短編小説

 一夏に一度、両親はどこかに出かけていく。
 その日は早めに寝かしつけられて、俺が寝たのを確かめると両親は家を出る。
 行き先は知らない。一度訊いたことがあるが、パーティに行くのよとだけ言われてそれ以上のことは教えてくれなかった。
 一緒に行きたいと頼んでみても、子供は連れて行けないのと返される。その顔が本当に申し訳なさそうだったので、俺はそのうち頼むのをやめた。
 俺が小学校に入り、卒業し、中学生を通り過ぎて高校生になってもその習慣は続いていた。
「――くん、今晩はお母さんたち出かけるからね」
「ああ、いつもの?」
「そう」
「気をつけてな。でも俺今日部活で遅くなるから、母さんたちが出かけるのに間に合わないかもしれない」
「あら……いい子にしてるのよ」
「うん。じゃ」
 学校指定鞄を担いで、家を出る。
 横断歩道を駅に向かって渡る。
 毎朝迎えに来てくれる幼なじみ、とかはいない。俺の登校は基本いつも一人だ。
 イヤホンで音楽を聴きながら、空を見上げる。
 今日は快晴だ。朝のニュースで第104A号宇宙船が今日地球を起つなんて言っていたが、絶好の出発日和。クラスメイトたちもきっとその話題で持ちきりだろう。
 電車に乗る。中吊り広告に、火星特集や宇宙機構の内幕を見るなんてことが書いてある。
 最近のこの国は、皆こぞって宇宙を夢見ている。どこに出ても惑星探査の話ばかり、食事は宇宙食が流行し、ファッションまで宇宙モチーフのものが売れているという。
 そんな中、宇宙にそこまで興味のない俺は若干クラスで浮いていた。惑星探査や宇宙についてのバラエティ、宇宙飛行士の人生を描いたドラマを皆は好んで見ていたが、俺の家では両親の好みで宇宙探査時代が来る前の古い映画を見せられることが多かった。西部劇や怪獣映画、ロマンスまでジャンルは幅広かったが、宇宙の映画を見せられたことはない。
 俺の両親は共働きで、二人とも同じ会社の社員をやっていたが、二人とも宇宙に興味がないようだった。そんな家庭で育った俺も、宇宙にあまり興味がなく成長した。
 全く興味がないというわけではない。星空を見上げるとわくわくするし、帰り道に星を探したりもする。ただ、ことさら宇宙について自発的に調べたり、宇宙飛行士の名前や宇宙船の出発予定を全て覚えているほど興味はないというだけだ。
 ただ、クラスメイトたちはそれらを全て覚えていて、一昔前の「芸能人」を扱う時のようにそういう話題で盛り上がる。ついて行けない俺は必然的に孤立する。それだけだ。
 このままでいいのかと思うこともしばしばあったが、変わる努力をするのも面倒くさく。
「……だって!」
「知的生命体が?」
「そう、――星雲の第――惑星に……今回の船はそれを探査しに行くって……」
 クラスメイトの間をすり抜けて自分の机までたどり着き、荷物を置いて教科書を机の中に入れ、コンビニで買ったほうじ茶ラテ片手に持ってきた本を広げる。
『――その日、私と先輩は花火大会に行く約束をした』
 宇宙探査時代より前に書かれた恋愛小説だ。今と文体はあまり変わらない。
『綺麗だね、と先輩が言う。夜空に大輪の花が咲いて、先輩と私の頬を照らした』
 俺は窓の外を見上げる。青空が広がっている。
 花火大会。
 いつの間にか、この国からなくなってしまったそれ。
 映画で見たので、どんなものかは知っている。
『このまま何も言わずにいたら、私のこの心も花火のように消えてくれるだろうか。大輪の花は咲かせず、庭の片隅で見る線香花火のように』
 線香花火のことも、知っている。映画や小説では儚く美しいものの象徴として扱われ、カップルが二人で過ごすときに神社の境内とかでそれをしたりするのだ。
 画面の中で見るそれは、夜空の星のように遠く感じた。あんな小さいものを愛でて、退屈しないのだろうか。線香花火を愛でた昔の人々の心が、いまひとつ俺にはわからない。
 チャイムが鳴って、俺は本を閉じた。
 朝礼が始まる。今日出発する宇宙船の話と、君たちもよく勉強して宇宙開発の役に立てるよう頑張りましょうという担任の言葉を聞き流して教科書を机の上に出した。

