短編小説(2庫目)

 全てがよくわからなくなるときが、ある。
「████」
「んん……」
「████、████」
「放っといてくれ……」
「……、きみ!」
「……ああ、蟹か。……えーと、俺は」
「梅雨どきの寒暖差で風邪引いて寝込んでたんでしょ~いけませんねそういうのは」
「俺、何か駄目だったか」
 何か駄目なとこがあるなら直さないと。俺の胸にもやもやとした不安がわきあがる。
 が、蟹は意外にも明るい声で言う。
「存在が曖昧になってるんだよ。疑念のせいだね、君は今にも消えそうになっている」
「え……」
「そこで~ハサミタッチ」
 ぴと、と蟹のハサミが額に当たる。
 と、世界が姿を取り戻した。
「……何だったんだ、あれは」
「言った通りさ、疑念のせい」
「疑念って」
「そうだねえ……ま、病みたいなものかな」
「精神の?」
「精神の、というか、存在の」
「そんなのあるのか」
「疑念を突き詰めた結果、より強固な存在になる場合もあるけど、君の場合は風邪も手伝ってひどいことになりかけてたからね」
「そう、か。迷惑をかけた」
 と言うと、蟹はなんのなんのとハサミをちょきちょきさせた。
「パートナーに迷惑なんてかけて当たり前でしょ。何より、僕は君のためにいるんだし、迷惑だなんて落ち込まなくていいんだよ」
「………」
 蟹の言葉はあくまで優しく、どこまでも優しく。
 なんでそんなに優しいんだ。
 問おうとする、その問いを止められる。
「ヒ・ミ・ツ!」
「なんでだよ」
「秘密が多い方が魅力的でしょ」
「ええ……」
 なんかゲームの攻略キャラクターみたいなことを言い出した。
「ぴこん! かに の こうかんどが 10あがった!」
「なんでそこで10なんだよ」
「ちょっとずつ上げないとつまんないでしょ」
「……そうか?」
「そう! で、好感度が██になったので今日の晩ご飯は具だくさんのうどんで~す」
「マジか! やった~!」
 風邪で苦しんでいたのが嘘のように俺は喜ぶ、
 梅雨の日は暮れて行く。
 一人と一匹でうどんを食べた。
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