短編小説(2庫目)

 ふわふわと飛んでいる、ピンクの象が雲の上を飛んでいる。
 見慣れたイコン。どうでもいい幻想。くだらなくて手垢のついたそれに頼らなければならないほど俺は劣化してしまった。
 劣化?
 元々何もなかったものが劣化するなんて、そんなことは。

 毎日朝起きていた、それが夜にしか起きられなくなったとか。
 毎日仕事ができていた、それが何もできなくなったとか。
 そんなことはもうどうでもよくて、大事なのは俺が■■できるかどうかだけ。
 何に頼っても何もできなくて、最後の砦がそのピンクの象なのだろう。
 あの象は月に祈って涙を流し、そして死んだもの。
 らしい。
 いわゆる■■■■というやつだ。近頃流行のパステルカラー。唾棄すべきもの。俺はそれを嫌悪していたはず。
 はずだった。
 いつからだろう、それに頼らなければ仕事ができなくなったのは。

 いつからだろう。何一つ手につかなくなったのは。
 ぐるぐると回る。

 それが俺を見ている。ピンクの象。こちらに来いと待っている。
 俺は恐ろしくて目を逸らす。人工的に作られたものであれ、自然に作られたものであれ、もたらす結果は同じ病のつまらぬ思考でしかない。
 何もかもがつまらなくなってしまった。吐き気がするほど平凡。ありふれていて、どこにでもあって、病に侵されさえすれば誰でも手に入れられるもの。
 こんなものの何に憧れていた?
 好きな■■■は同じ病だった。
 ありえないと思っていた、理解できないと思っていた。ゆえに天才だと。
 それが?
 天才でない俺がそれになってしまったとき、生まれるのは狂人だ。
 社会に迷惑をかけるただの■■。
 なのでそれはつまり、窓に段ボールを貼り付けて、外に出ないでいること……これだけ。これだけ守れば平穏でいられる。迷惑をかけずにすむ。
 ピンクの象が笑っている。
 そんなことをしても同じ。いつかはここに誰かがやってくる、そのときがお前の破滅のときで、そのときがお前が足になるときだ。
 幸いあれ。呪いあれ。
 狂ったお前を救うものなど誰もいない。
 救う?
 救うとはいったい何なのだろうか。そんなものは存在しないとわかりきっているはずなのに、病に侵された思考はそれがあると思い込んで止まらない。
 愚か者、愚か者。
 俺の世界はとても狭い。
 俺しかいなくなってしまったし、世界は俺なんだ。
 ピンクの象が笑っている。
 全てお前の■■なのだと笑っている。
 わかっている。わかっていない。わからない。わかるはずがない。病なのだから。
 全てが一つになっていく恐怖と喜び。それらに侵されて俺は目を瞑る。
 ゴミだらけだ。
 どうしてそんなことをする?
 俺を見ないでくれ。
 踏まないでくれ。
 何もかも■■なんだ。
 だから俺の勘違いで。
 視界が戻る。
 俺に■■を向けている人間などいるはずがない。それは世界ではないし、それは人間でもないし、全て俺自身なのだ。
 だから世界は俺で……おかしい。何が? 何もかもがおかしい、間違っている。俺は救われない。救われるって何だ? わからない、象が、笑っている。
 笑わないでほしい。
 笑うんじゃない。
 笑うな。
 俺は引き出しの鍵を閉める。
 ここに象が入っている。■さなければ。
 視界が霞む。蝶が飛ぶ。おかしい、何もかもがおかしい。おかしいんだ。おかしいんだ。間違っているんだ。
 それじゃあ何が正しいんだ?
 正しいことなどない。
 間違っていることもない。
 それなら俺はどうすれば?
 象は言った。
 自分で考えろ。
 だから俺は引き出しの鍵を開けて、




(おわり)
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