短編小説(2庫目)

 世間には一段上の理論がある。それは■と言って、存在を根本から問い直す理論らしい。
 俺はそれを知らない。知らないから、感覚の範囲内だけでものを言っているし、感覚の範囲内だけで世界を見ている。
 恐ろしいのだ、それが。
 世界は変わっているのに、今まで通りであるのが。
 世界は終わっているのに、今まで通りであるのが。
 何が?
 さあ、何だろうか。

 足が生えてきて、皆が半透明のゼリー状の物体になってしまって、存在というものはおかしくなった。何が存在しているということなのか、何が存在していないということなのか、半透明の物体はゆらゆらと揺れて、ただそこにあるだけ。
 腐りもせず、消えもせず、今日も明日も明後日も変わらずそこにあるだけ。
 ひょっとすると半透明の物体にならないとわからない違いがそこにはあるのかもしれないし、目に見えないだけであれらも代謝しているのかもしれない。だが俺はまだヒト型なのでわからない。わからないものはないのと一緒で、そんな古典的な存在論でものを言うなら俺の世界は古くて時代遅れで、じゃあ何だ?

 一人で考えていたって何もわからないけれど、一人でしか考えられないからそうするしかない。
 人間は究極のところ一人きりで、それは他の人間が半透明のゼリー状になろうがなるまいが同じなのだ。
 本当に?
 俺は何か色々なことがよくわからなくなって、自棄でこんなことを言っているだけじゃないのか?
 本当は俺も半透明のゼリー状の物体になっていて、それを認めたくないがためにぐるぐると考えて、存在がとか世界がとか、そんなことを言っているだけじゃないのか?

 古典的存在論の上では実在のみが全てなので出口がない。実在は証明できない。そもそも実在なんてものは無いというのだ。信じられるか?
 実感として味わうことができないものはないのと同じ?
 どうなんだろうな、わからない。
 だが俺は自分が何も知らないということを知っている。それは愚かで、悲しくて、だけどまだ、安住するよりはましなことだと知っている。しかしその上で前に進まないことが一番愚かだということも知っている。
 前に進む?
 どうやって?

 結局世界はゼリー状になってしまったのだ。
 透明で、日の光を浴びるときらきらと輝く。それを食べてさえいれば平穏に過ごせるものに。
 それに意思があろうがなかろうが、ヒトである俺は食べなければ生きていけない。麻痺させているのだ、感覚を。
 一人ぼっちだから、ゼリーに話しかけながらそれを食べる。
 一人ぼっちだから、ゼリーをじっと見ながらゼリーになってしまった本をめくろうとして失敗して崩してしまう。
 そんなことをずっと繰り返す。
 ゼリーは永遠だけどヒトは永遠じゃないから、俺もそのうち壊れてしまうのだろう。
 そうしたら俺もゼリーになるのだろうか?
 わからない、死んだ後のことなんかわからない。
 どうでもいいんだ、何もかも。
 そう言い聞かせて、日に日に軋んでゆく身体を見ないふりして、日に当たる。
 今日も世界は静かで、空は青くて、きらきらと輝いていた。
 それだけでいいじゃないか。
 なんて。
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