短編小説(2庫目)

 流してくれ、と言われても、どうすればいいのかわからなかった。

 その日酒場にやってきた勇者が己の悲惨な生い立ちを語ったとき、どう反応したものか俺は迷った。
 不幸なことに、真昼の酒場に俺とマスター以外の影はなく、こんな時間にやってきてしまった己を恨む。
 勇者の悲惨な境遇とか誰が好んで聞きたがる? 吟遊詩人なら喜んで歌にしただろうが、俺は普通の一般人。勇者じゃなくても他人の悲惨な話なんて聞いたって気の利いた反応を返せるはずもなく。
 ああとかはあとか大変でしたねとか、そんなことすら言えなくてひたすら黙り込む。
「ごめんな、こんな話して」
 勇者が謝る。
 いや別に謝らなくてもいいとは思う。悲惨な話をするかしないかは本人の選択だし、それをどうこう言う権利は俺にはない。
 自分の生い立ちの話をするな、なんて言えないし。生い立ちの話がしたくなったならするだろう。溜めてたら病んでしまう。それは勇者でも一般人でも同じ。
 それはわかっているのだが、さすがに悲惨すぎて何も言えなくなった。ここで思考は振り出しに戻る。
「空気が悪くなっちまったな。飲み直すか」
「あ、俺はお酒はちょっと……」
「え? さっきから飲んでたそれ……じゃあ、何だ?」
「これはリンゴジュースです」
「ビールにしちゃ泡が少ないと思ってたが……そうか。じゃあもう一杯おごるよ」
「いや、悪いですって」
「俺は勇者。金ならたくさんあるのさ」
「いえ……飲み切れないんで」
「そうか?」
 勇者は困ったように己のグラスを傾ける。
「ここのビールはうまいな」
 どうも、とマスターが頭を下げる。
「旅の途中で立ち寄ったんだが、こんなにいいとこだとは」
 旅が終ったらまた寄ってください、歓迎しますよ、とマスター。
「それは嬉しいな。……無事帰れるかはわからないが」
 勇者がグラスを置く。
 そんなことを言わないでください、と言うのが正解だった、のだろう。
 俺はやっぱり何も言えずに黙り込む。
 そんなことを言わないでくださいと言っても空気は悪くなるだろうし、だからと言ってこうして流しても空気は悪くなる。
 どうしろというのだ。
 俺は一般人。
 勇者と関わることはできない。
 しかし……
「……勇者さん」
「何だ?」
 名前を呼んだはいいけれど、その後が続かない。
「……」
「ああ……ごめんな、空気悪くして」
「いえ……」
 俺は俯く。
 マスターはグラスを拭いている。
「なんか、何を言っても何にもならない気がして」
「え」
 馬鹿。
 何で言った?
 言っても何にもならない。
「どうしてそう思うんだ?」
 勇者が訊く。
「………」
 俺は黙る。
「黙っててもわからないぞ」
「失礼ですよね。すみません……」
「そういうことじゃないが……」
 困ったように頭をかく勇者。
「……俺なんかが勇者さんに何か言ったって何にもならないでしょう」
「んー?」
「勇者さんは……使命を持ってて。すごい人だ……みんなのために旅をしている。対して俺は……毎日をただだらだらと生きてるただの村人です」
「……」
「そんな俺が勇者さんに何か言うなんて、おこがましいじゃないですか」
「……」
 勇者が考え込む。
 そして、
「やっぱそういう格差みたいなのも世界を荒らしてる原因なんだろうな」
 と言った。
「格差?」
「分断っていうかな。自分と他人は違う世界に住んでるってやつ」
「はあ……自分と他人の線引きはしっかりしないと不健康だと思いますが」
「線引きはな。自分と他人は違うけど、同じ世界に住んでる」
「それは当然でしょうに」
「そうだなあ……同じ空気を吸ってるし、同じ社会に生きてる……俺がここでビールを飲んだら酒場が潤うだろ? そうすると、この村の経済が回る……みたいな」
「よくわかりませんが……」
「うーん……まあ簡単に言うと、そんな畏まる必要はないってことだ」
「畏まりますけどねえ……」
「その割には正直にものを言うじゃないか」
「……」
「ふふ……案外君も俺に心を許してきてるんじゃないか?」
「いやそんな」
「そこで否定するのはどうかと思うけどなあ!」
 マスターがふふ、と笑っている。
「はあ。勇者さんが変わってるってことはわかりました」
「正直だなあ!」
 破顔する勇者。
「無事に帰ってきて君ともっと話がしたいという気持ちになってきたよ、俺は」
「はは……ご冗談を」
 たぶん、それは社交辞令だったんだろう。

