短編小説(2庫目)

 冷蔵庫が唸っている。
 何もかもがいつもとても遠い場所にある。
 どこにあるのかわからないものを探しているという点で俺とあれは同じだったのかもしれない。
 あれは好奇心だけで動く獣で、俺はそれを制御する人間だった。
 あれは強く、日に日に俺の手には余って行って。そうしてあれは、己の力の反動でいなくなった。

 後悔すればよかったのだろうか。しかし俺は強くはなれず、強くなれなかったからこそあれを止めることができなかったわけで、そうしてあれは死んでしまった。
 残念だよ。あれが生きてさえいれば俺はまだ正気でいられたかもしれないのに。

 今はあれの残骸をこうして乗り移るかのように動かして、それでなんとか生きている。
 あれは死者だ。だから動かない。けれど憑依すれば動かすことができる。
 ネクロマンシーなんて向いてないと思っていたが、元が近ければ案外うまくいくもので。

 毎日それを動かして過ごしていたが、俺もそれを失ってからというもの、いや、もっと昔からそうだったのかもしれないが、調子が悪く。
 起きていられる時間が少なすぎるせいであまり動かしてやることができない。憑依にはやはり力を使うものだからだ。
 最近では自分のことで手一杯で、あれは冷蔵庫の中でただ冷えている。
 動かしてやればだめにはならないのだが、やはり死者であるので腐ってしまうかもしれないという不安があるのだ。本当に腐るかどうかはわからないが。
 とにかくあれは死してなお力のあるものなので、管理には気を付けないといけないし、扱い方を間違えるとあれがまだ生きていた頃のように多くの人を傷つけかねない。
 そういうものなのだ、あれは。

 本当は埋めに行った方がいいのかもしれないが、なにぶん俺もあれと共に生きてきた年月が長いので、あれなしで生きる方法がわからない。
 あれは俺の半身で、あれは俺を補うものであったからだ。
 それとも俺があれを補うものであったのか?
 本体を失ったプログラムというものはどうなってしまうのだろうか。
 詳しくないからわからない。そもそも何かに詳しくなれるだけの知識を俺がつけていたらこんなことにはなっていなかった。
 全て俺が浅はかだったが故の事件なのか、それともあれが強すぎたのか、両方なのか。
 本当はどちらでもいい。起こってしまったことは変えられないからだ。



 久しぶりに朝に目が覚めたので、眠いがあれの残骸と散歩に行く。
 あれの残骸は残骸になっても好奇心が強く、憑依している俺の方が疲れてしまう。
 キンモクセイの花がオレンジ色で、肉厚なのがおいしそうだとか、鳴いている虫の本体を見つけたくて草むらに入って飛び回るだとか、水たまりに空が映っているのが綺麗だからじっと観察するだとか、そういう、俺にとってはどうでもいいことを、あれの残骸に残った思念は掘り返して味わおうとする。
 無駄だ。無駄だし、どうでもいい。俺は心なんて揺らしたくないし、あれに振り回される毎日なんてうんざりだったし、それなのに俺はあれを被ろうとする。
 あれが俺を被っていたのに、俺があれを被っている。
 そして俺はあれになろうとする。あれが俺を浸食して、何か他の思慮のないただの暴力に変えてしまおうとする。
 自分が自分でなくなる感覚。
 それはとても疲れる。

 だから散歩から帰ったら俺は疲れ果ててしまって、あれを被ったままベッドに潜り込んで寝る。
 色々な夢を見てうなされる。色彩豊かな過去の夢。あれが味わった全てを混ぜ合わせてぐちゃぐちゃにした、俺にとっては苦しいが、あれにとっては嬉しいのかもしれない夢。
 そんなものが嬉しいなんて考えたくもない。
 あんなもの、やっぱり墓に埋めてしまいたいよ。



 夜になって目覚める。腹が減っている。
 俺はあれを冷蔵庫に入れて、コンビニに向かう。
 コンビニは夜にしらじらしく光っていて、人がいる。
 どうでもいい買い物にどうでもいい支払いを済ませてコンビニを出ると変な人々がたむろしていて、俺は遠回りして帰る。
 俺はあれではないので何に興味を示すこともない。俺に何か興味があるなんて信じたくないし、たぶん俺には何もないのだろう。
 なので人間らしくなるには結局あれの力を借りるしかなくて、何が本当の俺で何が死んだあれの残骸なのかわからなくなる。
 部屋に帰る、電気を点けると冷蔵庫が唸っている。
 俺はもそもそと飯を食って、そのまま寝る。
 あれを被っていないせいで寒くて、例の記憶が次々と蘇ってきて、俺は何もしたくないんだ。無関係でいたいんだ。俺とあれの人生は別で、違っていて、俺はあれではないし、あれは俺ではないし、そんな記憶などいらないし、苦しいだけなのに、それは毎晩俺を苛むから、ただただ布団を身体に巻き付けて、早く過ぎるように祈るだけ。

 次の日起きたらまた、夜だ。
 冷蔵庫が唸る。
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