短編小説(2庫目)

「さん……お客さん」
「……」
 目を開けて、見回す。
 知らない店。
 今日もぼんやりしていたようだ。
 最近どうも思考が散漫になり、起きていても夢の中のような心地でいる。
「どうですか、この羊。通常■■■■万円のところを今なら特別価格でお譲りしますよ」
「……羊?」
「深い虚無より夢に誘う羊です。この羊があれば、悩み事なんて吹っ飛んじゃいますよ」
「……悩み事があるように見えましたか」
「そりゃお客さん、顔に書いてありますからね」
「……」
 窓ガラスに映った自分の顔は、いつもの冴えない黒髪黒目。
 目の下に大きなクマがあり口はへの字、いかにも人生苦しんでますって感じの。
「そうですね……」
 肯定する。
「ねね、どうですか、そんなお客さんにこの羊。お安いですよ」
「……いくらなんです?」
「聞いて驚け、なんと73万!」
「な、ななじゅうさんまん」
「お安いでしょう?」
「え、いや……73万? 日本円ですよね?」
「もちろん!」
「高い……ですよね?」
「お客さぁん。これ一つで悩みが全て消えてなくなるなら安いもんじゃないですか? 永遠の休みを手に入れることができるんですよ」
「いやあ……」
 店主は中身の見えない黒くて大きな箱をぐいぐい押し付けてくる。
「正直73万もあったら俺、一年普通に暮らせますから……」
「それでも! ね、ガチャでSSRを4体完凸するのといっしょですよ!」
「なんでそんなこと知ってるんですか……」
「なんでも知ってますよ」
「あ、そう……」
 怪しい。
 そもそもこの店は何だっけ。
 どうしてこの店に入ったのだっけ。
 夕方の光が差し込んできている。
 俺は部屋着を着ているが、今日の仕事はどうしたのだっけ。
「ささ、お客さん! SSR4体分! 4体分で永遠の安寧! どうですかどうですか! もう二度と何にも悩まなくてよくなるのですよ! 永遠の休みが得られるのですよ! 嫌でたまらない仕事にも行かなくてよくなるし、面倒な親戚付き合いとも嫌な友人ともさよならですよ! あなたは部屋でこの羊と寝ているだけでいいのです。それだけで生きることが全て許されるのですよ! どうですか、どうですか!」

 それからどう答えたのかは覚えていない。
 隣には羊がいた。
 白くて無機質な仮面、瞳の部分には虚無の穴。
 ボディは白くてふわふわだった。
 話しかけると、
「メー」
 と鳴く。
 通帳から73万減っているのだろうか。
 確認するのも億劫だった。
「……寝るか」
「メー」
 ベッドに潜ると、羊も横に潜り込んでくる。
 ふわふわだった。
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