短編小説(2庫目)
俺はものをよく失くす。小さい頃からよく失くす。社会人になった今もそれは同じで。
文房具。メモ。はたまた書類。何から何までよく失くす。
仕事ができない社会人、それが俺だ。
失くし物をするのは机の上が汚いからだよ、片付けな、と始終言われるのだが、それができたら苦労はしない。
片付けても片付けても次の日にはまた散らかっている。
散らかすよりも片付ける方が時間がかかるのだ。
仕方ない。
いや仕方なくはない。
文房具を失くして買い直したこと■回、書類を失くして怒られたこと■回。
責任の取れない奴だとよく言われる。たぶん俺は出世ができない。
そんな俺が失くし物の果てに己を失くすのも時間の問題だった。
つまり失くした。数日前に。
俺の机は片付けられて、何もない更地になっている。
あんなに汚かった机は見る影もない。
俺の書類は誰が処理してくれたのだろう。同僚には申し訳ないな。
そうやって俺が机の周囲をふらふらしていると、
「自分を失くした奴には居場所なんかないよ」
飛んでくる声。
上司だ。
「俺が見えるんすか」
「見えるよ」
「他の人には見えないのに?」
「見えてるけど見ないふりしてるんじゃないか?」
「そんな、ひどい」
「早くあるべきところに行きな」
と笑った上司の表情に陰りはなく、本当に俺を送り出そうとしてくれているのだなという気持ちが……
「って俺は死にたくないんですよ」
「もう死んでるでしょ」
「それでも消えたくないんです」
「じゃあなんで死んだ」
「わからないんですよ! 失くし物するのに理由がありますか? ないでしょ? だからたぶん俺の不注意かなって」
「失くし物をするのは身の回りの整理整頓ができていないからじゃないのか」
「整理整頓してても失くすんですよ!」
「君、整理整頓したことないじゃない?」
「ありますよ、人生に一回ぐらいは」
「そのレベルなのか」
「苦手なんすよ!」
「だから命も失くしましたってか?」
「そうですけど……」
「ふざけるなよ。命はそんな簡単に失くしていいものじゃない」
「えっでも先輩は俺に死」
「かわいい後輩に対して死んでほしいと思う奴がいるか?」
「いるかもしれないじゃないすか」
「どうして君はそう卑屈なの。俺の教え方が悪かったのか……?」
「先輩のせいじゃありませんって」
「そういう問題でもない」
じと、と睨んでくる上司。
どうしたものか。
「はー。もういいからさっさと成仏しな」
「適当ですね?」
「呆れたんだよ。あまりの救われなさに」
「どうせ俺は救われませんよっと」
「困ったもんだよ……」
上司は頭をがしがしとかく。
白髪が増えている。
俺のせいか……
「自惚れも大概にしな。人が一人死んだぐらいで白髪増やしてちゃやっていけないでしょ」
「でも先輩、人が一人死ぬって大変なことですよ」
「自分で言うか?」
「俺は失くし物しただけですけど」
「要領を得ないな……」
「とにかく俺は死にたくないんですよ」
「もう死んでるのにって何回言ったらわかる?」
「死にたくないんです」
「そう言われてもね……じゃあ俺の仕事する姿でも眺めてたら? 暇は潰れるでしょ」
◆
それから数日、俺は上司の仕事する姿を眺めている。
「暇ですね……」
「じゃあ手伝ってくれる?」
「生憎手がすり抜けちゃうもので」
「不便な体だねえ……じゃあこの書類の数字読み上げて」
「それくらいはできますよ。えーと……1165、5210……」
「君、それ一行飛ばしてる」
「あっ……」
「生前も不注意だったけど死後も不注意なんだな君は。読み上げはいいよ、俺がやるから」
「すみません……」
こんなの自己肯定感下がりまくりだよ。なんで死んでまで仕事でミスしなきゃいけないんだ。っていうか俺は上司を何も助けられないのか。
「暇なら俺のスマホ貸してあげるから、そこの席でオーディオブックでも聴いてたら?」
