短編小説
「世界の果て」が見えてきた。
歩いて歩いて、私たちはそこに辿り着いた。
世界の果ては断崖絶壁になっていて、滝が流れ落ちている、と学校では教わったけれど、果てらしきものの先には真っ黒な空間が広がっているだけで、崖も滝も、大地すらなかった。
◆
ぬいぐるみのイルカが
「世界は終わるよ」
と言ったので、私は逃げ出すことにした。
どこに逃げるかという当てはなかったけれど、机の上に開いてあった教科書のページが「世界の果て」だったので、世界の果てを目指すことにして。
リュックに大切なものを詰められるだけ詰めて、出発は夜。
ベッドから出た私にイルカが、
「僕も一緒に連れてって」
と言った。
「なんで?」
「世界の果てが見たいから」
「なんで?」
「見たことがないからね。何せ僕は生まれてこの方水族館と君の部屋しか知らないんだから」
このイルカは、ずっと前の誕生日に両親からもらったものだ。それからずっと机の上の定位置に飾られ、ほこりを被っていた。
そうして世界の終わりになるまでどこにも連れて行かなかったのは、私の選んだことだから、責任の一端は私にもある、のかもしれない。
「いいよ。一緒に行こう」
私はイルカを旅に連れて行くことにした。
◆
通り過ぎる道、街。通りは全くいつも通りの様子で、人々が行き交い、A食屋さんが営業していたり、C雑貨屋さんの灯りが煌々と灯っていたりした。
夜に灯る灯りたちは輪郭が滲み、夜空に浮かぶ星のようだった。
この灯りたちとも世界が終わればお別れだ。その前に、私たちは逃げ出すのだ。
と、見覚えのある顔の群れが正面から近付いてくるのが見えた。私はイルカを握りしめる。
声をかけてくる人も、振り返る人もいなかった。
通り過ぎて、しばらく。私は息を吐いた。
同窓会のお知らせが届いてすぐ、丸めてゴミ箱に入れた。忘れたつもりだった。けれど日付だけは覚えていた。Q期間区分9の15日、つまり今日。
こんな外れまで来ているということは、おそらく二次会だろう。一次会は街の中心部にある宿泊店になっていたから。
元クラスメイトとも世界が終わればお別れだ。何をしなくとも、永遠に縁を切れるのだ。少しほっとする。二度と関わりたくなかったから。
街灯りが遠ざかる。真っ直ぐに伸びる道の脇には街灯が灯っていて点々と並び、それがOの森まで続いている。
私はこの街を歩いて出たことがない。
街の外に出た経験と言えば、遠足のときに移動列車で別の街に行ったことが数度あるだけだ。
森には政府の役人しか入ってはいけないことになっている。
森の先には「世界の果て」があるが、森は永遠に続くので辿り着けない。だから、君たちも無駄なことはやめなさい。学校ではそう教えられた。
森は危険だという。政府の役人も、入ることを許されているだけで、実際に入ることはないらしい。
森に入って帰ってきた人はいない。少なくとも、私は会ったことがない。森の様子は知らないし、どのように危険なのかも知らない。教わっていないからだ。
そんな森に行くことに、しかし不安はなかった。
世界は終わるのだ。森が本当に危険だとしても、私の世界がいつ終わるかの違いでしかない。どのみち、森を通らないと「世界の果て」には辿り着けないのだ。
そんなことを考えているうちに、木々がぱらぱらと増えてきて、目の前に立ち入り禁止の看板が現れた。
森だ。
私はイルカを目の前に掲げる。
「森に入るからね」
「うん」
イルカは小さく頷いた。
看板の横にある隙間を抜けて、私たちは森に入る。
街灯が遠くなるにつれ、視界が闇に浸食され始めたので、私は鞄からカンテラを出して点けた。
頼りない光が周囲をぼんやりと照らす。
森はどこまでも広がり、真に「永遠に続いている」かのようだった。
足下の木の根や石に気をつけながら、足を進める。
夜が続く。
歩いて歩いて、私は立ち止まった。
「ちょっと休憩」
足がだるくなってきていた。
カンテラを横に置き、木にもたれかかって座って鞄から水と乾パンを出してかじる。
イルカにもすすめたが、いらないと断られた。それはそうか、ぬいぐるみは物を食べない。
