短編小説

 マスクを無理矢理取られるって?
 この世界線ではもはやほぼありえない話になってしまった。そんな体験をしたのは……違う方の俺だ。
 どこかの俺は何かしらを体験している、それならば「俺」は全てを体験しているということにならないか? 違う世界線に全ての可能性があるのならば誰だって全ての世界線において全てを体験している、等しく平等……いや、馬鹿らしいな、やめよう。
 そんなこんなで俺は歩いていた。ちゃんとマスクもしている。
 魔王とは別件で疫病が流行ってからというもの、この世界でもマスクは手放せぬものとなった。
 疫病について魔王は我とは関係ないみたいな公式声明を出したから、無関係なんだろう。そのはずだ。
 それで俺はというと勇者なのでやっぱり魔王を倒しにいかねばならないだろ。だから旅に出たってわけだ。
 疫病が流行って国民は外に出てはいけないということになったので、俺の途中まで進行していた旅も中断され、パーティも解散された。密になるからだ。
 最近になって王から、一人で旅するならば旅を続けてもよいと言われたので再開することにした。
 魔王を倒さないことには使命も解けないからだ。
 誰が使命を授けてきたのかとかは知らない。てっきり王かと思っていたが、王はわしは知らんの一点張り。
 王国に勇者が出現したなら支援せねばならぬと言って支援はしてくれたが、なんだか終始迷惑そうで申し訳なくなった。
 だがまあ俺もなってしまったなら完遂しなければならない、そういう決まりなんだ。誰に授けられたかとかそういうことを考えるより先に片付けなければいけないことってものがこの世にはある、そういう思考は大衆的だって言われても俺は構わん。だって俺ただの村人だったし。
 俺だって勇者になる前は普通の家に住んでたし、一人暮らしする民草だった。
 今でこそ勇者やってるけど俺小さい頃からこれと言った特技とかなくて、コネで王都のカフェの店員やってたんだよな。収入は少なかったけど、生活に不満とかはそんなになかった。
 剣も魔法もできないのにある日突然勇者の剣が玄関の傘立てに置いてあったのにはびっくりした。傘立て壊れるじゃんって。鞘に入ってたから問題はなかったけど、たぶん駄目だったのは俺がそれを自分で抜けてしまったことなんだな。
 勇者の剣は勇者にしか抜けない。そう決まっている。そのときは何かの間違いで誰かが置き忘れたんだろうって思って、なぜ抜いてしまったのかはわからない。まあかっこいいもの好きなら剣とか憧れるし、なんか抜いてみたくなったんじゃないか? たぶんそうだ。
 それで剣が抜けてしまって、その瞬間頭の中に「やるべきこと」が流れ込んできてしまった。
 自分の気が狂ったのかと思ったよ。でも次の日の朝、王の使者が家に訪ねて来て、勇者はいますかって言うんだ。俺ですって言うしかないよなそんなもの。
 ……話が長くなってしまった。まあそんなこんなで装備やらパーティやら用意してもらって旅に出たけど疫病で中断して、だから今一人でてくてくと歩いているってわけ。
 一人旅は不便だろって? 一人暮らしで孤独には慣れてたし、元パーティメンバーだってテンプレートのような発言しかしないちょっと変わった奴らだったし、特に別に問題はない。手数が減ったのはちょっと不便だったけどな。
 歩いている。歩いている。ひたすら荒野が広がっている。人里離れるとどこもこうだ。荒野が広がっている。それは魔王がそうしたんだと言う者もいれば、この世界は元々こうだったと主張する者もいる。
 魔王さえ倒せばこの世界の環境も少しはよくなるはずだと信じている人は多いが、どうなんだろうな。疫病も魔王の手によるものじゃないらしいし、魔王なんて倒したって世界は何も変わらないんじゃないのか?