「え、いいんですか」
「いいも何も……」
「ありがとうございます」
◆
「ほら、帰るよ」
いつの間にか相当時間が経っていたようだ。
上司チョイスのオーディオブックはなかなか面白く、聴き入ってしまっていた。
「帰るって?」
「ずっとここにいても暇でしょ。俺の家来なよ」
「えっそれって……」
「変な誤解しないでくれる? 死者への親切心です」
「でも俺が行ったらなんか……」
「俺は一人暮らしだから、幽霊が一人来たぐらいで何もなりゃしないよ」
「でも……いいんですか?」
「親切心だって言ったでしょ」
「言いましたが……」
「俺の親切心を無にするつもり?」
「いやそれは……」
「さっさと来な。それとも今日もこのオフィスで暇したい?」
「したくないです」
夜のオフィスは正直怖い。俺は命を失くした身だが、何か出そうな気がしてしまう。心臓に悪い。もう心臓ないけど。
「じゃあ来な」
「はい……」
拒否権はなかった。
◆
「先輩の部屋、広いっすねー」
「優雅な独身貴族だからね。部屋は奮発して職場に近いいいとこ借りたの」
「家賃どれくらいするんすか?」
「君ねえ、そういうことは聞かないのが礼儀でしょ」
「あ、すみません」
「はあ……部下が死んでも指導することになるとは思ってなかったよ」
「すみません……」
「まあ、俺が好きでやってるからいいんだけどね」
「好きでやってるんすか?」
「親切心だよ」
「はあ……」
俺は眉を下げる。
「あ、ベッド使っていいからね」
「幽霊にベッドはいりませんって。それに俺がベッドで寝たら先輩はどこで寝るんすか」
「ソファだけど」
「生者は体大事にしないと……俺がソファで寝るんで、っていうか俺命失くしてから眠れなくなったんで」
「目を閉じるだけでも違うって言うでしょ」
「いやほんとに……客がベッド使うって俺申し訳なさすぎて蒸発しちゃうんで」
「成仏してくれるならその方がいいんだけど」
「いや! ソファがいいんですよ! 昔からソファで寝るの憧れでしたし!」
「何その変な憧れ」
上司がくくっと笑う。
久しぶりに笑ったの見た気がする。
「そんなに言うならソファで寝なよ。後から文句言っても知らないからね」
「はい!」
◆
深夜。
時計の音が鳴っている。
俺はやっぱり眠れなくて、上司の家の天井を眺めていた。
上司の寝息。
俺は立ち上がってふよふよとベッドサイドまで行く。
眠っている上司をじっと見る。
上司はいわゆるイケメンだ。少々悔しいが、寝顔は整っている。
俺はため息を吐く。
不注意なのが俺の悪いところだとして、俺はどうしてこんな、先輩に多大な迷惑をかけるようなことになってしまったのだろうか。
俺が幽霊だとしたら、側に置いて先輩やこの部屋にいい影響があるとは思えない。何か瘴気のようなものが満ちていくんじゃなかろうか。
だったら俺はなるべく早く成仏した方がいい。けど、その方法がわからない。
「はあ……」
「どうした……」
上司がうっすらと目を開けて俺に問う。
「な、先輩……寝てください」
「困ってるなら早く言いな……」
「大丈夫ですから……」
「そうか……?」
そのまますう、と寝てしまう上司。
とにかくこの状況をどうにかしなければ……
◆
次の日。
毎日会社にいて疲れたろ、今日は家にいたら? という上司の言葉に甘え、俺は留守番となる。
そして。
「すみませーん……」
俺は上司の家の近所を探し歩き、寺を見つけて訪ねていた。
「どうしたのかね、道に迷ったのかね」
袈裟を着たお坊さんらしき人が俺に問う。
「成仏の方法がわからないんです」
「ほう……?」
お坊さんは俺をじ、と見る。
「見たところ、あなたは死んではいないようだが」
「死んではいない……?」
「命をどこかに落としてきたように見える」
