短編小説(2庫目)

 あいつがいなくなってからもう随分と時間が経った。
 それは百年かもしれないし、何十年かもしれないし、あるいは一ヶ月かもしれない。

 そんなことを思い出すのも久しぶりで、俺はぐるぐるとテーブルに伏せて考えていた。
 まあそんなことは考えても無駄なんだが。

 無駄だとわかっていても考えてしまうのが人間の性というもので、考えなくてもいいことをぐるぐると考えるから不幸になるんだ。
 俺は不幸か?
 本当に?

 わからないからぐるぐる回す。わからないんだ、何もかも。
 朝食べた栄養食品の味が粉っぽかったとか、昼飲んだゼリー飲料がぬるかったとか、わかるのはそんなことだけ。
 それすら次の日には忘れているんだから、救えない。
 だからあいつのことも忘れていると思った、忘れられると。
 思ったのに、俺はこうして思い出している。
 いや、思い出しているのかどうかすらわからない。実際は思い出していないのかもしれないし、言葉の上でくるくると回しているからまるで思い出したかのように思えているだけなのかも。
 だって何もかも終わったことだし。
 足は通りすぎていった。その後訪れた静寂の中でそれを思い出したって不思議ではなく、それならそれは俺の日常であるのか?

 そんなものが日常だなんて信じたくもない。忘れて生きていけると思ったんだが。
 だのにこうしてしぶとく考えている。
 俺はコンビニで買ったドリンクをずるずると啜る。啜っているときは何も考えずにいられる。
 テーブルの横にはドリンクのゴミが積み上がっている。
 そろそろ捨てなければいけないのだが、たまたま不調の波が来て臥せってしまったのでどうにもならない。
 起きたら「足」は去っていて、不調の続きであんなことを思い出している。

 そんなことでいいのだろうか。
 そんなことで。
 俺はこのままでいいのだろうか。

 セミが鳴いている。もうそんな季節になってしまった。
 夏に特別深い思い入れはない。
 嫌な思い出なら一年中あるし。
 そんなことを言うとまた構って野郎だと思われるのだろう。だがいいんだ、ここには俺一人しかいないのだし。
 
 どうしたらいいのかわからないのだ。燻ったまま、余生のような人生を送ってここまでずっと。
 余生。
 あいつが死んでからの俺はずっと余生のようなものだった。
 あいつは俺だったのかもしれない、けれどもあいつは俺ではない。
 あいつは死んだ。消えたんだ、この世から。
 だからあいつのことを引きずるのはおかしい。間違っているんだ。
 違う、引きずっているわけじゃない。なんとなく思い出してしまうだけ。どろどろとした執着は消えている。ただ一つ、なくなったな、という小さな感覚が残っているだけ。
 寂しくはない。悲しくもない。つらくもない。ただ平坦な、引っかかりのようなもの。それが何なのかはわからない。正体も知らない。知らないから俺はこうしてドリンクを飲むだけ。

 忘れたかったのだろうか。それすらわからない。遠くに行ったあいつに何か手向けたくてもどこに行ったのかわからないし。
 よくわからない、全体的に何もかもよくわからない。
 そもそもこんなことを考えるのが正しいのかどうかすらわからない。
 人間の思考は正しい正しくないの問題ではない、それは知っているけれども「正しさ」を重んじるのが今の世の中であるのなら、足が蔓延るこの世ではプラスチックのような正しさをぼんやりと信じて生きるだけ。
 それで自分を責めてみたり、持ち上げてみたり。
 ほんと虚しいな。そんなことでいいのだろうか。
 だけどそんな生き方しかできないんだから仕方ないんだ。仕方なかった……本当に?

 何をしたって外ではセミが鳴いているだけ。
 きっと空は青いのだろう。
 もうこんな季節になってしまった、と言うのは二回目だけど。
 立ち上がって、窓を開けかけて、やめた。

 それで終わり。
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