。しかしその実俺は家にいて、旅など一切していないのだ。
 ご時世のことを考えなくても旅になど出られるはずもない。手持ちがなければ動けない。それならどうする?
 どうするもこうするもない。目の前にあることをただやるしかない。目の前にあるものって何だ?
 目の前にあるものは、鉛筆。それがぐるぐる回っている。
 ぐるぐるぐるぐる回っている。目を閉じても回っている。視界が塞がっているはずなのに、真っ暗闇の中に鉛筆の輪郭だけが浮かんでぐるぐると回っている。
 呪いなのか何なのか、回り続ける鉛筆のことを俺は憎々し気に睨む。
 睨んでも消えるはずがない。当然だ。忌々しいそれ、鉛筆が俺をこんなことにしたのか? それとも俺も鉛筆の削れない若者だったのだろうか。
 そのはず。
 俺は鉛筆の削れない若者で、俺の後に続くのも鉛筆の削れない若者で。
 鉛筆なんて多かれ少なかれ誰もが削れないもので、それを知らずに削れないと言いつのるその神経が何を示すのかなんて。
 そんなことはわからない。
 もし仮に俺が鉛筆を削れなくても、ほとんどの若者が鉛筆を削れるのかもしれないし。
 そんなこと、わかると思うか?

 結局誰が鉛筆を削れようが削れまいがどうでもいいのだと思う。人間というものはそういうもので、ただ連帯したいだけ。鉛筆はそのダシに使われただけなのだ。
 だから俺の目の前に現れてぐるぐる回っているのだろう。
 抗議しているのだ。
 誰に?
 人間に。
 そもそも人間に作られたものなのに人間に抗議するとはどういうことなのか? それとも人間に作られたから人間に抗議をしているのか?
 俺は生まれたくなんかなかった、と人間のようなことを言い出しているのだろうか?
 鉛筆は。

 鉛筆の気持ちなんてわからないから俺は鉛筆を睨むだけ。
 わからないのに目の前に現れて回られたってどうしようもない。そもそも俺は他の誰かに「最近自分で鉛筆を削れない若者が増えている」なんて言ったこともない。
 だけどそういうものなのだ。
 抗議が当の対象に届くことは稀で、それ以外の者がそれを見て勝手に反省するだけ。当人は何も考えずそれまで通りに無神経なことをし続ける。だいたいにおいてそういうものなのだ、世界は。
 と言ってしまうと世界に失望しすぎになってしまうのか、わからない。この通り、俺は正確な人間ではない――正確な人間の目の前に鉛筆が現れてぐるぐる回り出すということはないだろう――から、俺が世界に失望していても、他の全てが世界に失望しているということはないし、逆に、俺が世界を信じていたとしても、他の全てが世界を信じているということはない。
 え? そのことと俺が正確な人間かどうかは関係ないって?
 一理ある。
 というか、何理もある。何においても諸君の方が正しいし、諸君の方が冷静である。それは確かだ。

 こんなことを回していたって何にもならないのも知っている。俺の目の前で鉛筆が回っていることは俺にとっては事実でも、諸君らにとっては幻想だからだ。
 幻想と真実の境目がどこにあるのか俺は知らない。おそらく、「自分で鉛筆を削れない若者が増えている」の中にも幻想と真実の境目があるのだろう。境目はどこにでもあってどこにも――
 存在しないのかもしれない、と思うと少し怖くならないか?
 そんな風に考えること自体月並みでうんざりだし、どのみち俺には真実なんてわからないけれど。

 そんな風に今は回る鉛筆に抗議されている俺だが、少し経てばそんなことは綺麗に忘れてしまって俺もまた言い出すのだと思う。

『自分で鉛筆を削れない若者が増えている』

 と。
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