「あ、そうなんです。不注意で命を失くしたんです。そしたらこんな、幽霊みたいになってしまって……」
「あなたは元に戻りたいのかね?」
「うーん……」
俺は眉を寄せる。
元に戻るということは、あのつらい人生をもう一度続けるということで。
嫌だな。それならこのままでも……と思ったが、上司の顔が頭に浮かぶ。
ずっとこのままでいたら、上司にずっと迷惑をかけてしまう。もし瘴気が出ていたら、上司を不幸にしてしまうし。
だから成仏したいと思ったんじゃないのか。
「どちらかというと、成仏したい気持ちの方が強いですかね……」
「死んでいないのに?」
「いやまあ……こんなの死んでるのと一緒ですし、身近な人にも迷惑かけたくないですし」
「人生悪いことばかりでもないぞ」
「気休めはよしてください。どうせ俺の人生なんて何一つ上手くいかないんです」
「ふむ……」
お坊さんは考え込む。
「いずれにせよ、あなたはもう帰った方が良い」
「帰る? 天に?」
「おい、■■!」
「え」
俺は目を開ける。
「寝てたのか? 死んだのかと思ってびっくりしたよ」
「幽霊は死にませんって」
辺りはもう暗い。
俺は上司の家のソファで寝入っていたようだ。
「そんなことより君の机を整理してたら見つけたんだよ」
「書類ですか?」
「命だよ!」
「命?」
「失くしたって言ってたろ」
「ああ……俺の……?」
上司の手の上には、光輝く何物かがある。
「でも、今さら生き返ったって、俺は」
「馬鹿! かわいい後輩には生きててほしいと思うのが先輩の思いだろうが!」
「そんなこと言われても、先輩が俺のこれからの人生に責任持ってくれるわけじゃないですし……」
「他人の人生に責任持てる奴がいるか。君だって俺の人生には責任持てないでしょ。誰だって親だって、他人の人生に責任持てる奴なんかいないんだよ」
「そう言われましても」
「なんだよ、君は生き返りたくないの?」
「死んだ方が楽ですし」
「俺の気持ちを否定する気か?」
「先輩、そういうのはずるいです」
「ずるいっつってもな」
上司は頭をがしがしとかく。
白髪の量は昨日の通りだ。
まあ一日で増えるなんてのもおかしいよな。
でも以前よりは増えている、やっぱり俺が迷惑かけたから……
「死にたくないって言った気持ちは嘘だったのか?」
「嘘じゃありませんけど」
「じゃ何で今になって死にたいって言う」
「それは、もう誰にも迷惑をかけたくないから……」
「おかしいでしょ。あのときの気持ちはどこ行ったの」
「死にたくないんですけど、死んだ方がいいと思うんです」
「はー……義務ね、要するに」
「……」
「そんな義務吹っ飛ばしてやる。受け取れ」
上司が俺の胸に「命」を押し込む。
「待ってください、生き返っちゃ……」
◆
「どう、気分は」
「最悪ですよ……身体は痛いし」
「ソファなんかで寝るからだよ。自業自得」
「いやだって、生き返るなんて思わないじゃないですか……」
「二人用ベッド買おう。それでいいでしょ」
「待ってください、なんで俺がここに住むことになってるんですか」
「だって君……死んだことになって、君が住んでた寮の部屋、もう新しい人入っちゃったし」
「えっ……早すぎる」
「世の中が回るのは早いんだよ」
「し、仕事は……」
「もう会社に籍ないよ。あと君たぶんあの仕事向いてないのでは? どっか別の仕事探しな」
「そ、そんなあ……」
がくりと落ち込んだポーズをする俺。
「たぶんね、君しかるべき所に相談に行った方がいい気がする」
「な、なんでそんなこと言うんですか……」
「ここ数日で調べたり聞いたりしたの。同僚やら友人やら。そしたら君……その不注意は君が不真面目なんじゃなく、ただの特性だって」
「えっ俺が不真面目なだけだったんじゃなかったんですか」
失敗作で不真面目にしか生きられない奴だからこんなに失くし物を繰り返すんだと思っていたが、そうではないのか?