 だったら俺が今していることは何なのか、あのとき頭に流れ込んできた「やるべきこと」は何なのか。
 勝手に身体が動いてしまうこの状態は何なのか。
 よくわからなくなってしまう。
 まあ別に、よくわからなくたって問題はない。色々なことがよくわからなくなるのなんて民衆にとっては日常だし、いちいち動揺してたら生活が立ちゆかなくなる。わからないことを適当にわからねえなとか思いつつも流して埋める、それがこの世界をうまく生き抜くこつなんだ。
 使命のこともそうだし、魔物にやられてしまった両親の顔がぼやけて思い出せない、とか、そういえばパーティメンバーはあのあと皆どこに行ってしまったのかわからない、とか、そんなこといちいち気にしてたら何もできなくなる。適度に流す、人生これだよ。なあ。
 普段なら道中を阻む魔物の影も形もなくて、静かな世界だなあなんてため息を吐く。
 王都も人影こそ減ったが繁華街なんかに行くとまだ人が多いって聞くし、働かざるを得ない人も多いんだろう。自分だけはかからないとか思ってる人も多いのかもしれないが、その辺は俺の関与することではない。
 魔物も疫病にかかるのだろうか。
 魔王から出された声明は簡潔すぎて、魔王軍側のことは全くわからなかった。まあ下手に情報出すのも愚策だし、しないよなそんなことは普通。
 魔族の普通とか別に知らないが。
 疫病。
 この疫病にかかった者は存在が破損していき、ある日突然消えてしまうという。
 苦しむのかどうかはわからない。情報統制されている。俺も王に聞いたが教えてはくれなかった。
 疫病にかからなくたって死ぬときは死ぬし、気にしても仕方なくはあるのだが、疫病が流行らなければ死ななかったのに流行ったせいで死ぬのは嫌だよなあ。
 何度目かのため息を吐きながら、脳内で「やるべきこと」をチェックする。
 魔王城への道を三分の二進んだところで旅が中断して、ポータルを置いて戻ったのでそこから再開して、それから結構歩いた。
 勇者は食べ物を必要としない、勇者は眠りを必要としない。だもんで休みなしで歩き続けてどのくらい経ったかな、俺は時間感覚が曖昧なタイプなのでよくわからんが、頭の中の情報によるとそろそろ魔王城が見えてきてもいいはずなんだが、と思った辺りで地平線に小さな点。
 目を凝らす。「勇者」になった者は超人的能力を持つ。故に見える、あれは魔王城だ。
 あとどれくらい歩いたら着くかな。そんな判断もできなくて、まあ歩けばいつかは着くだろうって。
 結局道中一匹も魔物に会うことはなかった。
 パーティで旅をしていた頃は結構な頻度で魔物に邪魔されてたのにな。まあ会わないなら会わないで楽だし別によくはあるのだが。
 カフェで働いていた頃、そんな風になんでもまあいいかで片付けてしまうのがお前の悪いところだとか言われることもあったけど、まあいいかで流していないとこんな世界で生きてくことはできないだろ。そうじゃないのか。なんてことは言えないし。だって言ったら変な人だと思われるだろ。
 まあそれだってどうでもいいんだ。今さら何があったって俺の性格が変わるわけでもない。
 面倒になってきたので俺は走る。無駄に瞬間移動魔法を使って距離を短縮していく。
 瞬間移動魔法とかカフェ店員時代は知らなかったし使ったこともなかったが、勇者の「やるべきこと」の情報の中に入っていた。だから使っている。便利なものだ。そしてこの勇者という役割はつくづくチートだと思う。普通の人が努力しても一生できないようなことが一瞬でできるようになってしまうのだから。
 いっそみんなにこの役割を配ってしまえばいいのに。
 まあそんなことしたら戦争になるか。
 世界はうまくいかないものだな。
 そうこうしているうちに魔王城に着く。
 外観は城、で、黒い雲のようなものがところどころにかかっている。いかにも魔王城という感じだ。などと思っていたら、入り口に石の板が貼ってあって、「魔王城」と大きく刻まれていた。
 なるほど、わかりやすい。
 城門を開けて中に入るが魔族の気配も魔物の気配も全くない。門番などもいないなんて不用心だな。まあ戦わなくてよくなるから楽ではあるが。
 前庭を抜け、城内に入り、廊下や大広間などをいくつも抜けて、ようやく玉座の間に通じているらしき扉の前に立つ。
 トラップなどがあるかと思ったのだがなかった。そして魔族にも魔物にも会わなかった。ひょっとして今日は休日だったりするのだろうか。魔王軍にも休日があるのか……意外とホワイトなのか?
