短編小説
靴を履いて、家を出ます。
勤務場所である工場までは徒歩5分。帰るのは22時。家事もそこそこに寝ます。その前に、一言だけつぶやきます。
「過激なんだ」
毎日毎日つぶやき続けます。
起きたらすぐに支度して家を出ます。
私は日々の仕事に慣れています。わからないことや不安なことがありません。楽しくもうれしくもありません。地道な作業です。思考はそぎ落とされて、過激という言葉だけが私の中に残ります。
それは、木から彫刻を削り出す作業と似ていました。
朝夕、工場へ続く道を行き来します。景色は灰色、日々も灰色、過激という一言のみが浮かびます。
代わり映えのない日々でした。
ある日、妙なことがありました。工場の仲間が数人欠けていたのです。工場長が、どうしたのかと尋ねましたが答える者はいません。私たちはそのままいつもの通りに働きました。
昼休み、休憩室でおにぎりを食べていると、ドンドンという音がして辺りがにわかに騒がしくなりました。
私がおにぎりを一口かじったとき、ドアが乱暴に開けられて、銃を持った男たちが駆け込んできました。私たちはいっせいにその方向を見ました。
男たちのうちの一人が手りゅう弾を構えます。誰かが、ひいっという声を上げました。
「怖がらなくてもいい。俺たちは、お前たちを解放しに来た」
迷彩服を着た男たちの中でも、ひときわ目立つ腕章を付けた男がメガホンを口に当て、私たちの方を見ます。
「働いても働いても楽にならない暮らし、労働に見合わぬ給料。灰色の日々。おかしいと思わないか。俺たちはそんな日々からの解放を目指して立ち上がった」
よく見ると、男たちは数日前まで一緒に働いていた同僚の中にいたような気もします。名前は思い出せませんが。
メガホン男は何かよくわからない演説をぶって、最後にこう言いました。
「俺たちと共に行こう。こんな日々はもうおしまいだ」
そして、人々の反応を見ます。私と同僚たちは無言で男たちを見ていました。誰も何も言いません。
「どうした、後が怖いのか? 心配はいらない。ここを出たら、俺たちと同じように立ち上がった仲間が待っていて、お前たちを俺たちの村まで案内する。自足自給だから、食べ物の心配もない。住むところも用意してある。怖がることはないぞ」
手りゅう弾男がうなずきます。
「素晴らしいところだ」
私たちは何も言いません。メガホン男がしびれを切らしたように私たちの方へ歩いてきました。
「俺たちの仲間に入らないとお前たちはこのままだぞ。未来はない。わかってるだろう。お前はどう思うんだ」
そう言って、メガホン男は私を指さしました。
「どうと言われましても」
私は答えます。同僚たちがうんうんとうなずきます。
「何も言うことはありませんよ」
そう言うと、同僚たちも次々と私に続きました。
「そうですよ。私たちは今の暮らしが気に入っているんです。何も変わることなんてありません。変わりたい人は勝手にやってくださいよ」
「まったくですよ」
「はっきり言って、迷惑ですよ」
「私たちを巻き込まないでくださいよ」
それは妙な心地よさでした。みんなでよってたかって男たちの思想を突っぱねることは、何かとてもすっきりすることでした。
のっぺりした灰色の日々が私たちの味方をし、大きく口を開けて男たちに襲い掛かっているような感じでした。
メガホン男は私たちが口々に言うのをぼうっと聞いていました。手りゅう弾男は手を震わせ、今にも怒りだしそうな様子でした。手りゅう弾男が口を開きかけたとき、メガホン男がそれを押しとどめました。
「わかった」
メガホン男は続けました。
「お前たちがそれでいいなら、もう何も言うことはない」
そして、男たちを集めると、部屋から出ていきました。
部屋には静寂が戻ってきました。
私たちは、またいつものように昼食を食べ始めました。私も、中断していたおにぎりを食べる作業に取り掛かりました。
帰り道、私は久々に空を見上げました。大気は冷たく澄み、星が広がっていました。
思考がクリアになります。
今日はいつもと違うことがあった、と私は思いました。
でも、いつもと変わらない、とも思いました。
思考に灰色がぼんやりと戻ってきて、私は家に帰ります。
「過激なんだ」
そうつぶやいて、今日はもう終わりです。でも、少しだけ、なんだかさみしいような気もしました。