ぼんやりと闇を見つめていたら、向こうの方にぼんやりとした光を見つけた。
「何だろう」
私は荷物をしまい、カンテラを持って立ち上がる。
歩いて近付いてみると、光の元は発光する白い水晶だった。
光る水晶は他にもあって、ぽつぽつと森の奥に続いている。
「何だと思う?」
イルカに問いかける。
「『世界の果て』への道しるべだよ」
「へえ……これを辿っていけば『世界の果て』まで行けるのかな」
「うん」
「じゃあ、そうしよう」
イルカとカンテラを持ったまま、私は水晶を辿った。
夜は明けない。森の木々に遮られて、空も見えない。
水晶の明かりたちは柔らかく、先に続いている。
イルカは何も喋らない。私の方は、脳内で記憶の嵐が吹き荒れそうになるのを必死でこらえていた。
そうしているうちに、森の木々が開けた。
水晶は点々と続き、あるところでふつっと途切れ、その先には暗い闇が広がっていた。
私は少なくなる水晶を辿って、闇のほとりまで来た。
カンテラを掲げる。不思議なことに、カンテラを近づけても闇は照らされることなく広がっていた。
◆
「『世界の果て』だよ」
そうなのか。
意外と近かった。
「望む者にとっては近いものだからさ」
来た道を振り返ると、空が白み始めていた。
闇は闇のまま、照らされずそこにある。
やはり、「世界の果て」なのだ。
闇を見ていると、記憶に追いつかれそうになる。
私は鞄とカンテラとイルカを地面に置いた。
「どこへ行くの」
下からイルカが声をかける。
「『果て』に」
「僕も一緒に連れてって」
「なんで?」
「ここまで一緒に来たんだから、その先も見てみたいよ」
「……」
私はイルカを抱え上げる。
そして、「果て」に踏み出した。
記憶は私に追いつけず、遠く消えていった。
◆
広がる闇のほとりには一個の鞄とカンテラがぽつんと置かれており、灯りの点いたままのカンテラは朝焼けの森に向かって光を投げかけ続けていた。
(おわり)
歩いて歩いて、私たちはそこに辿り着いた。
世界の果ては断崖絶壁になっていて、滝が流れ落ちている、と学校では教わったけれど、果てらしきものの先には真っ黒な空間が広がっているだけで、崖も滝も、大地すらなかった。
◆
ぬいぐるみのイルカが
「世界は終わるよ」
と言ったので、私は逃げ出すことにした。
どこに逃げるかという当てはなかったけれど、机の上に開いてあった教科書のページが「世界の果て」だったので、世界の果てを目指すことにして。
リュックに大切なものを詰められるだけ詰めて、出発は夜。
ベッドから出た私にイルカが、
「僕も一緒に連れてって」
と言った。
「なんで?」
「世界の果てが見たいから」
「なんで?」
「見たことがないからね。何せ僕は生まれてこの方水族館と君の部屋しか知らないんだから」
このイルカは、ずっと前の誕生日に両親からもらったものだ。それからずっと机の上の定位置に飾られ、ほこりを被っていた。
そうして世界の終わりになるまでどこにも連れて行かなかったのは、私の選んだことだから、責任の一端は私にもある、のかもしれない。
「いいよ。一緒に行こう」
私はイルカを旅に連れて行くことにした。
◆
通り過ぎる道、街。通りは全くいつも通りの様子で、人々が行き交い、A食屋さんが営業していたり、C雑貨屋さんの灯りが煌々と灯っていたりした。
夜に灯る灯りたちは輪郭が滲み、夜空に浮かぶ星のようだった。
この灯りたちとも世界が終わればお別れだ。その前に、私たちは逃げ出すのだ。
と、見覚えのある顔の群れが正面から近付いてくるのが見えた。私はイルカを握りしめる。
声をかけてくる人も、振り返る人もいなかった。
通り過ぎて、しばらく。私は息を吐いた。
同窓会のお知らせが届いてすぐ、丸めてゴミ箱に入れた。忘れたつもりだった。けれど日付だけは覚えていた。Q期間区分9の15日、つまり今日。
こんな外れまで来ているということは、おそらく二次会だろう。一次会は街の中心部にある宿泊店になっていたから。
