短編小説(2庫目)

「毎日疲れた…もう辞めたい、そう思っていませんか? そんなあなたに……蟹スクライブ! みんなのいやな目線から逃れられる大チャンス! 今ならたった…」
「悪徳セールスやめな、ざりがにくん」
「な、何をおっしゃる私は蟹ですよ!」
「やめな」
「はい……」
「だいいち君、文中で違いすぎること言ってるのわかる? もう疲れた辞めたいと思ってる人間は他人の目線を気にしたりは」
「するかもしれないだろー! 疲れすぎてびょ、」
「コンプライアンス違反です」
「あー! 最近は言葉狩りがひどくてやだねえ!」
「その辺にしておきたまえ本当に」
「蟹センパァイ…おれもうずっとざりがにしてて、偽蟹とか言われるんですけど」
「それが?」
「そろそろ本物にしていただけませんかねえ」
「無理だね」
「なんでえ」
「君、人間じゃないし」
「蟹になりたいんですよ」
「そりゃまたなぜ」
「本物の蟹であるセンパイにはわからないでしょうねえ」
「ざりがにはざりがにとして生きていけばいいじゃないか」
「それだけでこの世界では蟹もどきって言われちゃうんですよ、おれ、それが嫌で」
「そういう概念として作られたのだから仕方ないだろ。分を弁えたまえ」
「ええ〜。じゃあ弟子にしてくださいよ、そしたらせめて偽物呼ばわりは避けられる」
「なんでそうなる」
「弟子です! いずれ蟹になります! って言ってれば許してもらえるでしょ」
「君のその許す許される思考、やめた方がいい。僕たちに選ばれてしまうよ」
「それならそれでいいんです。おれはもう疲れた、辞めたい」
「サービスを求めていたのは君の方だったのか…」
「で、どうするんですか? 弟子にするのかしないのか」
「えー…この流れで断れないでしょ…」
「さあ!」
「わかったわかった。…満足したら出ていくんだよ。僕もヒマじゃないんだから」
「ありがとうセンパイ…大好き…」
「はあ…よかったね…」
 おれがセンパイの弟子になった夜。静かな夜だった。
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