短編小説(2庫目)
飼い慣らしたと思っていた羊が、大きくなって帰ってきた。
一年ほど前、羊が俺を侵食してきたので俺は頑張って羊を飼い慣らした。
それから俺と羊は平穏に暮らし、羊はいつの間にかいなくなって、少し寂しいと思いながらも俺は仕事をしたりゲームをしたりして暮らしていた。
そんなある日。
『―――』
「羊?」
同じ個体かどうかはわからない。しかし前よりは随分と大きくなった羊が、部屋にみっちり詰まっていた。
「あーあー、こんなに大きくなっちまって……そんなだと生活するのも大変だろうに」
羊は答えない。
もとよりコミュニケーションは望めぬ存在だった。ただそこにあって俺の存在を侵食してくる、そういう存在。
飼い慣らしたというのはもののたとえで、単に俺がその存在に慣れただけである。
「大丈夫か?」
本当に「大丈夫か?」なのは俺の方だとは知りつつも、羊に声をかける。
『………』
羊は無言だ。
そりゃそうか。
しかしこんなに大きいと、侵食の度合いも大きいんじゃないか?
明日から俺、正気でいられるかなあ。
◆
案の定、生活に支障が出た。
強すぎる眠気に倦怠感、あるはずのないことをあったと思い、あったはずのことを忘れている。思い出そうとするとき、脳裏に広がるのはどこまでも続く平野。
羊が俺を覗き込む。平たい目。
侵食されている。
羊が大きくなって帰ってきたのはどうしようもない。事実である。
それで俺はどうするか?
どうしようもない。慣れるしかない。
慣れられるのか? これに?
前回より強さの増した侵食に、俺が正気でいられるか?
なんとか仕事のメールを書いて出して、ため息を吐く。
本当にどうしたらいいんだ、これ。
羊は鳴かない。
◆
ベッドで過ごすことが増えた。
仕事のメールは積み上がっている。
ふと目が覚めるとき、羊が俺を覗き込んでいるのが見える。
侵食。意識が落ちる。
決まって悪夢を見る。
夢の中でも意識が落ちて、
『■■くん。君のせいだよ。君がそんなに怠けているから我々の■■は■■したんだ。反省しなさい。■■は寝るために来るところではない』
『■■くん。どうしてそんなにやる気がないの? 寝てしまうなら前の日にもっと早く寝るとか、努力をしたらどうなのかしら。いずれにせよ、あなたはきっと将来も駄目ね』
『■■くん』
『■■くん』
『失敗作』
「………」
目が覚める。全身に汗をかいている。
羊は窓の外を見ている、カーテンが引かれた窓の外を。
「………」
俺はベッドサイドに置いたコップから水を飲んで、横になったままだから飲みにくい。
なんとか飲んで、コップを戻す。
いつからこんな風になってしまったのだろう?
あの羊が来てからか?
いや、もっと前から俺はこんな風ではなかったか?
思い出せない。なかったことがあったことになり、あったことがなかったことになり、脳裏に広がるどこまでも続く平野……
困った、いや困らない。俺より困っている人などいくらでもいる、だからこんなのは困ったうちに入らない。
それより羊をなんとかしないと。
しかし羊も生き物、傷つけたり機嫌を損ねたりするわけにもいかない。丁重に扱わなければ。
横になって考える。
これまでだっていい方法が見つからなかったものを、少し考えたくらいで解決策なんて思い付くわけがない。
この世に魔法などない。
だから俺は■■したのだっけ?
