英雄たちのロンド

「メラザリル先生! 次の! 原稿は!」
「また来たの……? まだだよ」
「皆が待っておりますよ! 英雄業だけでなくこっちにも集中していただきたい!」
「帰って」
「嫌です!」
「帰って。今は書く気分じゃない……」
「……」
「ごめんね」
「わかりました。先生がお嫌なのであれば……」
 編集者が引き下がる。
 ドアを閉めて、遠ざかっていく編集者の背中をメラザリルは窓から見送っていた。
「はあ」
 ため息。
 メラザリルは文字使いの英雄だ。彼の書いた文字は力を持ち、炎や水、果ては知的生命体まであらゆるものを生み出し変化する。
 そんなメラザリルは英雄と兼業で作家をやっている。英雄になる前からやっていたその職業でメラザリルは大層成功しており、国から支給される英雄給付金がなくともやっていけるほどであった。
「書けと言われてもね」
 再度、ため息。
 メラザリルが英雄となってから、書いた本は全てベストセラーになった。
 この国で、英雄は憧れの存在。そんな英雄が書いた本となると、売れるのも当然であった。
 だが、メラザリルは内心複雑であった。
「……はあ」
 今日は任務も何もない、いわゆるオフ日。最近ずっと英雄の仕事ばかりしていたメラザリルは久々の休みにブラウニーでも焼こうと考え、買い置きしてあった材料をテーブルに広げ終えたところで編集者の到来。
「一気に疲れちゃったな……」
 部屋の隅にある本棚に目をやり、首を振る。
「ううん、でも、今日はおいしいぶらうにゃーを焼くんだ……うん」
 腕まくりをし、三角巾をしめ、オーブンを余熱し、メラザリルは気合いを入れる。
 そのまま作業に取りかかる。お湯を沸かし、材料を溶かし、粉をふるい、無心でやっていく。
 メラザリルはお菓子作りが趣味で、休みになるといつもこうして菓子を作る。一人で食べることもあれば、仲間に分けることもあり。相手の喜ぶ顔はメラザリルにとっては報酬だった。
「小説も……同じだって思ってたのにな。それなのに……」
 メラザリルはまた首を振る。
「いかんね、お菓子作りに集中しないと」
 材料を混ぜ、型にはめ、オーブンに入れたら一休み。
 いつもならここで本でも読むところだが、今のメラザリルはそのような気分ではなかった。
「……」
 椅子に座ったまま黙って本棚を眺め、背表紙の題字を追う。
 どれもこれも自分が手にかけた本ばかり。
 メラザリルは文字使い、その武器は本。用途は様々、文字を書き込んだり出したり触媒にしたり。
 一番よく使う本は白紙で、白紙ならば何にでも使えるため愛用している。
 メラザリルは仕事内容によって本棚から使う本を選んで使い分ける。自分が書いた本のこともあれば、昔の作家の本を使うこともあった。
 文字で空間に穴を開ければ好きに本を取り出すこともできたが、メラザリルは本棚から一冊選んでそれを大事に持っていくのが好きだった。
「……」
 メラザリルは立ち上がり、棚を開ける。
 茶葉は、と探して袋が空になっていることに気付いた。
「あ、買い忘れた……」
「先生!」
 ばたんとドアの開く音。
「紅茶ならここに!」
「げ、編集者くん」
「どうですかどうですか、この茶葉」
「確かに僕の好きなやつだけど……」
「だけど?」
「だけど、僕は君がここにいるのが気に入らないよ……」
「すみません! でも先生のブラウニーが食べたくて!」
 ぐ、とメラザリルが言葉を呑む。
 そう言われることに弱いのだ。
「……はあ。君はいつもそうだ。あんまりそういうことしないで欲しいっていつも言ってるのにいつもいつも」
「すみません先生!」
 びし、と敬礼する編集者。
 オーブンが鳴った。
「ブラウニーができたようですが!」
「あーそうだね……」
 お手伝いします、と言う編集者を断り、メラザリルは茶を淹れ皿を出しブラウニーを切り分ける。
「はいどうぞ、食べたら帰ってね」
「ありがとうございます!」
 しばらく編集者は無言で食べていたが、ややあって、
「先生」
「……何」
「悩んでおられるでしょう」
「……」
「編集者にはお見通しです」
「はあ……僕、今日はオフだってば……」
「書く気になられないのならば私はいつまでも待つ所存です」
「ああそうしてくれ、自分の家でね」
「わかっております」
 沈黙が落ちる。
「先生」
「何」
「私は先生の書く小説が大好きです」
「……」
「学生時代、道ばたでふと手に取った本。そこには世界がありました」
「……?」
「日常と、ドラマと、はらはらさせられることもありますが、根底にある優しさ。私は感銘を受け、この本をベストセラーにしたい、そのために出版社に入って……」
「待ってそれ初耳」
「言ってませんでしたっけ」
「言ってないよー。何、君、僕のファンだったの?」
「大ファンですよ!」
「急に大声出さないで」
「先生の新作を一番に読めるのが僕だということに毎回大感謝ですよ!」
「ええー」
「でも先生が書けないと言うのなら無理強いはしません」
「ほんとに?」
「しません」
 フォークを置く編集者。
「ブラウニーごちそうさまでした。紅茶も」
「あ、うん」
「帰ります。お邪魔しました!」
 ばっと立ち上がり、荷物を持って外に出る。
「英雄業、頑張ってください。無理はされぬよう」
「……」
 遠ざかる編集者をじっと眺めるメラザリル。
 その夜、メラザリルは久々に筆をとった。



 英雄作家メラザリルの新作は、編集者に憧れる若者の話。今までと違う作風に戸惑う読者もいたが、皆、読むと態度を変えた。
 主人公の情熱に心を打たれ、編集者に憧れる若者が増えたとか増えないとか、そんな噂を聞き流して今日もメラザリルは英雄業。
「……今度はザッハトルテ作ろ」
 本を片手に歩くメラザリルのローブを、初夏の風が揺らしていった。
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