蛇を積む
上司シュレーディングから「一緒に出かけないかね」と言われた金曜日から落ち着かない気持ちでごろごろする土曜日を過ごし、日曜の昼になった。
確か13時に迎えに来るとか言っていたような。
物語の中ではお出かけ用の服やら靴やらを準備する場面だと思うが、俺は服を一種類しか持っておらず、毎日それをローテしているだけなので何もできない。
持ち物とかもわからない。小瓶の石しか私物がないので何をするべくもない。まさか石を持って行くわけにもいかないし。
とりあえず、携帯端末をポケットに突っ込んでおく。
服装がどうにもならなくてもせめて髪型をなんとかするぐらいはしておこう、と思いながら鏡の前でしつこい寝ぐせを押さえつける。
そうこうしているうちにノックの音がした。
「人間くん、シュレーディングだ。迎えに来たよ」
「あっ……はい、今行きます」
俺は寝ぐせをなんとかするのを諦め、ばたばたと外に出る。
「こんにちは、人間くん」
シュレーディングはにこ、と笑う。
「こんにちはシュレーディングさん」
「うんうん、元気そうで何より」
「はは……」
正直言って、自分が元気かどうかは不明だ。しかし、元気ということにしておいた方が面倒がなくていい。
蛇である上司相手にそれをする意味があるかどうかはわからないが。
「さて、今日どこに行くかだが」
「はい」
「ちょっと街に出たいと思ってね」
「街、ですか」
「街だ。なに、ワームホールを使えば一瞬さ」
「ワームホール」
「虚無を利用した長距離移動用の空間の穴だよ。社に使用許可を貰ったんだ」
「それは……いいんですか?」
蛇の利用はともかく、人間を連れて使うのはいいんですか? という意味で俺は訊く。
「なに、私は君を信用しているのだよ。当然我が社もね」
それは果たして「当然」なのだろうか。
「君がレジスタンスに情報を売らなかったことで、上層部も君の評価を上げていてね」
「それは……シュレーディングさんもですか?」
「私は最初から君のことを信用しているよ。それこそ当然だね」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
「ここは会社じゃないんだから堅苦しいのはやめだぞ。私の名前も呼び捨てでいいくらいだ」
「さすがにそれは……」
「慣れないかい?」
「はい……」
「ははは、それなら仕方ない。……さ、行こうか」
シュレーディングが触手を差し伸べる。
これは……掴めということだろうか?
俺が戸惑っていると、
「ワームホール移動ではぐれないために私と触手を繋いでおいてくれ」
と促され、おそるおそる触手を掴む。
触手は静かに俺の手に巻き付いた。
「さあ」
俺はシュレーディングに連れられ、空間に空いた穴に入った。
◆
「さて、着いたよ」
シュレーディングの触手が俺を離す。
街外れ。
「一瞬でしたね」
俺は感想を述べる。
「ワームホールによる虚無移動は速いからね」
とシュレーディング。
「文明を感じますね」
当たり障りのないコメントで返す。
「文明よりは異文化交流の文脈さ」
目を細めながら、シュレーディング。
「異文化交流?」
シュレーディングは頷く。
「我々蛇は虚無を利用させてもらってはいるが、虚無側のことはあまりわかってはいないからね」
「そうなんですか」
「そう。虚無は謎が多いのさ」
「謎が多い……」
虚無について俺が知っていることは自分の仕事関連で「アルミを受け取ってこちらの世界にエネルギーとペットボトルを提供している」ことくらいだ。あまりにも不明すぎて、謎と断定できるレベルにさえ達していない感じだが、蛇にとっても虚無は謎なのか。
「だからこそ面白いんだ、虚無は」
シュレーディングは一匹でうんうんと頷く。
「シュレーディングさんは虚無がお好きなんですか」
「興味がある、という表現がおそらく正しいね」
「興味……」
「『向こう側』には何があるのか、そもそも虚無は名前ほど虚無であるのか、そういうことを考えるのが面白いんだ」
「へえ……」
俺の中で「好奇心の強い蛇」という印象があったシュレーディングだが、それは虚無に対しても同じらしい。
……に対してだけじゃなかったのか。
