短編小説(2庫目)

 今から諸君に話すのは妄想の話だ。

 突然視界がノイズに覆われ、それは出てきた。
 言葉にならない言葉を耳元で囁き、俺の身体を動かなくさせる。
 俺はお経を唱えようと思った、そして唱えた。
 しかし俺はお経のライトユーザーなのでうろ覚えのお経しか唱えられない。間違える度に身体は重くなっていく。
 困ったなあ、と思っていたらそれは消えた。

 それがノイズなんて近代的な表現手法を使うのはそれが現代人であることに他ならない。
 人じゃないかもしれないけど。
 猫かも。
 まあ、それが何であろうと俺はいいんだ。今は夜だろ。夜にこんな話はしたくないけどせざるを得ない。夜しか時間がないからだ。

 最近読んでる漫画が原因なのかもしれない。そういう漫画を読んでいたから。しかしほとんど忘れていたはずなのにどうして出てきてしまうのだろうか。
 とにかく「それ」は毎日出てきて俺の安眠の邪魔をした。何なのかはわからない。色々なそれがあった。
 声がおかしかったり、性別が■だったり□だったり。何でもいいんだ。本当に。とにかく眠りの邪魔をしないでほしい。
 こんなことになるのなら猫が出ていた方がずっとましだ。俺の家に猫はいないけど。

 こんなことになるまで、俺はずっと考えていた。■だらどうなるのかと。
 その興味がそれを呼び寄せたのだろうか。
 それともこれは■■みたいなものとは何の関係もなく、単に俺の脳のバグによる妄想に過ぎないのか?
 わからない。それをおかしい現象だと呼ぶ人もいるし、脳のバグを信じ込んで一日中段ボールを被って過ごしてしまう人もいる。
 その人にとってはそれが真実なのだからいいのだろうか?
 それとも他人にとってはそれはまやかしであって、社会の迷惑になるので収容すべきなのだろうか?
 収容?

 収容は今では時代遅れになっているという。
 メインストリームは地域で生活することらしい。
 しかしこんな疫病が流行ってしまっては地域で生活するも何もない。一人で部屋に引きこもって段ボールを被り続けて飢えるのがオチだろう。
 そんなに悪化した人は収容されるって?
 どうだろうな?
 そもそも俺たちはそれの話をしていたのであって、収容がどうとか段ボールがどうとかそういう話をしていたのではない?
 だがそれとこれは繋がっているんだ。決して切り離すことはできない。どうして「それ」は真実で段ボールは妄想になってしまうんだ? 「それ」と段ボールの間に何か違いはあるのだろうか。

 ひょっとして、世の中で主流の妄想は現実として処理されるのかもしれない。しかし何が妄想で何が現実なのか俺にはわからない。それは俺が狂っているからかもしれないし、世の中が狂っているからかもしれない。
 正常な人間とは何だろう。正常な世の中とは何だろう。そんなものが存在しない、などと述べるのはごくごくありふれた言説ではあるが、それを持ち出さざるを得ないほど今の俺は混迷していて、「それ」が毎晩出てくるのにはほとほとうんざりしているのだ。

 懸命な諸君は「それ」を何だと思うだろうか?
 俺の妄想?
 それとも現実?
 しかし何であっても断定することはできないのだと思う。
 俺がそれに悩まされているということは限りなく俺の現象であって、諸君にとっては他者の事項だ。
 他者の事項について断定することはできない。それは諸君が俺ではないからで、俺が諸君ではないからだ。俺は世界ではないし、諸君も世界ではない。救いが無いな。

 空論を回しているうちに夜も更けてきて、「それ」が出る時間になった。
 どうして夜に限られてるんだろうな?
 そんなことはどうでもいいが、そろそろお経を暗記しないといけないのでこの辺で筆を置く。
 諸君たち。また明日会えるといいなと思いながらも会える保証はない。俺が諸君を断じることができず、諸君が俺を断ずることができないのと同じように、俺も諸君も未来を断ずることはできないからだ。
 もしかすると、未来とは他者なのかもしれない。
 そんなことはどうでもいいって?
 はは。
 それじゃ、また。
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