短編小説

 君が突然私の目の前から消えたのは二年も前のこと。その際私は悲しんだ。充分悲しんだと思う。だからそのことについてはもう大丈夫だと思っている。
 私は君に怒っている。何の前触れもなく突然私の目の前から消えて、心の準備すらさせてくれなかったそんな君に怒っている。
 許さないという感情にとらわれてから、私は朝に起きなくなった。以前から朝は苦手ではあったのだが、目が覚めても意図的に布団の中に居続ける。お腹が空いても眠り続ける。夜太陽が沈んでから、近所のコンビニに行って食べ物を買って帰ってきて食べたらまた寝る。
 それを繰り返す。
 目が覚めて顔を上げると、ベッドから見える薄暗い玄関の郵便受けに大量の紙が詰まっているのが見える。その中にはきっと会社からの解雇通知なんかもあるのかもしれない。確認していないからわからない。
 会社には一度も連絡していない。携帯電話は電源を切って放置してあるが、散らかった部屋の大量の物の中に埋もれてどこにいったかわからない。
 君はいなくなった。私は君を許さない。それだけが確固たる事実で、そのほかのことはなんだかぼんやりしているような、ただの背景になっているような、背景ですらなくなっているような、忘れ去られた夢と化しつつあった。
 そもそも、君がいなくなったのに日常が続いているなんてことがおかしいのだ。
 君が消えたら日常は崩れる。なかったことにして毎日過ごすことなどできるわけがない。空白が出現しているのだから。
 人々は君がいなくなったのに平気な顔で喋っているし、空は青いし、雲は白いし、夕陽は眩しいし、部屋の電気も白々と明るい。そのことが空白をよりいっそう際立たせる。空白が目立てば目立つほど理不尽さも大きくなって、許せないという気持ちに薪がくべられてゆく。
 君が憎い。私を置いていなくなった君が憎くてたまらない。君がどこかで元気に生きているのだとでも思えたら、まだこの憎しみは薄まるのかもしれない。生きている相手を憎むのは、かわいそうだから。
 だけど君はもういないのだ。どこにもいない。
 私はいる。君はいない。その間には埋まらない断絶があるように思えるが、君はいないのだから、ないものとの間に断絶などできようもない。いないという事実といるという事実の間の断絶があるだけ。存在と存在の間の断絶ではなく、無色の事象間の断絶。モノクロで、ひたすらに空虚だ。
 起きても空虚。寝ても空虚。食べても空虚。食べなくても空虚だ。それを抱えて生き続けるのは、巨大な分銅を背負うように億劫だった。
 だが、私が消えることはできない。私が消えてはこの憎しみもなくなってしまう。君を許さずにいることだけが今この世界で私が空白を埋めるただ一つの方法で、また、君がいない空白を埋めつつも覚えていることだけが、この世界から君を忘れさせないただ一つの方法なのだから。
 悲しんではいない。それは断じて言える。
 許せないだけ。許さないだけ。私が空白を背負ったことは誰も知らないし、ひょっとすると君自身も知らないのかもしれない。
 それでも私は許さない。向ける相手のいない憎しみをぐるぐる抱えてずっと覚えたままでいる。
 だから私は今日も朝に起きない。
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