蛇を積む

 帰り道。

「あんなことがあった後で次の日出勤しろというのは酷だろう。明日は休んでもらって構わないよ」
「いえ、しかし……」
「社員のメンタルケアも上司の仕事なのでね。心配はいらない。ペットボトルは一日ぐらい溜まっても平気だろう」
 土日のように供給が止まるという話でもないんだし、一日溜まると次の日の俺の仕事が増えるんだがなあ、と思うが、言わない。
 新しい人間が来るという話が本当なら、いずれそれも分担できるようになるんだろうし。
 相変わらず乗り気でないのは事実だが、自分が休んだとき、代わりに仕事をやってくれる人材が来るのはいいことかもしれない。
 俺にそう思わせるために今回の事件があった、と考えるのはさすがに陰謀論者すぎるとは思うのでやめる。いくら人権が死んでいる世界とはいえ、そんなことのために人一人殺すのは割に合わなさすぎると思うし。
「人間くん、ほら、着いたぞ」
「あ……はい、ありがとうございました、シュレーディングさん」
「先ほど言った通り、後で医療班が来るので、部屋の鍵は開けておいてくれたまえ。では、また明後日」
「はい。また明後日」
 シュレーディングは俺が寮に入るまで尻尾を振っていた。



 人型ロボットで構成された医療班によるメディカルチェックは何事もなく終わり、夕食も終え、寝る準備も済ませ、部屋で一人SNSを眺める。
『仕事終わった』
『今日の昼食おいしかった』
『今日もなんとか乗り切れた』
『上司、人間嫌いすぎる』
 流れていく小さな意見の山。
 自分も何か言おうと思ったが、人間に襲われたことはなんとなく言ってはいけない気がしたし、襲ってきた人間も死んでいるのでそれもコミュニティを刺激してしまう気がしたし、それに特に不満もなかったしで黙って画面を眺める。
『夕食はラーメン』
『スキルを伸ばすには』
『自分を変えたい』
「……」
 端末の画面を閉じて、ベッドに横たわる。

 今日は色々なことがあった。
 新しい人間が来るという話があった。そして、今日一番大きな出来事は人間に脅されたこと。
 あの人間は、順当に考えるならばスラム街の人間なんだろう。
 どうしてあんなところにいたのかは知らないが。
 蛇の情報を喋れ、と言っていた。
 蛇のどういう情報を知りたかったのかはわからない。おそらく、俺が承諾してから言う予定だったのだろう。
 だが俺は首を縦に振らなかった。
 ……裏切り者、か。
 そうかもな。というか、そうなんだろう。
 蛇に魂を売ったものは蛇に忠誠を誓う。そうしなければ生きていけないからだ。
 魂を売っているのに人間側に付こうとするのは……まあ、スパイ的なことを考える奴だけだろう。もしくは、俺のように脅されて、命が惜しくなった奴とか。
 だが、ああいう人間、蛇に魂を売った人間を脅そうとする人間が出てくるということは、単純に考えるなら、人間側に蛇への反発心がかなり出てきているということなのではないか。
 俺は蛇側からかなり情報統制された立場にいるわけだから、少なすぎる情報から考えた答えが正しいかどうかはわからない。
 というかそうだよ、ほとんど何も知らないに等しいんだから、今人間社会で何が起こっているかなんてことを俺なんかが考えても全くわからないじゃないか。
 はあ。

 上体を倒すと、ベッドサイドの小瓶が目に入った。
 なんとなく手に取ってみる。
 光に透かすときらきらと光る石。
『大事なものなら置いておきたまえ』
 シュレーディングの言葉。
 大事なもの、ではないが、実際こうして気晴らし程度にはなっている。
 スラム街を思い起こさせるようなものをこの部屋に置くのはあまり好ましくはないとは思うが、上司には許されているわけだし、綺麗なものを捨てるのも惜しいし。
 小瓶はこの部屋に残留し続けるのだろう。
 いつか俺が寿命で働けなくなって、死んだら……主のいなくなったこの部屋の私物は捨てられて、小瓶も処分されるのだろう。
 当然だ。
 俺に家族はいない、いなくなった。ゆえに、誰もこれを引き継ぐ者はいない。
 終わりなんだ。
 俺が死んだら。
 まあ、それまでこの社会が保つかどうかもわからないから。
 
 小瓶をサイドテーブルに戻す。
 布団を被る。
 閉め切ったカーテンの向こうに光る明かりに目を細めながら、俺は眠りについた。
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