短編小説(2庫目)

 春です。
 私は春が好きです。
 だから今日はいい日でした。

 とてもいい日です。
 空は■く、鳥は飛び、そよ風が吹いています。
 私は外に出て、歩きました。
 とてもいい日なので、全てのものがぐにゃぐにゃとしています。私はそれを爽やかだと思います。
 現実から自分が切り離されたような感覚。ふわふわとして、心は凪。
 平穏でいい日です。

 春はいいなあと思います。花は咲きますし、雨は降りますし、■■は■り■ちますし、いい季節です。
 封じられていたもの全てが蘇り、地上に出てくる季節。
 それが春です。

 冬は気分が暗くてたまらず、ずっと部屋の中にいました。
 きっと私も封じられていたのです。
 春になったので蘇り、こうして外を歩いています。
 冬は■が■■■季節。気分が暗くなっても仕方がないのです。
 けれど今は春。全てが蘇り、どろどろに溶ける季節です。
 何も心配することはありません。今日はとてもいい日。嫌なことはないし、全ていいことで終わります。

 ぐにゃぐにゃのブロック塀が揺れています。君もおいでと揺れています。
 群青色の鳥が飛んでいます。空に円をかいてたくさんたくさん飛んでいます。
 世界はこれほど美しかったでしょうか?
 それとも、私がおかしかったのでしょうか?
 けれどもそんなことはわかる必要がないのです。
 空は■い。
 鳥は青い。
 世界は揺れて。
 歌でも歌いたくなりますが、そんなことをすると迷惑なのでリズムを取ります。
 世界が揺れています。
 異常。

 私が異常になったのは、■■のときからでした。
 それまでは己を律して綺麗に生きていたのに、■■のときからおかしくなったのです。
 自分を抑えられなくなりました。
 加齢によるものだったのかもしれないし、冬が悪さをしたせいかもしれません。
 わからないことを考えても仕方がないのに、ずっと考えてしまうのです。
 けれども今日はいい日なので、考えても許されるのです。
 誰も私を咎める者はいません。
 全員ぐにゃぐにゃになってしまいましたから。

 ぐにゃぐにゃになっても生きている者は生きています。
 罪はない。責任もない。
 罪も責任も、ないに越したことはありません。
 それを悪し様に言った、あの人たちは悪い人たちでした。
 いい色の空をしている。今日はいい日です。

 この星に宇宙船が落ちた日、私は部屋の中にいました。
 何もかもがぐにゃぐにゃになって、終わっていきました。
 私はそれを見ていました。
 親しい人も親しくない人も、等しくぐにゃぐにゃになっていきました。
 悲しいとも嬉しいともつかない気持ちで見ていました。
 世界がどんどん鈍っていくのを、見ていました。

 外を歩けば歩くほど、私も鈍っていく気がします。
 ぐにゃぐにゃになっていく。
 今日はとてもいい日なので、自分がぐにゃぐにゃになることは祝福されるべきことなのです。
 みんなと一緒になれるのですから。

 なんでもみんなと一緒がいい。みんなと同じことが正しいのだと知っています。
 みんなと違うことは間違っていて、許されなくて、罪ですね?
 笑ってはいけない。怒ってはいけない。泣いてもいけない。
 何もかも言われたとおりにして、皆と同じにして、悲しそうな顔をしていましょう。反省した顔をしていましょう。後悔した顔をしていましょう。
 私が皆と一緒になるのは良いことなので、受け入れなければなりません。
 ブロック塀が呼んでいたので手を触れて、もっとぐにゃぐにゃになって、ぐにゃぐにゃになります。
 一人でいた自分と、ぐにゃぐにゃになった皆が一緒になります。
 皆は私で、私は皆。
 境界が溶けていきます。
 そうして皆の思念が流れ込んできた瞬間、私は後悔しました。
 雑音。
 私の思念と皆の思念は、あまりにも違っていた。

 しかしこれはハッピーエンドなので、喜んでおくことにします。
 今日はとてもいい日でした。
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