概念サバンナの今日たち

 ライオンはおまえなのか?
 ライオンがともだちなのか?
 ライオンもお前なのか?
 わからない。ライオンは何も言わない。ただ黙ってそこにいるだけ。毎日近付いてきているような気はする、気はするが、正確な距離はわからぬまま、寝て、起きて、寝て、目を開けるとライオンはいる。
 姿は見えない、見てはいけないから。それは許されていないのだ。誰から? 百獣の王ライオンは直接見ると目が潰れる、というのは理屈で、許していないのは他でもない自分自身。自分自身がライオンで、ライオンは俺なのか? おまえなのか?
 ともだちなのか?
 おそらく答えはそれら全て、ライオンはおまえであり、ともだちであり、お前であり、俺なのだ。
 それが真理。
 まやかしの中のものは多重の意味を持つ。だからこそそれはまやかしで、同時に現実でもある。多重の意味を持つその中にこそ現実があり、現実の中にまやかしがある。
 狂気だと思うか?
 そうかもしれない。
 だがそれはある種の人間にとっては紛れもなく真実であり、世界の一端をそれが担っている……聞かない方が良い、まやかしの言葉はお前を惑わす。惑わし深淵に引きずり込む。
 闇は見ない方がいい、狂気は触れない方がいい。
 そうすればお前は温暖でいられる。
 サバンナは遠い、ライオンはおらず、うさぎは死んでいるか生きているかのどちらかで、頭の中で暴れ回ることもない。
 そうすることが幸せなのか、不幸せなのかは俺が決めることじゃない。
 全てはお前のサバンナが握っているのだと。
 それを知るのは俺じゃなかった。
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