短編小説

 見ないでくれ。おかしい。見ないでくれ……おかしい。誰も俺のことなど見ないはずなのに、俺は取るに足りない平凡な人間であるはずなのに、どうして奴らは俺のことを見るのだろう?
 バスの中、電車の中、道で、駅で、スーパーで、見ている。皆が見ている。俺のことをちらちらと気にしている。
 服が変だった。髪が変だった。何かが変だった。社会の落伍者を責めている、非難している。
 違う。そんなはずはない。俺はいたって平凡な外見をしているはずだし、仮に社会の落伍者だったとしても外からはわからない、はず。
 なのに見ている。見られている。ちらちらと見ている。視線が刺さる。俺の体を貫通してお腹の辺りまで突き刺さってねじ込んで息を止めてくる。
 恐怖がじわじわと俺を侵食して、叫びだしたくなるが外なのでそんなことはできなくて、ただただ眉間に皺を寄せ下を向くばかり。
 耐えられない。視線に。一瞥だけでも耐えられない。苦しい。誰も俺を見ないでくれ。気にしないでくれ。責めないでくれ。苛まないでくれ、見ないでくれ。
 見る、それすなわち気にする、すなわち排除。視線を向けられた瞬間俺の精神はぼろぼろに崩れ、死に始める。
 邪眼を持ってるのは俺じゃない、奴らが持ってるんだ。俺以外の全員の目が呪われている。どうして耐えられる? 平気で生きられる?
 呪われた社会で平静を保つなど不可能だ。
 だけど俺は普通でいなければならない。突然叫び出すなどありえない異端。普通でいなければならない。落ち着いて、大人しく、聴き訳がよく、物わかりがよく、説明が簡潔で、健康で、健常で、誰にも迷惑をかけず、依存せず、一人で、自立して、生き続けなければいけない。
 普通でいなければならない。
 思考を回しても回しても周囲の視線への恐怖は消えない。どんなに自分を責めてみても容赦なくびしびし突き刺さる。
 結局俺がどんなに自分を責めようが、反省してみせようが、外からの視線は何も変わらないのかもしれない。
 反省してみせることなど当然のことで、最低限で、存在し続けるためには社会の役に立たなければいけない。そんなことは俺が一番よくわかっている。
 だからこそ、役に立っていない今この瞬間に視線を恐れ恐怖してしまうのかもしれない。
 思考。回しても回しても恐ろしくて恐ろしくて。俺は全身から針を生やし、視線を飛ばす人間全てに突き刺す妄想をした。
 それでやっとイーブン。
 なんて理不尽。
 何も悪いことをしていないのに針で刺される奴らのことをかわいそうにと俺は思った。
 日が暮れて、ブレーキランプだらけの道をバスはごとごと進んで、
 家はまだ遠い。


(おわり)
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