短編小説(2庫目)

 何かが流れている。何かがおかしいと。
 何がおかしいのか。
 おかしいものをそのままにして上にブロックを積んでしまったのでおかしくなった。
 土台がおかしかった、たぶんぐにゃぐにゃだったのだ。
 積んでしまったものは崩せないからおかしいものはおかしいまま。これをどうにかするには業者を呼ぶしかないのだけれど、世界が滅んでしまったので呼べない。そもそもお金もないし。
 世界が滅んだのにどうして俺が生きているのか。
 そもそもこれは俺なのか。僕ではないのか。または私。もしくは彼で、ひょっとすると……
 そんなことを言われても俺は俺なので俺と表現するしか仕様が無い。それ以外になるのは無理なのだ。できないのだ。なぜなら土台がぐにゃぐにゃだから。
 いや、それは言い訳だな。言い訳をしてはいけない。土台がぐにゃぐにゃだから「なれない」のではない。同一性の保持のためには「なれない」、「ならない」のが正解である。
 しかしなおも流れている、耳の奥で流れている。よくわからないモーター音が流れている。何かがおかしいと。
 何が?
 土台が?
 違う。そんなものはもはや重要ではなく、そもそも存在そのものがおかしいと。その存在というのも土台の上に立っているものであるなら結局土台がおかしいことになるので万事オッケー?
 どうでもいいんだ。今言ったことなんて何もかも究極的にはどうでもいい。そもそもよくわからないし。
 何がどうでもよくないか、それは俺が義務を果たしていないということで、世界が滅んでも歯車は回っていて、俺は本当はパーツにならなきゃならなかったんだ。
 入りそびれたので終わりになった。そもそも俺一人欠けたところでどうにでもなる。
 それは希望でもあり絶望でもある。群体の中で換えがきくということ。
 かけがえのない一人になりたがるのは俺なのか、それとも全体なのか。ミクロ的な視点で見るのならかけがえのない一人にはなれる、マクロ的な視点で見るのならそんなものが存在すること自体が軋みになる。
 それならこの歯車が動いているのはどういうことになるのだろうか。
 そんなことは考えなくてもいいんだ。世界は終わったのだから。
 本当に?
 それなら終わってもなお流れているこの「おかしさ」は何だというのだ。
 世界は終わった。
 俺は泣いた。
 終わったことが悲しくて泣いたのではない。ただ己の土台がおかしかったこと、そして、おかしいまま俺も終わらなくてはいけないこと、そのことが悲しくて、いや、悲しかったのかどうかはわからない。
 それは言語化できない信号で、レモンイエローの色をしていた。
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