元クラスメイトとも世界が終わればお別れだ。何をしなくとも、永遠に縁を切れるのだ。少しほっとする。二度と関わりたくなかったから。
街灯りが遠ざかる。真っ直ぐに伸びる道の脇には街灯が灯っていて点々と並び、それがOの森まで続いている。
私はこの街を歩いて出たことがない。
街の外に出た経験と言えば、遠足のときに移動列車で別の街に行ったことが数度あるだけだ。
森には政府の役人しか入ってはいけないことになっている。
森の先には「世界の果て」があるが、森は永遠に続くので辿り着けない。だから、君たちも無駄なことはやめなさい。学校ではそう教えられた。
森は危険だという。政府の役人も、入ることを許されているだけで、実際に入ることはないらしい。
森に入って帰ってきた人はいない。少なくとも、私は会ったことがない。森の様子は知らないし、どのように危険なのかも知らない。教わっていないからだ。
そんな森に行くことに、しかし不安はなかった。
世界は終わるのだ。森が本当に危険だとしても、私の世界がいつ終わるかの違いでしかない。どのみち、森を通らないと「世界の果て」には辿り着けないのだ。
そんなことを考えているうちに、木々がぱらぱらと増えてきて、目の前に立ち入り禁止の看板が現れた。
森だ。
私はイルカを目の前に掲げる。
「森に入るからね」
「うん」
イルカは小さく頷いた。
看板の横にある隙間を抜けて、私たちは森に入る。
街灯が遠くなるにつれ、視界が闇に浸食され始めたので、私は鞄からカンテラを出して点けた。
頼りない光が周囲をぼんやりと照らす。
森はどこまでも広がり、真に「永遠に続いている」かのようだった。
足下の木の根や石に気をつけながら、足を進める。
夜が続く。
歩いて歩いて、私は立ち止まった。
「ちょっと休憩」
足がだるくなってきていた。
カンテラを横に置き、木にもたれかかって座って鞄から水と乾パンを出してかじる。
イルカにもすすめたが、いらないと断られた。それはそうか、ぬいぐるみは物を食べない。
ぼんやりと闇を見つめていたら、向こうの方にぼんやりとした光を見つけた。
「何だろう」
私は荷物をしまい、カンテラを持って立ち上がる。
歩いて近付いてみると、光の元は発光する白い水晶だった。
光る水晶は他にもあって、ぽつぽつと森の奥に続いている。
「何だと思う?」
イルカに問いかける。
「『世界の果て』への道しるべだよ」
「へえ……これを辿っていけば『世界の果て』まで行けるのかな」
「うん」
「じゃあ、そうしよう」
イルカとカンテラを持ったまま、私は水晶を辿った。
夜は明けない。森の木々に遮られて、空も見えない。
水晶の明かりたちは柔らかく、先に続いている。
イルカは何も喋らない。私の方は、脳内で記憶の嵐が吹き荒れそうになるのを必死でこらえていた。
そうしているうちに、森の木々が開けた。
水晶は点々と続き、あるところでふつっと途切れ、その先には暗い闇が広がっていた。
私は少なくなる水晶を辿って、闇のほとりまで来た。
カンテラを掲げる。不思議なことに、カンテラを近づけても闇は照らされることなく広がっていた。
◆
「『世界の果て』だよ」
そうなのか。
意外と近かった。
「望む者にとっては近いものだからさ」
来た道を振り返ると、空が白み始めていた。
闇は闇のまま、照らされずそこにある。
やはり、「世界の果て」なのだ。
闇を見ていると、記憶に追いつかれそうになる。
私は鞄とカンテラとイルカを地面に置いた。
「どこへ行くの」
下からイルカが声をかける。
「『果て』に」
「僕も一緒に連れてって」
「なんで?」
「ここまで一緒に来たんだから、その先も見てみたいよ」
「……」
私はイルカを抱え上げる。
そして、「果て」に踏み出した。
記憶は私に追いつけず、遠く消えていった。
◆
広がる闇のほとりには一個の鞄とカンテラがぽつんと置かれており、灯りの点いたままのカンテラは朝焼けの森に向かって光を投げかけ続けていた。
(おわり)
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