 勇者は帰ってこなかった。
 逃げたとか臆病者とか噂されたけど、たぶんあの勇者はそんな人じゃなかったから、たぶん……無事に帰ってこれなかった、つまり、魔王に敗れてしまった、のだろう。
 村では次の勇者の噂なんかが流れている。
 誰もなりたがらないとか託宣が降りないとか。
 気の毒に。

 だけど俺は、あの勇者の敗れた場所に何か花とかそういうものだけ置いてお礼とか言ってそれで終わりにしたいと思って、だから、旅に出ることにした。



 旅路はそう悲惨でもなかった。
 道で拾った剣の切れ味がよくて、適当に振り回しさえすればなぜかいい動きができて、モンスターが襲ってきてもうまく切り抜けられた。
 運がいいんだ。
 貯めていたお金をやりくりして、前の村で買ったものを次の街で売ったりなんかしながら俺は、なんか大きくて暗い城に辿り着いた。
 たぶんここがあの勇者の敗れた場所なんだろう。
 そういう直感があった。
 俺は門を開き、階段を登り。
 ここは違う。
 ここも違う。
 そして、一番大きい部屋に辿り着く。
 おそらくここだろう。
 荷物からドライフラワーを取り出して、床に置こうとする。
『君』
「……」
 ぴた、と手を止める俺。
「まだ死んでなかったんですか」
『ひどい言い草だなあ』
 勇者は、いや、魔王は笑う。
「どうして魔王になっちゃったんですか」
『魔王を倒した者は魔王になる。そういう決まりだったのさ』
「いやな決まりですね」
『それで、君は俺を倒してくれるんだろ?』
「嫌ですよ」
『ほう? どうして?』
「俺は勇者さんに花を捧げに来ただけなので、それ以外のことは管轄外です」
『またお役所的な勇者だなあ』
「僕は勇者じゃありません。ただの一般人です」
『伝説の剣に選ばれてるのにか』
「その辺で拾っただけです。俺と貴方は違う」
『違わないぞ。同じだ』
「違いますよ。俺はどこまで行ってもただの人だ。大したものにはなれません。でも勇者さんは違う。俺よりも広い視野を持ち、理想だってあるでしょう」
『理想? そんなものもあったねえ……』
「いいんですか、そんなところで燻ってて」
『まあ、よくはないな』
「魔王の枷なんて貴方なら吹っ飛ばせるでしょう」
『……言うねえ』
「できないなら」
 俺は拾った剣を構える。
『殺してくれるか?』
「……」
 空気が揺らぐ。俺は剣を……
「………」
 魔王、いや、勇者がぱちり、と瞬きをする。
「どうして」
「どうしてもこうしてもないですよ。剣で因果を切り裂いたんです」
「はー、そんなことができるとはね」
「案外その辺で拾ったものが自体を打開したりするんです」
「何だその豆知識みたいなの」
「あるあるですよ。じゃ、行きましょうか」
「行くってどこに?」
「世界を良くするんでしょう。俺は村人なので、勇者さんが」
「……ふ」
 勇者が両手を広げる。
「君もついてきてくれよ」
「嫌ですよ」
「世界を変えるには一般人の視点も必要だ。俺は一般人としての君を必要としている」
「……」
「どうかな?」
「……魔王を倒した報告は自分でしてくださいよ。俺は勇者じゃないので」



 結局勇者は何もかも正直に報告して、魔王化していた勇者ということで地位が危うくなったりしたが、今は魔王じゃないので大丈夫ですと主張したところ、勇者である君が監視するならいいぞということになり。
 俺は勇者じゃないと主張したが納得してもらえそうになかったので二人で勇者ということにした。
「それはギリギリオッケーなのか」
「オッケーですよ。勇者さんが99%で俺は1%ってことにしてるので」
「ひねくれてるなあ!」
 勇者は笑った。

(おわり)
42/123ページ
    スキ