いや、そんなことは本当にあったことなのだろうか。
どうかな。
案外今の方が幸せなのかもしれないぞ。
羊もほら、あんなに■■しているじゃないか。
一緒に眠ればいいんだ。そうすれば何もかもから解放される。
わかっているんだ。本当は何が一番正しいのか。
流されてはいけない、と叫ぶ自分と、また慣れればいい、と諭す自分がいて、どちらを信じればいいのかわからない。
世間的には前者であり、楽になるなら後者であるのだが。
こんな日常、いつまで続くのだろう。
わからなかった。わからなかったから、また目を閉じた。
俺は寿命を削っている。
羊は鳴かない。
一年ほど前、羊が俺を侵食してきたので俺は頑張って羊を飼い慣らした。
それから俺と羊は平穏に暮らし、羊はいつの間にかいなくなって、少し寂しいと思いながらも俺は仕事をしたりゲームをしたりして暮らしていた。
そんなある日。
『―――』
「羊?」
同じ個体かどうかはわからない。しかし前よりは随分と大きくなった羊が、部屋にみっちり詰まっていた。
「あーあー、こんなに大きくなっちまって……そんなだと生活するのも大変だろうに」
羊は答えない。
もとよりコミュニケーションは望めぬ存在だった。ただそこにあって俺の存在を侵食してくる、そういう存在。
飼い慣らしたというのはもののたとえで、単に俺がその存在に慣れただけである。
「大丈夫か?」
本当に「大丈夫か?」なのは俺の方だとは知りつつも、羊に声をかける。
『………』
羊は無言だ。
そりゃそうか。
しかしこんなに大きいと、侵食の度合いも大きいんじゃないか?
明日から俺、正気でいられるかなあ。
◆
案の定、生活に支障が出た。
強すぎる眠気に倦怠感、あるはずのないことをあったと思い、あったはずのことを忘れている。思い出そうとするとき、脳裏に広がるのはどこまでも続く平野。
羊が俺を覗き込む。平たい目。
侵食されている。
羊が大きくなって帰ってきたのはどうしようもない。事実である。
それで俺はどうするか?
どうしようもない。慣れるしかない。
慣れられるのか? これに?
前回より強さの増した侵食に、俺が正気でいられるか?
なんとか仕事のメールを書いて出して、ため息を吐く。
本当にどうしたらいいんだ、これ。
羊は鳴かない。
◆
ベッドで過ごすことが増えた。
仕事のメールは積み上がっている。
ふと目が覚めるとき、羊が俺を覗き込んでいるのが見える。
侵食。意識が落ちる。
決まって悪夢を見る。
夢の中でも意識が落ちて、
『■■くん。君のせいだよ。君がそんなに怠けているから我々の■■は■■したんだ。反省しなさい。■■は寝るために来るところではない』
『■■くん。どうしてそんなにやる気がないの? 寝てしまうなら前の日にもっと早く寝るとか、努力をしたらどうなのかしら。いずれにせよ、あなたはきっと将来も駄目ね』
『■■くん』
『■■くん』
『失敗作』
「………」
目が覚める。全身に汗をかいている。
羊は窓の外を見ている、カーテンが引かれた窓の外を。
「………」
俺はベッドサイドに置いたコップから水を飲んで、横になったままだから飲みにくい。
なんとか飲んで、コップを戻す。
いつからこんな風になってしまったのだろう?
あの羊が来てからか?
いや、もっと前から俺はこんな風ではなかったか?
思い出せない。なかったことがあったことになり、あったことがなかったことになり、脳裏に広がるどこまでも続く平野……
困った、いや困らない。俺より困っている人などいくらでもいる、だからこんなのは困ったうちに入らない。
それより羊をなんとかしないと。
しかし羊も生き物、傷つけたり機嫌を損ねたりするわけにもいかない。丁重に扱わなければ。
横になって考える。
これまでだっていい方法が見つからなかったものを、少し考えたくらいで解決策なんて思い付くわけがない。
この世に魔法などない。
だから俺は■■したのだっけ?
いや、そんなことは本当にあったことなのだろうか。
どうかな。
案外今の方が幸せなのかもしれないぞ。
羊もほら、あんなに■■しているじゃないか。
一緒に眠ればいいんだ。そうすれば何もかもから解放される。
わかっているんだ。本当は何が一番正しいのか。
流されてはいけない、と叫ぶ自分と、また慣れればいい、と諭す自分がいて、どちらを信じればいいのかわからない。
世間的には前者であり、楽になるなら後者であるのだが。
こんな日常、いつまで続くのだろう。
わからなかった。わからなかったから、また目を閉じた。
俺は寿命を削っている。
羊は鳴かない。
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