短編小説(2庫目)

 テレビの音が恐ろしい。

 昔からそうだった。
 テレビは恐ろしい、そこから聞こえる声は喜んだり怒ったり泣いたりして俺を脅しているかのように思えて。
 一緒に喜べ、感情移入しろ、怒れ、泣け。
 みんなと同じようにしろ。みんな喜んでいる、怒っている、泣いている。お前もそうしろ。
 なぜなら私は権威、集団の王、思想を伝える情報装置。だからお前も跪け、同じ感情を抱け、皆と同じように。
 一つになろう。
 そう言っているかのように聞こえて。
 俺はテレビが怖かった。

 そんなある朝。
 起きて食卓につくと、テレビの前の地面から逆さになった足のようなものが生えていた。
 何の足かはわからない。しかし見たところ、人間の足のようだった。
 俺はテレビを見ている親に訊いた、
「なあ、この足見えてるか?」
 テレビに夢中になっている親はうるさそうにこちらを見る。
「お前の足か? 見えてるが」
「いや、他の足」
「何を言ってるんだ! お前は頭がおかしいんだ」
 俺はそれ以上訊くのをやめた。
 たぶん見えていないのだろう。

 テレビの足は、日を追うごとに長くなっていった。
 最初は足先だけ見えていたのが、足首、ふくらはぎ、と伸びていく。
 少々不気味だったが、引っこ抜くわけにもいかないので放置した。

 足の生えたテレビの前で親は夢中で何かの式を見ている。

 式の中にもたくさんの足。
 青い足、赤い足、緑の足、黒い足。
 足、足、足。
 足ばかりだ。
 司会者の顔も、偉い人の顔も、足。
 ドローンも足。
 火の点いた台も足。

 SNSを見てみても、足、なんて言っている人はどこにもいない。
 やっぱりこれは俺の頭がおかしいのだろう。きっと何か、精神に異常を来しているんだ。
 だが、テレビで人間の顔が見えたり声が聞こえたりするよりは、色とりどりの足が映っている方がまだましだった。

 足。
 テレビの前の床から生えている足が太ももまで見えるようになって、人間が丸ごと生えてくるのだろうかなんて思っていたが予想は外れた。
 新たな足が生えてきたのだ。
 次の日、また次の日、もう一組の足も日を追うごとに面積が増えて行き。
 競技が進んでいく。
 足が泳いでいる。足が走っている。足が跳んでいる。足が笑っている、足がインタビューに答えている。
 声はなかった、ただ、足と足の擦れる音がするだけ。

 足を横目にパンを食う。
 おいしくない。
 おいしくないのは元々だったが、そりゃ人間の足なんてものを視界いっぱいに入れながら食べるパンはまずいだろう。
 それも文化的なもので、足に対してそこまで執着のない文化圏の人間ならば足を見ながらパンを食べてもおいしく感じるんだろう。
 そんなことはいいんだ。

 足は増えに増え、テレビの前の床は人間の足だらけになっていた。
 そこを通らないと自分の部屋に行けないので難儀する。足に足をとられそうになる、転ぶと痛いので慎重に通る。
 そうするとテレビを遮ってしまうので親から怒鳴られる。
「何をしているんだ、早く行きなさい」
「いや、ちょっと」
「ちょっとじゃない、早く」
「ごめんなさい……」
 足で足を払って、部屋に入る。
 親は耳が遠いのでボリュームを大きくしてテレビを見る、ただただ聞こえる、足と足の擦れる音。
 やっぱり、声が聞こえるよりはましだ。
 こうなってくれてよかったのかもしれない。
 俺は机の前でカーテンをじっと眺めながら思った。

 次の日、病院に行った。
 親に行けと言われたのだ。
 街は人が少なかった。
 皆、ひょっとするとテレビを見ているのかもしれない。
 足なんか見て何が面白いのかわからない。しかし、他の家では足じゃないものが映っているのかもしれないし。手とか。鼻とか。
 知らないが。

 医者は俺に問う。
「どうしましたか」
「特に困ってはいないのですが、親が病院に行けと言うので来ました」
「そうですか」
 医者は俺に薬を出した。

 薬を飲む。横で足が動いている。ゆらりゆらりと揺れている。
 突然、声が聞こえた。
『さあ××選手、スタートしました……速い! これは××だー!』
「………」
 俺は俯く。
 だが下を向いていてもテレビは視界に入ってくる。動いているのだ。顔が。身体が。声が。
 声が聞こえる。侵入してくる。耳に。頭に。興奮しろと。皆と同じ気持ちで、一体となって、同じ方向を向いて、「旗を振れ」と。
 俺は席を立ち、テレビの前を通って――そこに足はなかった――が。
 何かに足をとられて、滑った。
 尻餅をつく。
「何をしてるんだ!」
 親の罵声が飛ぶ。
「邪魔だからどきなさい!」
「ごめん……」
 俺は立ち上がろうとした。
 が、手が何かに引っかかって立つことができない。
 何かが。
 見えない無数の何かが、身体に絡みついているような。
「早くどきなさい! テレビが見えない!」
「待って、今立とうと……」
 親が苛立たしげにリモコンを触る、音量が大幅に上がる。
『××だ、××だ! 先頭を走っています! 激しい練習をしたあの日々、■■■で練習が中断され、家でトレーニングをしていました! チームメイトとも引き離され、■■、■■■ォ■■? ■■■……ゾ』
「…………」
 何かに引きずり込まれたような感覚があって、
 何もわからなくなった。



『?■?■????■に』
『■■■が××××、ュ゙■■、オ?』
 俺は頭を上げる。
 周囲は薄ぼんやりしていて、よく見えない。
「テレビが見られないって、仕方ないでしょ! 壊れたんだから! うちにはお金がないのよ!」
「■■■■■■だぞ! テレビがないと元気がもらえないだろう!」
「■■■■で見たらいいじゃない! 勝手にして!」
「■■■!」
 一つ、二つ、瞬き。
 視界が戻る。
 怒鳴り声は止んでいる。
 俺は食卓に座る。
 親はいなかった。
 パンを取って、皿に置く。
 ふと床に目をやった。
 何も無い。
 その上の空間にも、何も。
 ただ黒い「無」が広がっていた。
「壊れたんだな」
 と俺は言った。

 それで終わり。
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