短編小説(2庫目)
秋が深まった頃、大学時代の同期であるUと久々に会った。
集合場所である駅から色づき始めた街路樹をネタにしながら歩いて、路地裏の飲み屋に入る。
電灯の下で改めて見たUの頬は痩せこけており、目はぎらぎらと輝いていた。
聞けば、色々あって仕事を辞め、引きこもっていたらしい。
「だからさあ、心のない世界の方が良いんだよ」
熱燗を飲みながら、Uは腕を広げてみせる。
昔から、自分の話したいことだけを一方的に喋り続ける男だった。
当時はそんなUの話も面白く、大学前のラーメン屋で喋り続けるUの話に相槌を打ちながら時を過ごしたものだ。
ラーメン屋の前にある桜並木もこの時期は葉が真っ赤に色づき、窓からはらはらとその色を主張していた。
その赤がUの話の面白さにますます色をのせるような気がして、俺は桜の紅葉が好きだった。
時と所は変わり、俺たちは飲み屋にいて、目の前には当時と同じく喋り続けるU。
だけど昔と違ってその話を俺は面白いと思えなくなっていて、Uが喋れば喋るほど、俺の胸にはなんだかよくわからないもやもやの塊のようなものが降り積もっていくだけで。
昔なら流せていたUの話に、言葉を挟んでしまう。
「お前は心のない世界の方が良いとか言うけど、自分には心がないかもしれないってずっと苦しんできた奴の気持ちを考えたことはあるのかよ」
「そんな奴は幸せだよ。心がないかもしれないなんて思えるのは幸せだ。不幸なのは、心があるのに『ない方が幸せだ』と苦しむ奴だよ」
「どうしてそう思う」
「ないかもしれないなら、『ない』かもしれないだろ。心なんて絶対ない方が幸せなんだから、ないかもと思えるならいいじゃないか。心が確実にあってそれで苦しんでる奴はいっぱいいる。SNSを見ろ。毎日つらいだとか苦しいだとか、そんな言葉でいっぱいじゃないか。皆、心のせいで苦しんでいる。それらを全て消してやることができたら……世界は平和になると思わないか?」
……そうだろうか。
昔から、「お前には心がない」と言われてきた。自分でもそう思ってきた。
皆にはある「まっとうな心」とやらを手に入れようと努力して、努力して、それでもわからなくて。
だからみんなの行動をひたすら真似して、「そのように振る舞う」ことを心がけた。
今の俺はきっと外から見れば「心がある人間」のように見えるのだろう。実際俺も、真似をしているうちにどれが本当の自分なのかわからなくなって、自分には心があるかのように思えてきたし。
俺のこれは、苦労して獲得したものなのだ。
Uはそれを俺から取り上げようとしている。
とまで言うと、言い過ぎかもしれないが。
「……俺は心をなくしたくない」
ぽろりとこぼれた言葉は、縋るような色だった。
「それは心という概念に安住してる奴のたわ言だね。心で苦しんだことのない奴はみんなそう言うんだよ、愛が大事だ~とか、絆の力~だとか」
Uは俺の滲ませた色には気付いていないようで、こちらを見ずに喋り続ける。
「愛だとか絆だとか、俺は大嫌いでね。反吐が出ると思わないか? そんなの誰も信じてないのに、みんな信じたふりをして。馬鹿みたいだ」
「……」
俺は黙って下を向く。
「なあ。お前もそんな下等な奴等の一員なのか? 心で苦しんだことのない、恵まれた生活をしてる、上級国民の仲間なのか?」
Uの目は相変わらず、ぎらぎらと輝いている。
切断処理。こいつのこれは昔からそうだった。世界を「選ばれた人間」と「それ以外の人間」に分け、自分を前者に置いて相手に立場の選択を迫る。
俺も大学生の頃は無邪気に自分を「選ばれた人間」だと思えていた。
自分は愚かな大衆とは違う。こいつから切断される側には回らないのだと。
Uの思想に感化されていたのかもしれない。
しかし。
「……なあ、U」
「何?」
「なんか……」
俺たち、昔のようにはいかなくなってしまったみたいだ。
なんて、言えなかった。
言ったら最後、本当にこいつとの縁が切れてしまうような気がして。
「……今日は俺がおごるよ」
「は~いいねぇ社会人様は。俺みたいな引きこもりと違って大金持ちだ」
茶化すUに、無言で返す。
俺はきっともう、こいつの中では「それ以外の人間」になってしまったのだと思う。
でもたぶん、俺が悪いんだ。
Uの言葉を肯定できなかった俺。
上辺だけでも共感してやれなかった俺。
それは俺に心がないかもしれないことと関係あるのだろうか?
