短編小説(2庫目)
どこに行ったんだ?
いつもそれを思う。
俺の頭の中はぐちゃぐちゃで、記憶も何もあったもんじゃない。
だからいつも思う、俺の記憶は、感覚は、思い出は。どこに行ってしまったんだ?
と。
昔はこんな奴じゃなかった。俺もしっかり自分の考えがあって、って本当にそうか?
違う。
神を信じるような奴だったじゃないか。
もう一人の俺が忠告してくる。
たとえば動物園が掲げた注意を「動物ごときが煩いな」などと別の自分が言うのを聞く、ような、そうだ、俺は最低な奴なんだ。
たとえばそんな最低な愚痴のようなものを押し込めて、それを抱いたこと自体を忘れて自分がまるで善人みたいに振る舞うような。
俺は。
最低な奴なんだ。
だから、世界が終焉を迎えなかったときも、「責任を取れ」とか「もううんざりだ」とか思ってしまって、世間が空騒ぎするのはもうたくさんなんだ。
神を信じていたのなら、神に祈っただろうな。明日も平穏でありますようにと。
しかし毎日は平穏なんかじゃなく、どこかで争いが起こり、どこかで天災が起こる。世界は平穏じゃない。
スーパーにある七夕の短冊に「世界平和」と書いた。昔は平凡で心にもない願いだと思ってたが、今はそれが切実な願いなのだとわかる。
わかったところで何だって話だ。大人になったって? 心は大人になってやしないのに。
そんな平穏でぐちぐちした毎日が続く。地獄のような暑さの中で。
俺には「今」しかなくて、過去が無い。俺の過去は、積み上げてきたものは、どこに行ってしまったのだろうか。
やっぱりそれは「無い」のだ。
乖離だとか何だとか言われたりもするが、病名はそんなに簡単につくものじゃない。掲げて生きるにはあまりにもわかりにくい。記憶がなくなりました。って物語によくある記憶喪失じゃないんだから。
それに、本当になくなったわけじゃない。あるのだ。あるものが抑圧されてないことになっている、それが俺の病態で。
何の話をしてたんだっけ。
スーパーはいつも涼しい。
だから、いつもは書かない短冊に願いを、なんてことをしようとして。
本当は、将来のこととか、今のこととかを願えばよかったのかもしれないな。
まあ。
過ぎた話。
いつもそれを思う。
俺の頭の中はぐちゃぐちゃで、記憶も何もあったもんじゃない。
だからいつも思う、俺の記憶は、感覚は、思い出は。どこに行ってしまったんだ?
と。
昔はこんな奴じゃなかった。俺もしっかり自分の考えがあって、って本当にそうか?
違う。
神を信じるような奴だったじゃないか。
もう一人の俺が忠告してくる。
たとえば動物園が掲げた注意を「動物ごときが煩いな」などと別の自分が言うのを聞く、ような、そうだ、俺は最低な奴なんだ。
たとえばそんな最低な愚痴のようなものを押し込めて、それを抱いたこと自体を忘れて自分がまるで善人みたいに振る舞うような。
俺は。
最低な奴なんだ。
だから、世界が終焉を迎えなかったときも、「責任を取れ」とか「もううんざりだ」とか思ってしまって、世間が空騒ぎするのはもうたくさんなんだ。
神を信じていたのなら、神に祈っただろうな。明日も平穏でありますようにと。
しかし毎日は平穏なんかじゃなく、どこかで争いが起こり、どこかで天災が起こる。世界は平穏じゃない。
スーパーにある七夕の短冊に「世界平和」と書いた。昔は平凡で心にもない願いだと思ってたが、今はそれが切実な願いなのだとわかる。
わかったところで何だって話だ。大人になったって? 心は大人になってやしないのに。
そんな平穏でぐちぐちした毎日が続く。地獄のような暑さの中で。
俺には「今」しかなくて、過去が無い。俺の過去は、積み上げてきたものは、どこに行ってしまったのだろうか。
やっぱりそれは「無い」のだ。
乖離だとか何だとか言われたりもするが、病名はそんなに簡単につくものじゃない。掲げて生きるにはあまりにもわかりにくい。記憶がなくなりました。って物語によくある記憶喪失じゃないんだから。
それに、本当になくなったわけじゃない。あるのだ。あるものが抑圧されてないことになっている、それが俺の病態で。
何の話をしてたんだっけ。
スーパーはいつも涼しい。
だから、いつもは書かない短冊に願いを、なんてことをしようとして。
本当は、将来のこととか、今のこととかを願えばよかったのかもしれないな。
まあ。
過ぎた話。
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