短編小説(2庫目)

 久々に明るい気持ちになれたって言ったって、結局雪の下に埋めているだけなのだ。
 何も変わらない、解決していない、反吐が出るってやつだ。

 呪われし記憶を引きずって歩いてきたが、それも思い出しているときと忘れているときがある。
 思い出しているときは極端に調子が悪く、心が虚無に呑まれ続ける。反面、忘れているときは調子が良い。心が軽く、なんでもできそうな気がする。
 忘れている状態から思い出した状態に移行するきっかけは、「意識すること」だ。
 自分は「それ」を忘れている、と意識してしまうともう終わり。状態はどんどん悪くなり、さながら坂を転げ落ちる石のよう。どん底までは一瞬だ。
 そんな風に、今日も雲行きが怪しい。
 最近は調子が良いと思っていたのにな。
 まあそんな日なんて数ヶ月に一度あるかないかだ。稀少。
 虚無のねずみが腕を食っているのを見ながら、新聞をひっくり返す。
 調子が悪いときに新聞なんて読んだ日には大変だ。ちょっとした言い回しから関連するあらゆる記憶が思い出されてぐるぐる回る。例えば低気圧の話だったら低気圧関連の調子の悪さ、地の底を這うような胸の痛み。馬の話だったら馬にハマっていたクラスメイトの親のこと、電車の棚に放置された競馬新聞……を見ていた満員電車の虚ろ。
 そんなものがぐるぐるぐるぐると思い出される。そりゃあ調子が悪い。情報は遮断するに限る。
 しかし情報を遮断なんてすると俺はますます世間知らずになってしまって、社会から、時代から遅れていく。
 そんなことが積み重なってもうどうしようもなくなってしまったのだ。
 知っている。これ以上身動きが取れないことを。

 何かを呼べばこの状況も少しはましになる、と言う奴もいる。だが俺はそんなことは信じられない。何かを呼んだだけでましになるなら全ての人間がその「何か」を呼んでいるだろう。似た言説に何かを買っただけでましになるという意見もあるが、これもまた然り。
 苦しんで苦しんでその先に幸福があるなら苦しむ意味もあるが、苦しんだ先もまた絶望であるなら俺に苦しむ意味などあるのだろうか?
 わからない。しかし生きられる限りは生きるしかないのだ。無意味であるから。違う。それは怒りからか。俺に努力が足りないとほざいた奴らに努力など何の意味もないのだと身をもって、俺自身の破滅をもって証明するためなのだろうか。
 おそらく奴らは俺が破滅したとしても「それでも努力が足りなかった」「もっと頑張れたはず」と言うだろう。
 勝手なのだ。
 知っている。
 それでも生きるしかない。生きなければ■■もできないのだ。
 そんな考えはきっと危険だとわかっている、しかしそれがなければ生き続ける希望すらない。危険思想を抱いて実行せずに生きるのと、全てに絶望して勝手に死ぬのとではどちらが歓迎されるのだろうか?
 どちらも同等に厄介だ、何も言うことはない。
 だからといって投げ出すわけにもいかないし、何が悪いのかっておそらく社会と格差が悪いんだろうな。きっとそう。己の力だけでは解決の糸口など何も見えないからこそ絶望も深くなるというもの。

 だがそんなことはどうでもいいんだ。
 虚無のねずみが俺の腕をかじっている。
 今の問題はそれなのだから。
 新聞はかじられてもいい、どうせしばらく読めない。
 だが腕をかじられると困る。動けなくなってしまう。
 俺はねずみを振り払うために腕を振ろうとするが、腕は鉛のように重たくて動いてくれない。
 困ったな。
 もしこれが夢だとしたら、嫌な夢だと思うだろう。そんな夢を見てしまう自分の精神状態に絶望するだろう。
 そしてもしこれが現実だとしたら、現実に絶望するだろう。抗いようのない嫌なことが起こる現実はやはり救えないと思うだろう。
 どちらにしても絶望するのは同じなので、変わりはない。
 だから俺はこの虚無のねずみを……どうにもすることができない。
 秒針の音がする。いや、これは俺の鼓動の音か?
 わからない。チキチキと鳴っている。
 俺は眉間に皺を寄せた。



 そして目を開く。
 段ボールが貼られた窓は暗く、ああ、まだ夜なのか。
 と、
 思った。
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