短編小説(2庫目)

 昔、私は「恥」を感じたことがなかった。
 なかっ「た」、というのには少々語弊があるかもしれない。今の状態だって、純粋に恥を感じているのとは違う気がするのだ。



「この問題、わかる人」
「はい」
「――さん」
「二酸化炭素です」
「そうですね」
 私以外、手を挙げた者はいない。きっとみんな問題の答えがわからないのだろう。
「地球が太陽の周りを回っているのか、太陽が地球の周りを回っているのか。どっちだと思う?」
「はい」
 忍び笑いがさざめき渡る。おかしいな、と私は思うが、原因がわからないので無視をする。
「――さん」
「地球が太陽の周りを回っています」
「正解!」
 クラスメイトが目配せし合う。
 問題がわからなかったことが嫌だったのだろうか。わかる私に嫉妬しているのだろうか。よくわからないが、嫌な感じだった。
 その後も、私が手を挙げる度にクラスメイトの様子が変になった。みんな私が手を挙げることを嫌がっているのだろうか。何でも答えられる私に劣等感を感じているのだろうか。くだらない奴らだと見下せればよかったのかもしれないが、先生はいつも「みんな仲良くしましょう」「みんなに優しくしましょう」と言う。クラスメイトを見下したりしてはいけないのだ。
 そんなことを時々考えたりしながら、私は手を挙げ続けた。
 私には、わからないことを教え合ったりする友達がいない。仲良くしていた友人が転校していってから他の人とも仲良くしようとしたのだが、なぜかうまくいかなくて、クラスで一人になっている。
 それだから、笑われたり目配せされたりすることの理由を尋ねる相手も当然おらず。
 不可解なことばかりの中で時を刻むかのように行事だけが定期的にやってきて、誰とも会話することなく日々を過ごす。
 運動会や文化発表会、遠足に林間学校。物語の中ではそれらは皆楽しそうで、仲間とふざけあったりいたずらをしたりしながら過ぎていくものとして描かれていた。
 でも、私はそうじゃない。そうなれない私はどこかおかしいのかもしれないと思う。どこかがおかしいから、友達もできないのかも。
 本を読みながら、そんなことを毎日漠然と考えていた。

 ある日の休み時間。私はいつものように本を読んでいた。
『「あーあ、早く授業終わらねえかな」「○○くん、そんなこと言ってはいけませんよ。授業は我々にとって大切な時間です」「お前は真面目すぎんだよ。いっつもいっつも授業で手ェ挙げてるし。恥ずかしくないのかよ」「な、恥ずかしいと思う方が間違っているのです」「えー、僕は恥ずかしいけどな」「私だって恥ずかしいんですよ!」「そこ、黙りなさい」』
 というところまで読んで、私は本を机の上に置いた。
「恥ずかしい」?
 手を挙げることは、「恥ずかしい」ことなのだろうか。なぜ? どうして恥ずかしいなんて思うのだろうか。「恥ずかしい」、そう思うのが普通なのだろうか。私のおかしいところは、何かを恥ずかしいと思わないところだったのだろうか。「恥ずかしい」……どんな時にそう思うのだろうか。
 告白なんかをするときに恥ずかしいと思うことは知っている。別の本で読んだから。好きな人とおしゃべりするのも、恥ずかしいとされることだ。失敗をした時なんかも、登場人物たちは恥ずかしいと言ったり思ったりしている。
 私が知っている「恥ずかしい」の例はそれくらい。
 手を挙げることは、告白や好きな人の例とは関係ない。ということは、失敗をしたとき、だろうか。
 授業中に手を挙げるのは「失敗」なのだろうか。何の失敗なのだろうか。
 私の失敗といえば、皆に馴染めていないということだ。それに関係しているのだろうか。
 ひょっとすると、皆に馴染めていない人が手を挙げてはいけないのかもしれない。わからないけれど。

 それから私は授業中に手を挙げるのをやめた。



 それが恥だったのかどうかはわからない。
 恥を感じているふりをしているだけなのかもしれない。
 けれど、
 笑われるようなことをしてはいけない、と。
 それだけは私の頭にしっかり染み付いて、今も取れないまま。
 いいことなのか悪いことなのかは知らない。
 恥を覚えた■■は■を真似して生きている。

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