短編小説(2庫目)

 飲み込むのが無理、という流れで俺は卵を放棄した。
 近所の蛇にやることにする。

 卵を丸ごと飲み込む蛇もいるが、俺は人間なので卵を丸ごと飲み込むのはきつい。
 人間でも卵を丸ごと飲み込める奴もいるとは思うが、俺は無理だ。
 やる前から無理とか言うなよなんて言われそうだが絶対無理。卵が殻ごと喉を通るところを想像しただけでうえっとなってしまう。
 卵の殻の感触が嫌いだ。昔からゆで卵も嫌いで、作っても自分のぶんは家族にやってしまっていた。
 嫌なんだ。
 卵が。

 鶏卵って得体の知れない感じがしないか?
 まずあの形。表面の様子。何も描かれていないのにどこかに顔があるような、そんな雰囲気があって。
 机に鶏卵を置いているとそれだけで誰かから見られているような気持ちになる。
 卵なのに中に人がいるような。
 この場合は人じゃなくてヒヨコか?
 知らないがとにかく俺は鶏卵が苦手だ。
 そんなものを飲み込めと言われても無理な話。
 上司の蛇が無茶振りしてきたんだ。俺は人間だから無理ですって言っても聞きやしない。
 しまいには怒り出したから、後で食べますって言って誤魔化したよ。
 リモートだとずっと行動を見張られなくて済むから楽っちゃ楽だ。
 リモートじゃなかった頃はフル監視みたいな、蛇は監視が好きなのかな?
 人間なのに蛇の会社に入ってしまったのが間違いだった?
 よくわからないが、毎日そんなにつらくなくて働けてるならまあいいんだと思う。
 たまにこんな風に卵を食べろとか言われるのは嫌だけど。

 近所の蛇のところに行く。
「やあ」
「よう」
「卵持ってきたんだけど、食べてくれないか?」
「何、またパワハラ?」
「そうなんだよな。『買ってきてカメラで見せろ、そして食え』とか言われて。あのクソ上司、なんであんなこと……」
「一人前の蛇になってほしいんじゃない?」
「俺は人間だぞ」
「蛇として扱いたいんでしょ。君の会社、蛇しかいないし」
「んな無茶な……」
「まあこれはいただきますよ」
 そう言うと蛇は大きな口を開け、卵を飲み込む。
 あっという間に卵は蛇の口を通り抜け、身体の途中が丸く膨らんだ。
「ありがとな」
「いいよいいよ。それよりどう、調子」
「リモートがだるい」
「あー、人間社会に合わせて蛇会社もリモートになったんだよねえ……」
「俺にしか恩恵がないからな……」
「まあ社も君のためにやってるというよりは社会に合わせてるってのが本当だと思うし、あんまりパワハラとか、そういうの聞かない方がいいよ」
「そう言われてもなあ……悪いよやっぱ」
「転職とかは考えてないの?」
「このご時世転職は無理だろ……それに、入社から3年は我慢しろって言うし」
「あーそれは入社から3年以内に離職されると新卒離職率として申告しないといけなくなるからだよ……」
「えっそれ会社側の理屈だったのか……」
「そうだよ。レッツ転職。いっそ会社なんて辞めて僕のところで働かない?」
「作家先生のところで何をどう働けって言うんだよ……」
「アシスタントだよぉ。買い出しとかネタ出しに付き合ってもらったりとか……憧れてたんだよね、僕」
「そんな財力あるのかお前に」
「むっ! 僕はこれでも売れっ子だぞ!」
「いやそれは嘘だろ」
「売れっ子だと自分では思ってるけど実際は売れない作家です」
「だろ」
「そう……売れないねえ……」
「だろ……いやあ、世の中厳しいよなあ……」
「厳しい……」
「厳しい……なんか俺たちいっつもこんな会話ばっかりだよな……」
「それは世の中が悪いよ、世の中が」
「そ、そうか……?」
「なんでも世の中のせいにすること。そうじゃなきゃ自分を責めてしまうからね。自分を責めるというのは病みの一番の原因なんだぞっ」
「そうなのか……?」
「適当だけどね」
「適当なのかよ」
「作家はみんな適当なことを言うのさ」
「お前、他の作家に失礼だろう」
「蛇作家はみんな適当なことを言うのさ」
「蛇作家がお前一匹しかいないからってお前……」
「ははは」
 蛇が月を見る。
「今日は中秋の名月らしいねえ」
「らしいな。ネットで見た」
「確かに月は綺麗だよね」
 言われて俺も月を見上げる。
「ん……そうだな」
「秋は空気が澄んでてさ……そうやって空に浮かぶ満月は心に直接突き刺さってくるみたいな……」
 言いながら蛇は尻尾を右へ左へと動かしている。
「……詩人か?」
「作家ですぅ。あ、でもこれ書いたらいい感じかな?」
「おう、書け書け」
「やったねネタ一つ。君も小説書かないかい?」
「俺は才能ないからいいよ。お前の小説読んでるだけでいい」
「まあまあそんな」
 蛇は頭を横に振る。
「俺はお前の小説好きだぞ」
「直球だねえ……」
 尻尾でぺしぺしと地面を叩く蛇。
「照れてる?」
「照れてなーい」
「なああいつまだ卵食えとか言ってくるかな……」
「言うんじゃないかなあ……」
「つくづくお前には世話になりそうだよ。小説、できたら読ませてくれ」
「……うん!」
「じゃ」
「じゃあ!」

 蛇に背を向け、歩き出す。

 帰り道、月が大きくて、卵を思い出す。
 卵も月も怖いし俺は好きじゃない。けど、あいつが好きって言うならあいつにやればいいし、そう考えると卵も月もそう怖くはないような気がしなくもないような。
 そんなことを考えて、自分がちょっとだけ口角を上げていることに気付いて、今日は終わり。
63/123ページ
    スキ