そんなことを考えてしまう俺もまた、学生時代のように、Uに影響されていたのかもしれない。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
俺はUの背中を手で軽く押す。
「うん。また会おうな!」
Uは笑顔で手を振った。
自分がそれに頷いてやれたかどうかは、覚えていない。
社員寮に着くころには深夜になっていた。簡単に寝る準備を済ませ、ベッドに身を投げる。
明日も朝から仕事がある。
俺はきっとうまく振る舞うことができるだろう。
そうだ。俺には心がある。
Uだってそう思っていた。
だけど、大学時代、あの頃感じていた、世界にたった二人きりになったような親密さと、何かにあてられたかのような高揚感はもう味わえないのだろうな、と思って。
目を閉じる。
夢に桜は出なかった。
集合場所である駅から色づき始めた街路樹をネタにしながら歩いて、路地裏の飲み屋に入る。
電灯の下で改めて見たUの頬は痩せこけており、目はぎらぎらと輝いていた。
聞けば、色々あって仕事を辞め、引きこもっていたらしい。
「だからさあ、心のない世界の方が良いんだよ」
熱燗を飲みながら、Uは腕を広げてみせる。
昔から、自分の話したいことだけを一方的に喋り続ける男だった。
当時はそんなUの話も面白く、大学前のラーメン屋で喋り続けるUの話に相槌を打ちながら時を過ごしたものだ。
ラーメン屋の前にある桜並木もこの時期は葉が真っ赤に色づき、窓からはらはらとその色を主張していた。
その赤がUの話の面白さにますます色をのせるような気がして、俺は桜の紅葉が好きだった。
時と所は変わり、俺たちは飲み屋にいて、目の前には当時と同じく喋り続けるU。
だけど昔と違ってその話を俺は面白いと思えなくなっていて、Uが喋れば喋るほど、俺の胸にはなんだかよくわからないもやもやの塊のようなものが降り積もっていくだけで。
昔なら流せていたUの話に、言葉を挟んでしまう。
「お前は心のない世界の方が良いとか言うけど、自分には心がないかもしれないってずっと苦しんできた奴の気持ちを考えたことはあるのかよ」
「そんな奴は幸せだよ。心がないかもしれないなんて思えるのは幸せだ。不幸なのは、心があるのに『ない方が幸せだ』と苦しむ奴だよ」
「どうしてそう思う」
「ないかもしれないなら、『ない』かもしれないだろ。心なんて絶対ない方が幸せなんだから、ないかもと思えるならいいじゃないか。心が確実にあってそれで苦しんでる奴はいっぱいいる。SNSを見ろ。毎日つらいだとか苦しいだとか、そんな言葉でいっぱいじゃないか。皆、心のせいで苦しんでいる。それらを全て消してやることができたら……世界は平和になると思わないか?」
……そうだろうか。
昔から、「お前には心がない」と言われてきた。自分でもそう思ってきた。
皆にはある「まっとうな心」とやらを手に入れようと努力して、努力して、それでもわからなくて。
だからみんなの行動をひたすら真似して、「そのように振る舞う」ことを心がけた。
今の俺はきっと外から見れば「心がある人間」のように見えるのだろう。実際俺も、真似をしているうちにどれが本当の自分なのかわからなくなって、自分には心があるかのように思えてきたし。
俺のこれは、苦労して獲得したものなのだ。
Uはそれを俺から取り上げようとしている。
とまで言うと、言い過ぎかもしれないが。
「……俺は心をなくしたくない」
ぽろりとこぼれた言葉は、縋るような色だった。
「それは心という概念に安住してる奴のたわ言だね。心で苦しんだことのない奴はみんなそう言うんだよ、愛が大事だ~とか、絆の力~だとか」
Uは俺の滲ませた色には気付いていないようで、こちらを見ずに喋り続ける。
「愛だとか絆だとか、俺は大嫌いでね。反吐が出ると思わないか? そんなの誰も信じてないのに、みんな信じたふりをして。馬鹿みたいだ」
「……」
俺は黙って下を向く。
「なあ。お前もそんな下等な奴等の一員なのか? 心で苦しんだことのない、恵まれた生活をしてる、上級国民の仲間なのか?」
Uの目は相変わらず、ぎらぎらと輝いている。
切断処理。こいつのこれは昔からそうだった。世界を「選ばれた人間」と「それ以外の人間」に分け、自分を前者に置いて相手に立場の選択を迫る。
俺も大学生の頃は無邪気に自分を「選ばれた人間」だと思えていた。
自分は愚かな大衆とは違う。こいつから切断される側には回らないのだと。
Uの思想に感化されていたのかもしれない。
しかし。
「……なあ、U」
「何?」
「なんか……」
俺たち、昔のようにはいかなくなってしまったみたいだ。
なんて、言えなかった。
言ったら最後、本当にこいつとの縁が切れてしまうような気がして。
「……今日は俺がおごるよ」
「は~いいねぇ社会人様は。俺みたいな引きこもりと違って大金持ちだ」
茶化すUに、無言で返す。
俺はきっともう、こいつの中では「それ以外の人間」になってしまったのだと思う。
でもたぶん、俺が悪いんだ。
Uの言葉を肯定できなかった俺。
上辺だけでも共感してやれなかった俺。
それは俺に心がないかもしれないことと関係あるのだろうか?
そんなことを考えてしまう俺もまた、学生時代のように、Uに影響されていたのかもしれない。
「じゃあな、気を付けて帰れよ」
俺はUの背中を手で軽く押す。
「うん。また会おうな!」
Uは笑顔で手を振った。
自分がそれに頷いてやれたかどうかは、覚えていない。
社員寮に着くころには深夜になっていた。簡単に寝る準備を済ませ、ベッドに身を投げる。
明日も朝から仕事がある。
俺はきっとうまく振る舞うことができるだろう。
そうだ。俺には心がある。
Uだってそう思っていた。
だけど、大学時代、あの頃感じていた、世界にたった二人きりになったような親密さと、何かにあてられたかのような高揚感はもう味わえないのだろうな、と思って。
目を閉じる。
夢に桜は出なかった。
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