短編小説

 永遠の夏が、終わらない。
 朝起きて、部屋で一人。冷凍庫から食パンを出して焼いて、バターを塗って食べて、歯磨きして、顔を洗って髭を剃って服を着替えて、歩いて図書館に出掛ける。
 昼まで本を読んで、図書館についているカフェスペースで昼食を食べて、公園に出て散歩する。すれ違う人に暑いですね、なんて挨拶をして、コンビニに行ってアイスを買って部屋に帰って食べながら借りてきた本を読む。
 夜はそうめんに薬味を入れて食べる。
 風呂に入って歯磨きをして寝る。
 次の日起きたらまた、夏。
 ここ最近ずっと、日付だけが進んで夏の日が続いている。一ヶ月、二ヶ月、半年とちょっと経って、今は3月。暦の上ではそろそろ暖かくなってくる頃だがセミは鳴いているし、日差しはじりじりと暑いし、アスファルトには陽炎が立っているし、図書館ではクーラーがかかっている。
 テレビをつけると三寒四温にスギ花粉、梅の花が咲いています、そんな言葉が流れてくるのに俺の周囲はまだ夏だ。
 職場に電話すると夏休みのアナウンスが流れる。部屋の郵便受けは空のまま。財布の中身は使っても次の日になると元に戻っている。
 こんな機会だしと思って友人たちに電話してみても、仕事が忙しいのかどうかわからないがちっとも繋がらない。
 繋がったところで何をするんだという話ではあるが、長年連絡を取らずに不義理を働いた分の埋め合わせはしておきたかった。
 まあ、かれこれ数年、長いと十数年連絡を取っていない友人たちが、俺の事をまだ友人と思ってくれているかどうかは疑わしいが。
 それでも、図書館で学園ものとか学生ものとかを読んだ日には思い出してしまうのだ。あいつら今頃何しているかな、と。
 俺はもう子供じゃないから、炎天下で走り回って遊んだり一日中プールで泳いだりするほどの体力はない。
 この夏の最初の方は一日中寝て過ごしていたのだが、3ヶ月ほど経った辺りで外に出てみようと思い立って図書館に行ったり、カフェに行ってアイスコーヒーやアフォガートを食べてみたり、家でネットサーフィンをしてみたり、そんな感じのことをしている。
 ずっとこの周辺で時間を潰すのも何だしなと思って12月辺りにふらっと北海道に行ってみたことがあったのだが、そこも夏だった。森林散策ツアーに行き、バーベキューをし、ラベンダーアイスやハスカップアイスを食べて帰ってきた。
 旅行は思いのほか体力を消耗したので、他の場所にはまだ行っていない。だが、次は九州辺りに行ってみようかと思っている。
 俺が行ったところが全て夏になるのなら、日本全国、ひいては世界中の夏を満喫してみるのも悪くない。そう思いながら、図書館で旅行ガイドなんか読んでみたりして。
 そう。俺はこの夏を案外悪くないと思っている。
 子供の頃は、夏が嫌いだった。身体はだるいし、汗は出るし、蚊は飛ぶし、プールに無理矢理送り出されるし、日焼けはするし、エトセトラエトセトラ。夏にいいことなんて一つもないと思っていた。
 だが、いつからだろう、俺は夏を好きになり始めた。
 いつの間にか、好きになっていた。
 それは社会人になってからかもしれないし、ことによるとこの夏が始まってからのことなのかもしれない。
 かあっと照る太陽。じりじりと鳴くセミの声。揺れるアスファルト。肌を刺す空調。汗が冷える感覚。グラスに入った氷が溶ける音。ソーダアイスを噛み砕いたときの感覚。
 それら全てが今は好ましい。
 幼い頃は気付けなかった、気付いたとしても嫌っていた、夏という季節の感覚……それがわかってきたのかもしれない。

 朝起きると太陽が昇っている。それを見ながら水を一杯飲む。
 この国の物語の中では、夏は終わるものだ。
 夏が終わって、寂しい気持ちになりつつも、次の季節、秋の訪れを感じる。
 そうあることが、正しい姿……まっとうな大人の姿だとされている。
 終わらない夏を望むことはただの夢だと、子供の思うことだと、現実ではありえないと、そう思われている。
 俺もきっと、そう思わなければならないはず。だった。
 だが現に夏はこうして続いている。
 大人の俺の夏が永遠に続くなどというありえない事態。
 いや、ありえなくはない。実際に続いているものはただそこに続いているものであって、そこにありえないとか夢だとかそういう評価を落とすのはナンセンスだ。
 嫌いになれない。なる気もない。
 ひょっとすると俺は夏に洗脳されてしまっているのかもしれない。昔は嫌いだったのに、ずっと続くそれに次第にほだされ好きになって、今や満喫していて、終わりの見えないそれを不審にも思わず絶望もせず飽きもせず。
 正直、いつまで続いたって別に構わないのだ。
 終わらない夏。
 一人の夏。
 大人の俺が過ごす夏。

 夜、風鈴の音を聞きながら花火を見る。
 友人たちへの電話は、今日もまだ繋がらない。
 

(夏のつづき)
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