ふと浮かんだ感情を言語化するのは俺にはまだ難しいようだった。
確か13時に迎えに来るとか言っていたような。
物語の中ではお出かけ用の服やら靴やらを準備する場面だと思うが、俺は服を一種類しか持っておらず、毎日それをローテしているだけなので何もできない。
持ち物とかもわからない。小瓶の石しか私物がないので何をするべくもない。まさか石を持って行くわけにもいかないし。
とりあえず、携帯端末をポケットに突っ込んでおく。
服装がどうにもならなくてもせめて髪型をなんとかするぐらいはしておこう、と思いながら鏡の前でしつこい寝ぐせを押さえつける。
そうこうしているうちにノックの音がした。
「人間くん、シュレーディングだ。迎えに来たよ」
「あっ……はい、今行きます」
俺は寝ぐせをなんとかするのを諦め、ばたばたと外に出る。
「こんにちは、人間くん」
シュレーディングはにこ、と笑う。
「こんにちはシュレーディングさん」
「うんうん、元気そうで何より」
「はは……」
正直言って、自分が元気かどうかは不明だ。しかし、元気ということにしておいた方が面倒がなくていい。
蛇である上司相手にそれをする意味があるかどうかはわからないが。
「さて、今日どこに行くかだが」
「はい」
「ちょっと街に出たいと思ってね」
「街、ですか」
「街だ。なに、ワームホールを使えば一瞬さ」
「ワームホール」
「虚無を利用した長距離移動用の空間の穴だよ。社に使用許可を貰ったんだ」
「それは……いいんですか?」
蛇の利用はともかく、人間を連れて使うのはいいんですか? という意味で俺は訊く。
「なに、私は君を信用しているのだよ。当然我が社もね」
それは果たして「当然」なのだろうか。
「君がレジスタンスに情報を売らなかったことで、上層部も君の評価を上げていてね」
「それは……シュレーディングさんもですか?」
「私は最初から君のことを信用しているよ。それこそ当然だね」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
「ここは会社じゃないんだから堅苦しいのはやめだぞ。私の名前も呼び捨てでいいくらいだ」
「さすがにそれは……」
「慣れないかい?」
「はい……」
「ははは、それなら仕方ない。……さ、行こうか」
シュレーディングが触手を差し伸べる。
これは……掴めということだろうか?
俺が戸惑っていると、
「ワームホール移動ではぐれないために私と触手を繋いでおいてくれ」
と促され、おそるおそる触手を掴む。
触手は静かに俺の手に巻き付いた。
「さあ」
俺はシュレーディングに連れられ、空間に空いた穴に入った。
◆
「さて、着いたよ」
シュレーディングの触手が俺を離す。
街外れ。
「一瞬でしたね」
俺は感想を述べる。
「ワームホールによる虚無移動は速いからね」
とシュレーディング。
「文明を感じますね」
当たり障りのないコメントで返す。
「文明よりは異文化交流の文脈さ」
目を細めながら、シュレーディング。
「異文化交流?」
シュレーディングは頷く。
「我々蛇は虚無を利用させてもらってはいるが、虚無側のことはあまりわかってはいないからね」
「そうなんですか」
「そう。虚無は謎が多いのさ」
「謎が多い……」
虚無について俺が知っていることは自分の仕事関連で「アルミを受け取ってこちらの世界にエネルギーとペットボトルを提供している」ことくらいだ。あまりにも不明すぎて、謎と断定できるレベルにさえ達していない感じだが、蛇にとっても虚無は謎なのか。
「だからこそ面白いんだ、虚無は」
シュレーディングは一匹でうんうんと頷く。
「シュレーディングさんは虚無がお好きなんですか」
「興味がある、という表現がおそらく正しいね」
「興味……」
「『向こう側』には何があるのか、そもそも虚無は名前ほど虚無であるのか、そういうことを考えるのが面白いんだ」
「へえ……」
俺の中で「好奇心の強い蛇」という印象があったシュレーディングだが、それは虚無に対しても同じらしい。
……に対してだけじゃなかったのか。
ふと浮かんだ感情を言語化するのは俺にはまだ難しいようだった。