短編小説

 彼は蟹だ。そして氷属性。
「僕さあ、実は氷属性なんだよね」
 初めて聞いたときは疑った。蟹が何かの属性を持つなんて聞いたことがないからだ。
 それに蟹は基本水に住む。そんな蟹が氷属性だったら、住んでいるところが凍ってしまうじゃないか。
「うん。だから仲間からは避けられてたよ」
「避けられるだけ? うっかり周囲を凍らせてちゃって脱出できなくなるとかなかったの?」
「それはないかな。ある程度意識しないと凍らせられないから」
「へえ……」
 それなら普段発動することもないのに、どうして避けられていたのだろう。
「ある日突然みんなの前で、お前は氷属性だって言われてね」
「誰に?」
「長老」
「蟹に長老っているんだ」
「いる蟹もいるし、いない蟹もいるよ」
「へえ……」
「能力のある蟹は珍しいんだ」
「ふうん、じゃあ僕は珍しい蟹を引き当てたってわけか」
「そうなるね。もっと誇りに思っていいんだよ」
「誇りに?」
「自慢できるよ。僕の蟹は氷属性なんだって言ったらみんな驚くし」
「いや、それたぶん頭がおかしいと思われるんじゃ」
「どうして?」
「蟹なんて信じてない人の方が多いから」
「変だね、ちゃんとここにいるのに」
「大多数の人は蟹に選ばれるなんて伝説だと思っているからね」
「はあ、つまらない。もっと蟹を信じようよ。世の中には蟹を信じると救われるって言ってる人もいるのに」
「いやそれは怪しい」
「どうして?」
「何かを信じて救われるはずないじゃん」
「でも君だって何かを信じたかったから蟹に選ばれたんだろう」
「……そうなのかな」
「自信持ちなって。君の蟹は氷属性なんだぞ」
「いや……夏の電気代節約できたり熱すぎるラーメンとかを冷ましてくれるのとかは助かってるけどさ……」
「何だい、不満かい」
「不満というわけではないけど……」
「けど?」
「蟹は蟹だからなあ……」
「それはそうでしょ、僕は蟹だし。ね~不満?」
「いやまあ、不満ではない」
「何だよ~含みのある言い方して」
 蟹はぷうと膨れて僕の食べていたポテトチップスを横取りした。
「あ、ちょっと」
「ふん」
 どうやら拗ねてしまったようだ。
 僕はスリープさせていたPCを開け、メールの続きを打ち始めた。
「僕より仕事が大事って言うわけ。ふーん君はそういう奴だったのか」
「違うよ」
「まあ君がどういう奴でも僕は蟹で、君を選んだ蟹だからね。見捨てることも去ることもないし、ずっと側にいると決めている」
 そう。と一言呟く。
 生活に蟹がいること。
 蟹は僕にとって何なのかということ。
 正体不明の存在とほどよい距離を保ちたいと思っているのに流されてしまいそうな瞬間があること。
 なんだかなあ。
 僕はため息をつく。
「機嫌悪い?」
「そういうわけじゃない」
「メールの文面一緒に考えてあげようか?」
「いい」
「まあそう言わず」
「……ポテトチップス返して」
「はい」
「ほとんど残ってないじゃないか!」
「てへ」
「てへじゃない」
「氷属性ってことで許して」
「いや全然関係ないじゃんそれ……」
 再びため息。なんだかなあ。
 全然メールが進まないまま蟹がいる夜は更けていく。


(おわり)
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