短編小説(2庫目)
「すごいスピードで去っていくお年寄りの都市伝説あるじゃん」
「ああ、あれね」
蟹は頷く。
「俺あれ見て思うんだけど」
「見たの?」
「いや見てない、これは比喩」
「続けて」
「音楽とか、絵とか、すごいスピードで通り過ぎちゃうって実感あるのね」
「ああ……文化の消費がなんとかってやつね」
「でもどうしたら、どうすれば俺は音楽や絵を消費せずに済むんだろうな? そう考えている間にも新しい音楽や絵がどんどん生産されていって、俺は取り残されてしまう」
「その『取り残されてしまう』ってのがよくないんじゃない?」
「よくないって?」
「別に取り残されたって何も困らないじゃないか。自分の黄金時代の音楽だけをずっと聴き続けている人もいるだろ? 君もそんな風になれれば……」
「なれないから言ってるんだよなあ」
俺は頭をがしがし掻こうとして、やめた。
「あるんだよな」
「何が?」
「黄金時代の音楽だけをずっと聴き続けている人を見て、俺の中に、そいつをちょっと下に見る心が確かにあったんだ」
「……」
「どんな音楽を聴こうがそいつの自由だろ。でも俺は、新しきものこそ良きものであるという進歩主義商業主義的価値観に毒されて、本質を見失ってるんだ」
「……そこまでわかっててなんで抜け出せないのかな」
「進歩主義商業主義ってのは中毒みたいなものでさ。俺みたいな周囲を気にして比較する人間にはもうえぐいぐらいの毒なわけ」
「それで?」
「そこで最初の話に戻ってくる、常に新しいものを見続ける、聴き続けるために、消費する……いや、せざるを得ない」
「人間って悲しいなあ」
「それはお前が蟹だから言えることだろぉ」
「でも僕はそんな悲しい人間さんにずっと付き合ってあげますから」
「何その台詞」
「ずっと一緒にいようね」
諭すような、言い聞かせるような優しいトーンで言われると、ちょっとした曇りや憂鬱なんかがじわりと溶けて、こたつの中にいるような、そんな気分になるもので。
「僕といるときぐらいのんびりしようよ。ほら、今日は懐かしい歌でも聴いて、懐かしい絵でも見よう」
「……ああ」
懐かしい歌を聴いて、懐かしい絵を鑑賞することを、丸ごと許してしまう。
停滞することを肯定する。
そういう怪異だ。
蟹は。
俺たちはその日、懐かしい歌を聴いて、懐かしい絵の感想を言い合って過ごしたのだった。
「ああ、あれね」
蟹は頷く。
「俺あれ見て思うんだけど」
「見たの?」
「いや見てない、これは比喩」
「続けて」
「音楽とか、絵とか、すごいスピードで通り過ぎちゃうって実感あるのね」
「ああ……文化の消費がなんとかってやつね」
「でもどうしたら、どうすれば俺は音楽や絵を消費せずに済むんだろうな? そう考えている間にも新しい音楽や絵がどんどん生産されていって、俺は取り残されてしまう」
「その『取り残されてしまう』ってのがよくないんじゃない?」
「よくないって?」
「別に取り残されたって何も困らないじゃないか。自分の黄金時代の音楽だけをずっと聴き続けている人もいるだろ? 君もそんな風になれれば……」
「なれないから言ってるんだよなあ」
俺は頭をがしがし掻こうとして、やめた。
「あるんだよな」
「何が?」
「黄金時代の音楽だけをずっと聴き続けている人を見て、俺の中に、そいつをちょっと下に見る心が確かにあったんだ」
「……」
「どんな音楽を聴こうがそいつの自由だろ。でも俺は、新しきものこそ良きものであるという進歩主義商業主義的価値観に毒されて、本質を見失ってるんだ」
「……そこまでわかっててなんで抜け出せないのかな」
「進歩主義商業主義ってのは中毒みたいなものでさ。俺みたいな周囲を気にして比較する人間にはもうえぐいぐらいの毒なわけ」
「それで?」
「そこで最初の話に戻ってくる、常に新しいものを見続ける、聴き続けるために、消費する……いや、せざるを得ない」
「人間って悲しいなあ」
「それはお前が蟹だから言えることだろぉ」
「でも僕はそんな悲しい人間さんにずっと付き合ってあげますから」
「何その台詞」
「ずっと一緒にいようね」
諭すような、言い聞かせるような優しいトーンで言われると、ちょっとした曇りや憂鬱なんかがじわりと溶けて、こたつの中にいるような、そんな気分になるもので。
「僕といるときぐらいのんびりしようよ。ほら、今日は懐かしい歌でも聴いて、懐かしい絵でも見よう」
「……ああ」
懐かしい歌を聴いて、懐かしい絵を鑑賞することを、丸ごと許してしまう。
停滞することを肯定する。
そういう怪異だ。
蟹は。
俺たちはその日、懐かしい歌を聴いて、懐かしい絵の感想を言い合って過ごしたのだった。
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