 扉を開ける。視界が開ける。玉座の間。
 誰もいない。
 魔王が座っているはずの玉座にも、それを守る衛兵が立つはずのスペースにも、誰一人。
 静まりかえっている。
 ひょっとして、この魔王城に今いるのって俺一人だけだったりするのだろうか。
 無人の魔王城に勇者を誘い込んでおいて、魔王城ごと始末するとかそういう?
『それは違うな、勇者よ』
「あ、いたのか」
『いたわけではない……残っているだけだ』
「それはつまり……と、自己紹介が遅れたな。初めまして、俺は勇者だ」
『初めまして、私は魔王だ』
「それで、残っているとはどういうことだ」
『言葉の通りだ。魔王軍は疫病で壊滅した』
「おや、それはご愁傷様だな」
『魔王である私も同じくな』
「死んだのか」
『ああ、死んだ』
「死んだのになぜここにいる?」
『データの残りカスのようなものだ。「魔王」という役割は「勇者」によって倒されることでしか滅びぬ……疫病で存在が消えようともそれは同じだ』
「よくわからんが、俺が倒さないとお前は消えないのか」
『それはクリアしている……相打ち、とカウントされているはずだ』
「相打ち?」
『まだ気付いていないのか』
「……どういうことだ」
『我同様、お前は死んでいるということだ』
「何だって……」
『ご愁傷様、とは我の台詞でもあったというわけだな。今ここにいるお前はデータの残りカスでしかない』
「……そう、か」
『ああ。そして何の因果か我が死んだのもお前が死んだのもほぼ同じタイミングだったのであろう』
「それで相打ち判定になったわけだ」
『そうだ、こうして我々が邂逅し適切な処理を踏むことで正式に相打ちカウントがされ、役目は次代に引き継がれる……』
「面倒だな」
『なんだと』
「適切な処理、がもう面倒だ。このまま永遠に役目を引き継がず存在していてもいいんじゃないか?」
『な……』
「だって俺……勇者、も、魔王、も、迷惑だろう」
『迷惑?』
「時代遅れなんだよ。うちの王だって、勇者が出現したなら支援せねばならぬってすごい迷惑そうだったし、今さら世界の遠くにいるか近くにいるだかわからん何かから使命を受けて動く勇者も魔王もさ……いらないだろって」
『いらないことはないだろう』
「でも意味ないだろ、魔王がいたって」
『そんな……確かに魔王は半ばお飾りではあったが』
「お前だって俺の道中を邪魔することこそあったが王都に攻めてきたりはしなかったじゃないか」
『無用な戦闘は避けたかったしな』
「向こうから来たから迎撃する程度なんだろ?」
『……』
「今の時代には無駄なシステムなんだ、そんな無駄なことは繰り返さない方がいい、今こうやって不具合みたいなことが出た時点で止めれば次の被害者は出ない。そう思わないか」
『わからない……』
「わからない?」
『我には何もわからないのだ……言われれば言われるほど、そうかもしれぬという気がしてくるし、逆にそうでないかもしれぬ気もする……』
「そういうときは放置して埋めるのがいいんだ。適当に遊んでれば忘れるさ」
『そうか……?』
「そうだよ」
『選ばれし者、は必要ない、のか』
「あらゆる世界線を見れば誰でも全てを体験している……のならば、全ての世界線を合計すれば俺たちは等しく平等……つまり、選ばれし者も必要ない」
『そうか……、そうか?』
「そうだよ」
『そうか……』
「時間は無限にある。ゲームでもして遊ぼうぜ」
『ああ……』
 では、よろしく頼む、と魔王。よろしくな、と俺。
 ずっと着けていたマスクを外すとそれは宙に溶けて消え。

 かくして冒険は終わる。
 こんな終わり方でよかったのかって?
 知らないな。どうでもいいんだ、そんなことは。
 重要なことは俺たちが平穏を得たってことと、次の魔王も勇者ももういないってことだ。
 これでよかった。
 そう。
 魔王城で俺たちは永遠に遊び続ける。
 たとえ世界が滅んでも。

 めでたし、めでたし。
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