短編小説

「所長! もうこんな時間ですよお、所定の労働時間を超過してます」
「ミル君、この資料の返却期限は明日だよ。今日中に必要な分を調べ終えておかないと、期間超過で罰則がつくのは君も知っているだろう」
 鎌の手で器用にページをめくりながら、所長。
「それは所長が仕事サボって虫集めばっかりしてたからじゃないですか」
「仕方ないだろう。今から食いだめしておかないと、この資料を調べ終えたらまた忙しくなるんだから」
「はああ。メカなんですから、電気だけで生きていけるんじゃないんですか」
 所長はミルの方を向き、その複眼をきろりと光らせた。
「私はメカマキリだぞ。カマキリは虫を食べるものだ」
「そういう無駄なこだわり、いらないんじゃないですか? 効率的じゃないですよう」
 所長はページをめくる。
「君が無駄なこだわりと呼ぶものが、事件を解決する助けになるのだよ。名探偵といえば細部へのこだわり。細部へのこだわりといえば名探偵。この二つは不可分なのだ」
「所長はたんてーしょーせつの読み過ぎですよお」
 ミルは腰についているポーチをいじりながら、大げさにため息をついてみせる。
「そもそも所長、ほとんどの事件をその見通しの複眼で強引に解決してるじゃないですかあ。こだわり関係ない。よって無駄」
「君ねえ。もっとロマンを持ちたまえ。ロマンとは情熱。情熱はこの困難の多い仕事をやっていく上での重要な資源なのだから」
「ああ、そういうの、時代遅れ。知ってます? 現代の探偵は情熱より冷静さをもって、多くの情報を分析し効率的に動くことで事件を解決するんですよう」
「まったく、ロマンを解さない若者はこれだから……わかったぞ」
「ええ?」
「ロビンの居場所だよ。東町の17C倉庫。取引開始は明日の朝」
「まったく、便利な複眼ですこと。……時間外手当、いただきますからね」
「話が早くて助かるよ。いつもの通りに潜入だ」
 立ち上がって壁にかかっているコートを羽織りながら、所長。
「潜入ねえ」
 ミルはまたため息をつく。
「どうせまた大立ち回りになるんでしょ。なら最初から潜入なんかしない方がいいと思うんですけどお」
 言いながら椅子にかかっていたブレザーを取り、所長の後をついて外に出る。
「さて、グレイ探偵事務所一行……参る」
「はいはい」
 事務所の鍵を閉めるミル。先を行く所長、グレイを見ながらブレザーを着た。



「ロビン君、聞こえるか? 君のご主人に頼まれて助けに来た探偵のグレイだ。安心したまえ、今から君を助け出す」
 ウイィ、という音がして、救出対象の人型メカであるロビンが起動する。
『承知。グレイ様、感謝いたします』
「感謝はありがたいが、事務所に着いてからだな。出発だ」
「待て」
 ざ、と靴音。メカハウンドを数頭連れた人型メカが倉庫の入り口に現れた。
「自己紹介に行き先まで教えてくれるたあ、親切じゃねえか。親切ついでにスクラップにしてやるよ。行け、ポチーズ!」
 メカハウンドたちが一行に飛びかかる。
「おっと」
 一頭目を鎌で捕らえるグレイ。
 二頭目、三頭目がサイドから迫る。
 が、
「残念、君たちはお役御免だよお」
 メカハウンドたちの動きが止まり、次々と床に落下する。
 倉庫の端にいたミルの身体から延びた透明な糸が、メカハウンドたちを捕らえていた。
「ちっ、メカスパイダーか。そのメカハウンドはくれてやる、あば……よ……?」
 人型メカの動きが止まる。その身体には透明な糸。
「逃がすわけないよお。大人しくお縄につくことだね」
「しびれ……」
 ばたりと倒れる人型メカ。
「もう聞こえないと思うけど、僕はメカスパイダーじゃなくてスパイダーだからよろしくね」
 ミルが糸をくいと引くと、メカハウンドたちと人型メカが倉庫の中央にまとめて引き寄せられた。
「さすがだな、ミル君。じゃ、こいつもまとめておいてくれ」
 グレイがメカハウンドをミルに差し出す。糸がグレイの鎌だけを器用に避けて絡みつき、中央に運んだ。
「さて」
 グレイが鎌を舐める。
「帰ろうか」
 待ってください、とミル。
「訊く必要ないと思うんですけど、一応訊きますねえ。所長、他の警備は?」
「警察が確保済みだ」
「こいつらの上は?」
「リストアップして送信済みだ」
「ははあ。いつもの通りと。わかりました、帰りましょう。ロビン君は僕が運びます」
『感謝』
「お礼はいいですよ。後で君のご主人からたっぷりいただきますからねえ」
 そう言うと、ミルはロビンを背負った。



「眠い……」
 事務所の窓から射し込む朝日が書類の山を照らしている。
「まだ寝てもらっては困るよ、ミル君。この本をまとめて返さなければ」
「結局所長が複眼で『視ちゃう』から本とか必要ないじゃないですかあ。なんでいっつも借りるんですか?」
「視えなくなる時がいつ来るかわからないだろう。保険だよ保険」
「はああ」
 ミルが大あくびをしかけて、やめる。
「そういえば所長、昨日はポッキーの日だったんですよお。資料整理の合間に食べようと思って持ってきたんですけど、いります?」
 ポッキーの箱を糸で釣り上げて、ミル。
 書類の隙間から本を抜き出していたグレイがきろりとミルの方を向く。
「知っているか、ミル君」
「はい」
「カマキリはポッキーを食べない」
「はああ」
 ミルは箱をするすると引っ込め、今度こそ大あくびをした。
「じゃああ、僕が食べますねえ。ポッキーの日終わっちゃったけど、ポッキーの日を祝って。ついでにロビン君の救出と依頼達成も祝って」
 ぱか、と箱を開ける音が事務所に響く。
「私もバッタの足を食べるかな」
「いいですね。一本くださいよお」
「……いいだろう」
「そのすごく気が進まないみたいな顔、やめてくれます?」
 そう言って、ミルはポッキーを口にくわえた。


(おわり)
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