短編小説(2庫目)

 コンビニからの帰り道、道路を渡った瞬間、車の残響が聞こえた。
 それはとても大きな音で、だけど周りを見渡しても車なんてどこにもいなくて、だったら何が起こったかって、俺が車に轢かれて何もわからなくなったに違いない。

 死んだような気がした。

 轢かれた俺はその場の全てが見えなくなって、「いつもの日常」を構成するもの……帰り道とか、家とか、そういうものしか見えなくなったんだ。
 だからこうやって平気な顔して歩いているし、ヘッドフォンから聞こえる音楽もほら、いつも通り。
 きっとそうだ。

 家に帰るとテレビが点いていて、足が地面を蹴る音が聞こえる。足の叫び声が聞こえる。足の怒号が聞こえる。足の喜ぶ声が聞こえる。
 足。足。足。
 それも日常だ。日常だからここにあるんだ。
 俺は死んだんだ。死んだから、足なんてどうでもいい。
 でも死んだのに足があるのはおかしいな。死んだら足はなくなるって聞いたのに。
 それなら俺は死んでいないのだろうか。
 でも確かに死んだ気がしたんだけど。
 足なんかで生きている証明ができるなんて聞いてない。
 生きてる証明ができたとしても足だぞ、全然嬉しくない。うるさいだけ。

 見ろ、足の叫び声は止まない。
 俺はテレビを消したかったがテレビの前には半透明のスライムのような生き物が座っていて何かを叫んでいる。
 スライムが見てるんじゃ消せないな。
 勝手に家に入ってきてテレビを見るなんて迷惑なスライムもいたもんだ。
 それともここはスライムの家だったっけ?
 俺が勝手に入っているだけで?

 スライムには足がない。それならスライムは死んでいるのだろう。
 テレビには足がある。それならテレビは生きているのだろう。
 生きてる証明。俺には足が?
 よくわからない。あるような気もするし、ないような気もする。
 ヘッドフォンを取ろうと思ったが、取ると足の叫び声が聞こえるので取ることはできない。

 困ったな。困ったことばかり。
 困ったことばかりでこの世は構成されているから死んだところで困らない。困ったことが一つ増えるぐらいで、この世から離れることは困ったことからの解放で、それなら死ぬこととは困ったことではないのか?

 平凡すぎる論を回しているから俺はきっと疲れている。死んでも疲れるんだな。知らなかった。
 いや、足があるかどうかわからないからまだ、死んでいるか生きているかはわからないんだ。死んだような気がしただけで。
 でも死んでると思うんだけどな。

 そんなことより買ってきた野菜ジュースを飲まないとぬるくなってしまう。

 俺はヘッドフォンをつけたまま食卓に座り、野菜ジュースを啜った。
 そこではじめて「あ、俺今生きてるな」と思った。

 それで終わり。
75/123ページ
    スキ