 家に帰るとやはり両親はいなかった。
 テーブルの上には夕食と、何やら細い糸のようなものがたくさん入った袋が置いてあった。
『――へ。これは線香花火です。遊び方はひらひらを持って太い方に火をつけるだけ。バケツに水をくんで、終わったら中に入れてください。たのしいよ。朝には帰ります』
「は」
 なぜ。タイムリーではあるが。
 両親はたまに意図不明の行動をする。それはいつも俺がその日考えていたことに関連していたり、興味のあることだったりして、結局楽しめることが多かった。
 今日も、線香花火をすれば小説や映画がもっと楽しめるようになるかもしれないし、楽しめるかどうかはわからないが、やってみようかなと思った。

 夕飯を食べて、皿を洗って、線香花火と横に置いてあった着火装置を持って庭に出る。
 空には星々と、半月が輝いている。
 バケツに水をくみ、庭の真ん中まで行って、線香花火の袋を開けてみる。
 線香花火は本や映画でのイメージ通り、頼りない外見をしていた。紙でできた、手でちぎれそうな糸だ。色は端から端までグラデーションになっていて、赤から紺に変わっていた。
 メモにあった通り、ひらひらを持って太い方に火を点ける。
 着火装置を離すと、花火にはか弱い玉のような火が灯った。
 じっと見ていると、火はバチバチと火花を発し始めた。
 火はしばらく火花を発しながら燃え続け、小さくなって、地面に落ちて消えた。
「なるほど」
 俺は一人頷く。線香花火とはこのようなものなのか。
 袋からもう一本取って、火を点ける。
 オレンジに燃える花火。見つめていると、なんだか色々なことが思い出された。
 ほうじ茶ラテがおいしかったこと、本を読んだこと、歴史の授業で北海道の開墾のことを習って、初めて北海道に行った人は果ての惑星に流されるような気分だったのだろうかなどと考えたこと、部活でグラウンドを走りながら木に鳥がとまっているのを見つけて宇宙開発時代より前の教育番組の内容を思い出していたこと。
 一本が終わって、また一本火を点ける。
 思い出に浸って火が落ちて、火を点けてまた思い出に浸って火が落ちる。
 そんなことを繰り返しているうちに、線香花火は最後の一本になっていた。
 どことなく、名残惜しいという気持ちがわいてくる。この一本を残しておきたいような。
 でもバチバチ跳ねる火花がやっぱり見たくて、俺は火を点けた。
 最後の一本は、あっという間に終わったようにも、とても長く点いていたようにも思えた。
 火が落ちる。俺は空を見上げると、花火をバケツに入れた。
 月が煌々と輝いている。花火は終わった。秋の虫が鳴いている。風が出てきた。星空に、胸がじいんとするような心地。
「……なるほど」
 昔の人は、こういうことを感じていたのか。
 俺はバケツを庭の隅に寄せて、家に入って、明日の準備をして床についた。

 朝起きると、両親が帰ってきていた。
「線香花火、楽しかった?」
 と訊かれたので、
「楽しかったよ」
 と答えた。
 それから両親はイレギュラー的に夜しばしば出かけるようになったが、線香花火を置いていくことはもうなかった。



 114C宇宙船が出発した日の朝、『必ずまた会えます、ごめんね』という書き置きを残して両親はいなくなった。
 その日のうちに、両親の友人だという男がやってきて、俺を引き取った。
 それから今の今、20歳で宇宙探査士になるまで、俺が両親と再会することはなかった。

 宇宙探査に出かける一週間前に、俺を引き取った男がどこからか線香花火を持ってきて、一緒に花火をした。
「よかったのか」
「何が?」
「この進路で」
「ああ」
「君の両親は……」
「いいんだ。いつか俺を置いてどこかに行くような、そんな気はしてたし」
「……1098星には知的生命体がいる。何が起こっても驚かないことだな」
「? ああ」
 今更そんなことを念押ししてくる男の意図がわからなかったが、この男の意図がわからないのは今に始まったことではなかったので、特に気にも留めずに花火に火を点ける。
 秋の虫が鳴く。夏は終わった。
 宇宙開発時代の人類の夏も終わるのか、それともまだ来てすらいないのか、それは俺にはわからない。
 空の星々が、俺を見ていた。


(おわり)
164/190ページ
    スキ