短編小説(2庫目)

 お気に入りの羊がいなくなってから数日経った。
 お気に入りの羊は夏に相応しくなく、果てしなく暑い上に熱中症にさせられる。
 目覚めては水を飲み、また目覚めては水を飲む……そんな生活を見かねた羊は自分から出て行った……のだろう。きっと。

 厄介な眠りを俺にもたらしていたのはあの羊だと思っていた。けれどどうやら違ったらしい。
 羊がいなくなっても俺は眠いままだし、糸が切れたように眠りに落ちてしまうのもそのまま。
 何もかもを羊のせいにしていた自分に罪悪感を抱く。そんなもの抱いたって羊が戻ってくるわけでもないのに。

「羊を知りませんか」
「さあ。こちらのカウンターにはいらっしゃってませんね」

「羊を知りませんか」
「自分から出て行ってあなたもそれを受け入れたんなら合意でしょ。こちらでは探せませんね」

「羊を知りませんか、羊を」

 よく考えたらなぜ俺は羊を探しているのだろう。
 今は夏。羊がいても熱中症になるだけなのに。

「羊を……」

 何かのせいにしたかったのかもしれない。このままならない人生を。わかりやすい原因があれば俺が駄目になった理由も説明できるし、大義名分、それだけ。
 それが羊だったのだと。
 きっと羊はそれを見抜いて出て行ったのだろう。
 俺が羊に甘えたから。
 甘えてはいけない。自立しようとしなければいけない。さもなければ生きる資格はない。
 羊はそれを伝えたかったのだろう。

「羊……」

 呼んでも一向に出てくる気配はない。それはそうだ、自分から出て行ったものが戻ってくるはずもない。
 俺は羊に嫌われていたのだろうか。
 わからない。
 無償の愛というものがあったと一時は信じたはずなのに。
 今では愛がわからない。

 あれは執着だったのだろうか。

 結局羊は戻ってこなかった。
 大義名分をなくした俺はお腹を空かしてただ眠っている。
 熱中症にはならなくなった、けれども起きたら水を飲む。
 何度も羊の夢を見る。あのもふもふが俺に触れる夢。
 夢の中で「今度こそは現実だろう」と思うのだが、目覚めると夢で落胆する。
 それでも眠る。
 次こそは現実になるかもしれないから。
 賭け事のごとく、俺は眠る。
50/157ページ
    スキ