「行った方がいいよ……医者とか福祉とか。メンタルケアが先だから」
「せ、先輩の口からメンタルケアなんて言葉が飛び出すなんて……」
「長く働こうと思ったらメンタル管理は大事だからね」
「その言葉、いつも聞いちゃいましたけどてっきり建前かと……」
「友人にいい医者聞いてきたから行ってきな。スマホはまだあるんだよね?」
「えーと……」
俺は背広のポケットを探る。
スマホは……あった。
電源が切れていたので点けると、充電はまだある。未読メールが1件。
「メールに書いてあるから、明日になったら予約入れて。だいぶ先になると思うから、その間にカウンセリング行って」
「わかりました……」
居候に拒否権はない。部下にも拒否権はない。
「部下に拒否権はあるからね? 君、なんか流されるタイプみたいだから言うけど」
「今も流されて先輩の家に居候に」
「そこは流されていいんだよ。あと君はもう会社に籍ないし、部下じゃないから」
「えっじゃあ何なんですか」
「かわいい後輩でいいでしょ」
「かわいい後輩……先輩はなんでかわいい後輩にここまでするんですか?」
「親切心」
「先輩の親切心すごいですね……」
「すごいでしょ? もっと褒め称えてもいいよ」
「さすが先輩。すごい先輩」
「語彙力」
「すんません……」
「今日もう遅いし、ご飯食べて寝よう。買ってきたやつがある」
「先輩は料理はしないんすか」
「俺は料理できないから」
「じゃ俺が……」
「かわいい後輩に料理をさせる? とんでもない。買おう。エネルギーのないときに無理に料理をするのは問題だよ」
「そ、そうですか……」
「はい、きつねうどん。君、うどん好きでしょ」
「なんで知ってるんすか」
「食堂でいつも食べてたから」
「なるほど……」
渡されたうどんを受け取る。
先輩の方を見ると、先輩もうどんだ。
「じゃ、食べよっか。いただきます」
「いただきます」
蓋を開け、口に運ぶ。
「……」
「どした?」
数日ぶりに生きている感じがした。
「おいしいです」
「それはよかった」
先輩は安堵したように笑った。
その顔を見たとき、やっぱり俺生きててよかったかもしれない、と思った。
文房具。メモ。はたまた書類。何から何までよく失くす。
仕事ができない社会人、それが俺だ。
失くし物をするのは机の上が汚いからだよ、片付けな、と始終言われるのだが、それができたら苦労はしない。
片付けても片付けても次の日にはまた散らかっている。
散らかすよりも片付ける方が時間がかかるのだ。
仕方ない。
いや仕方なくはない。
文房具を失くして買い直したこと■回、書類を失くして怒られたこと■回。
責任の取れない奴だとよく言われる。たぶん俺は出世ができない。
そんな俺が失くし物の果てに己を失くすのも時間の問題だった。
つまり失くした。数日前に。
俺の机は片付けられて、何もない更地になっている。
あんなに汚かった机は見る影もない。
俺の書類は誰が処理してくれたのだろう。同僚には申し訳ないな。
そうやって俺が机の周囲をふらふらしていると、
「自分を失くした奴には居場所なんかないよ」
飛んでくる声。
上司だ。
「俺が見えるんすか」
「見えるよ」
「他の人には見えないのに?」
「見えてるけど見ないふりしてるんじゃないか?」
「そんな、ひどい」
「早くあるべきところに行きな」
と笑った上司の表情に陰りはなく、本当に俺を送り出そうとしてくれているのだなという気持ちが……
「って俺は死にたくないんですよ」
「もう死んでるでしょ」
「それでも消えたくないんです」
「じゃあなんで死んだ」
「わからないんですよ! 失くし物するのに理由がありますか? ないでしょ? だからたぶん俺の不注意かなって」
「失くし物をするのは身の回りの整理整頓ができていないからじゃないのか」
「整理整頓してても失くすんですよ!」
「君、整理整頓したことないじゃない?」
「ありますよ、人生に一回ぐらいは」
「そのレベルなのか」
「苦手なんすよ!」
「だから命も失くしましたってか?」
「そうですけど……」
「ふざけるなよ。命はそんな簡単に失くしていいものじゃない」
「えっでも先輩は俺に死」
「かわいい後輩に対して死んでほしいと思う奴がいるか?」
「いるかもしれないじゃないすか」
「どうして君はそう卑屈なの。俺の教え方が悪かったのか……?」
「先輩のせいじゃありませんって」
「そういう問題でもない」
じと、と睨んでくる上司。
どうしたものか。
「はー。もういいからさっさと成仏しな」
「適当ですね?」
「呆れたんだよ。あまりの救われなさに」
「どうせ俺は救われませんよっと」
「困ったもんだよ……」
上司は頭をがしがしとかく。
白髪が増えている。
俺のせいか……
「自惚れも大概にしな。人が一人死んだぐらいで白髪増やしてちゃやっていけないでしょ」
「でも先輩、人が一人死ぬって大変なことですよ」
「自分で言うか?」
「俺は失くし物しただけですけど」
「要領を得ないな……」
「とにかく俺は死にたくないんですよ」
「もう死んでるのにって何回言ったらわかる?」
「死にたくないんです」
「そう言われてもね……じゃあ俺の仕事する姿でも眺めてたら? 暇は潰れるでしょ」
◆
それから数日、俺は上司の仕事する姿を眺めている。
「暇ですね……」
「じゃあ手伝ってくれる?」
「生憎手がすり抜けちゃうもので」
「不便な体だねえ……じゃあこの書類の数字読み上げて」
「それくらいはできますよ。えーと……1165、5210……」
「君、それ一行飛ばしてる」
「あっ……」
「生前も不注意だったけど死後も不注意なんだな君は。読み上げはいいよ、俺がやるから」
「すみません……」
こんなの自己肯定感下がりまくりだよ。なんで死んでまで仕事でミスしなきゃいけないんだ。っていうか俺は上司を何も助けられないのか。
「暇なら俺のスマホ貸してあげるから、そこの席でオーディオブックでも聴いてたら?」
「え、いいんですか」
「いいも何も……」
「ありがとうございます」
◆
「ほら、帰るよ」
いつの間にか相当時間が経っていたようだ。
上司チョイスのオーディオブックはなかなか面白く、聴き入ってしまっていた。
「帰るって?」
「ずっとここにいても暇でしょ。俺の家来なよ」
「えっそれって……」
「変な誤解しないでくれる? 死者への親切心です」
「でも俺が行ったらなんか……」
「俺は一人暮らしだから、幽霊が一人来たぐらいで何もなりゃしないよ」
「でも……いいんですか?」
「親切心だって言ったでしょ」
「言いましたが……」
「俺の親切心を無にするつもり?」
「いやそれは……」
「さっさと来な。それとも今日もこのオフィスで暇したい?」
「したくないです」
夜のオフィスは正直怖い。俺は命を失くした身だが、何か出そうな気がしてしまう。心臓に悪い。もう心臓ないけど。
「じゃあ来な」
「はい……」
拒否権はなかった。
◆
「先輩の部屋、広いっすねー」
「優雅な独身貴族だからね。部屋は奮発して職場に近いいいとこ借りたの」
「家賃どれくらいするんすか?」
「君ねえ、そういうことは聞かないのが礼儀でしょ」
「あ、すみません」
「はあ……部下が死んでも指導することになるとは思ってなかったよ」
「すみません……」
「まあ、俺が好きでやってるからいいんだけどね」
「好きでやってるんすか?」
「親切心だよ」
「はあ……」
俺は眉を下げる。
「あ、ベッド使っていいからね」
「幽霊にベッドはいりませんって。それに俺がベッドで寝たら先輩はどこで寝るんすか」
「ソファだけど」
「生者は体大事にしないと……俺がソファで寝るんで、っていうか俺命失くしてから眠れなくなったんで」
「目を閉じるだけでも違うって言うでしょ」
「いやほんとに……客がベッド使うって俺申し訳なさすぎて蒸発しちゃうんで」
「成仏してくれるならその方がいいんだけど」
「いや! ソファがいいんですよ! 昔からソファで寝るの憧れでしたし!」
「何その変な憧れ」
上司がくくっと笑う。
久しぶりに笑ったの見た気がする。
「そんなに言うならソファで寝なよ。後から文句言っても知らないからね」
「はい!」
◆
深夜。
時計の音が鳴っている。
俺はやっぱり眠れなくて、上司の家の天井を眺めていた。
上司の寝息。
俺は立ち上がってふよふよとベッドサイドまで行く。
眠っている上司をじっと見る。
上司はいわゆるイケメンだ。少々悔しいが、寝顔は整っている。
俺はため息を吐く。
不注意なのが俺の悪いところだとして、俺はどうしてこんな、先輩に多大な迷惑をかけるようなことになってしまったのだろうか。
俺が幽霊だとしたら、側に置いて先輩やこの部屋にいい影響があるとは思えない。何か瘴気のようなものが満ちていくんじゃなかろうか。
だったら俺はなるべく早く成仏した方がいい。けど、その方法がわからない。
「はあ……」
「どうした……」
上司がうっすらと目を開けて俺に問う。
「な、先輩……寝てください」
「困ってるなら早く言いな……」
「大丈夫ですから……」
「そうか……?」
そのまますう、と寝てしまう上司。
とにかくこの状況をどうにかしなければ……
◆
次の日。
毎日会社にいて疲れたろ、今日は家にいたら? という上司の言葉に甘え、俺は留守番となる。
そして。
「すみませーん……」
俺は上司の家の近所を探し歩き、寺を見つけて訪ねていた。
「どうしたのかね、道に迷ったのかね」
袈裟を着たお坊さんらしき人が俺に問う。
「成仏の方法がわからないんです」
「ほう……?」
お坊さんは俺をじ、と見る。
「見たところ、あなたは死んではいないようだが」
「死んではいない……?」
「命をどこかに落としてきたように見える」
「あ、そうなんです。不注意で命を失くしたんです。そしたらこんな、幽霊みたいになってしまって……」
「あなたは元に戻りたいのかね?」
「うーん……」
俺は眉を寄せる。
元に戻るということは、あのつらい人生をもう一度続けるということで。
嫌だな。それならこのままでも……と思ったが、上司の顔が頭に浮かぶ。
ずっとこのままでいたら、上司にずっと迷惑をかけてしまう。もし瘴気が出ていたら、上司を不幸にしてしまうし。
だから成仏したいと思ったんじゃないのか。
「どちらかというと、成仏したい気持ちの方が強いですかね……」
「死んでいないのに?」
「いやまあ……こんなの死んでるのと一緒ですし、身近な人にも迷惑かけたくないですし」
「人生悪いことばかりでもないぞ」
「気休めはよしてください。どうせ俺の人生なんて何一つ上手くいかないんです」
「ふむ……」
お坊さんは考え込む。
「いずれにせよ、あなたはもう帰った方が良い」
「帰る? 天に?」
「おい、■■!」
「え」
俺は目を開ける。
「寝てたのか? 死んだのかと思ってびっくりしたよ」
「幽霊は死にませんって」
辺りはもう暗い。
俺は上司の家のソファで寝入っていたようだ。
「そんなことより君の机を整理してたら見つけたんだよ」
「書類ですか?」
「命だよ!」
「命?」
「失くしたって言ってたろ」
「ああ……俺の……?」
上司の手の上には、光輝く何物かがある。
「でも、今さら生き返ったって、俺は」
「馬鹿! かわいい後輩には生きててほしいと思うのが先輩の思いだろうが!」
「そんなこと言われても、先輩が俺のこれからの人生に責任持ってくれるわけじゃないですし……」
「他人の人生に責任持てる奴がいるか。君だって俺の人生には責任持てないでしょ。誰だって親だって、他人の人生に責任持てる奴なんかいないんだよ」
「そう言われましても」
「なんだよ、君は生き返りたくないの?」
「死んだ方が楽ですし」
「俺の気持ちを否定する気か?」
「先輩、そういうのはずるいです」
「ずるいっつってもな」
上司は頭をがしがしとかく。
白髪の量は昨日の通りだ。
まあ一日で増えるなんてのもおかしいよな。
でも以前よりは増えている、やっぱり俺が迷惑かけたから……
「死にたくないって言った気持ちは嘘だったのか?」
「嘘じゃありませんけど」
「じゃ何で今になって死にたいって言う」
「それは、もう誰にも迷惑をかけたくないから……」
「おかしいでしょ。あのときの気持ちはどこ行ったの」
「死にたくないんですけど、死んだ方がいいと思うんです」
「はー……義務ね、要するに」
「……」
「そんな義務吹っ飛ばしてやる。受け取れ」
上司が俺の胸に「命」を押し込む。
「待ってください、生き返っちゃ……」
◆
「どう、気分は」
「最悪ですよ……身体は痛いし」
「ソファなんかで寝るからだよ。自業自得」
「いやだって、生き返るなんて思わないじゃないですか……」
「二人用ベッド買おう。それでいいでしょ」
「待ってください、なんで俺がここに住むことになってるんですか」
「だって君……死んだことになって、君が住んでた寮の部屋、もう新しい人入っちゃったし」
「えっ……早すぎる」
「世の中が回るのは早いんだよ」
「し、仕事は……」
「もう会社に籍ないよ。あと君たぶんあの仕事向いてないのでは? どっか別の仕事探しな」
「そ、そんなあ……」
がくりと落ち込んだポーズをする俺。
「たぶんね、君しかるべき所に相談に行った方がいい気がする」
「な、なんでそんなこと言うんですか……」
「ここ数日で調べたり聞いたりしたの。同僚やら友人やら。そしたら君……その不注意は君が不真面目なんじゃなく、ただの特性だって」
「えっ俺が不真面目なだけだったんじゃなかったんですか」
失敗作で不真面目にしか生きられない奴だからこんなに失くし物を繰り返すんだと思っていたが、そうではないのか?
「行った方がいいよ……医者とか福祉とか。メンタルケアが先だから」
「せ、先輩の口からメンタルケアなんて言葉が飛び出すなんて……」
「長く働こうと思ったらメンタル管理は大事だからね」
「その言葉、いつも聞いちゃいましたけどてっきり建前かと……」
「友人にいい医者聞いてきたから行ってきな。スマホはまだあるんだよね?」
「えーと……」
俺は背広のポケットを探る。
スマホは……あった。
電源が切れていたので点けると、充電はまだある。未読メールが1件。
「メールに書いてあるから、明日になったら予約入れて。だいぶ先になると思うから、その間にカウンセリング行って」
「わかりました……」
居候に拒否権はない。部下にも拒否権はない。
「部下に拒否権はあるからね? 君、なんか流されるタイプみたいだから言うけど」
「今も流されて先輩の家に居候に」
「そこは流されていいんだよ。あと君はもう会社に籍ないし、部下じゃないから」
「えっじゃあ何なんですか」
「かわいい後輩でいいでしょ」
「かわいい後輩……先輩はなんでかわいい後輩にここまでするんですか?」
「親切心」
「先輩の親切心すごいですね……」
「すごいでしょ? もっと褒め称えてもいいよ」
「さすが先輩。すごい先輩」
「語彙力」
「すんません……」
「今日もう遅いし、ご飯食べて寝よう。買ってきたやつがある」
「先輩は料理はしないんすか」
「俺は料理できないから」
「じゃ俺が……」
「かわいい後輩に料理をさせる? とんでもない。買おう。エネルギーのないときに無理に料理をするのは問題だよ」
「そ、そうですか……」
「はい、きつねうどん。君、うどん好きでしょ」
「なんで知ってるんすか」
「食堂でいつも食べてたから」
「なるほど……」
渡されたうどんを受け取る。
先輩の方を見ると、先輩もうどんだ。
「じゃ、食べよっか。いただきます」
「いただきます」
蓋を開け、口に運ぶ。
「……」
「どした?」
数日ぶりに生きている感じがした。
「おいしいです」
「それはよかった」
先輩は安堵したように笑った。
その顔を見たとき、やっぱり俺生きててよかったかもしれない、と思った。
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