既に意識は灰色です。
真冬の夜のことでした。
(おわり)
勤務場所である工場までは徒歩5分。帰るのは22時。家事もそこそこに寝ます。その前に、一言だけつぶやきます。
「過激なんだ」
毎日毎日つぶやき続けます。
起きたらすぐに支度して家を出ます。
私は日々の仕事に慣れています。わからないことや不安なことがありません。楽しくもうれしくもありません。地道な作業です。思考はそぎ落とされて、過激という言葉だけが私の中に残ります。
それは、木から彫刻を削り出す作業と似ていました。
朝夕、工場へ続く道を行き来します。景色は灰色、日々も灰色、過激という一言のみが浮かびます。
代わり映えのない日々でした。
ある日、妙なことがありました。工場の仲間が数人欠けていたのです。工場長が、どうしたのかと尋ねましたが答える者はいません。私たちはそのままいつもの通りに働きました。
昼休み、休憩室でおにぎりを食べていると、ドンドンという音がして辺りがにわかに騒がしくなりました。
私がおにぎりを一口かじったとき、ドアが乱暴に開けられて、銃を持った男たちが駆け込んできました。私たちはいっせいにその方向を見ました。
男たちのうちの一人が手りゅう弾を構えます。誰かが、ひいっという声を上げました。
「怖がらなくてもいい。俺たちは、お前たちを解放しに来た」
迷彩服を着た男たちの中でも、ひときわ目立つ腕章を付けた男がメガホンを口に当て、私たちの方を見ます。
「働いても働いても楽にならない暮らし、労働に見合わぬ給料。灰色の日々。おかしいと思わないか。俺たちはそんな日々からの解放を目指して立ち上がった」
よく見ると、男たちは数日前まで一緒に働いていた同僚の中にいたような気もします。名前は思い出せませんが。
メガホン男は何かよくわからない演説をぶって、最後にこう言いました。
「俺たちと共に行こう。こんな日々はもうおしまいだ」
そして、人々の反応を見ます。私と同僚たちは無言で男たちを見ていました。誰も何も言いません。
「どうした、後が怖いのか? 心配はいらない。ここを出たら、俺たちと同じように立ち上がった仲間が待っていて、お前たちを俺たちの村まで案内する。自足自給だから、食べ物の心配もない。住むところも用意してある。怖がることはないぞ」
手りゅう弾男がうなずきます。
「素晴らしいところだ」
私たちは何も言いません。メガホン男がしびれを切らしたように私たちの方へ歩いてきました。
「俺たちの仲間に入らないとお前たちはこのままだぞ。未来はない。わかってるだろう。お前はどう思うんだ」
そう言って、メガホン男は私を指さしました。
「どうと言われましても」
私は答えます。同僚たちがうんうんとうなずきます。
「何も言うことはありませんよ」
そう言うと、同僚たちも次々と私に続きました。
「そうですよ。私たちは今の暮らしが気に入っているんです。何も変わることなんてありません。変わりたい人は勝手にやってくださいよ」
「まったくですよ」
「はっきり言って、迷惑ですよ」
「私たちを巻き込まないでくださいよ」
それは妙な心地よさでした。みんなでよってたかって男たちの思想を突っぱねることは、何かとてもすっきりすることでした。
のっぺりした灰色の日々が私たちの味方をし、大きく口を開けて男たちに襲い掛かっているような感じでした。
メガホン男は私たちが口々に言うのをぼうっと聞いていました。手りゅう弾男は手を震わせ、今にも怒りだしそうな様子でした。手りゅう弾男が口を開きかけたとき、メガホン男がそれを押しとどめました。
「わかった」
メガホン男は続けました。
「お前たちがそれでいいなら、もう何も言うことはない」
そして、男たちを集めると、部屋から出ていきました。
部屋には静寂が戻ってきました。
私たちは、またいつものように昼食を食べ始めました。私も、中断していたおにぎりを食べる作業に取り掛かりました。
帰り道、私は久々に空を見上げました。大気は冷たく澄み、星が広がっていました。
思考がクリアになります。
今日はいつもと違うことがあった、と私は思いました。
でも、いつもと変わらない、とも思いました。
思考に灰色がぼんやりと戻ってきて、私は家に帰ります。
「過激なんだ」
そうつぶやいて、今日はもう終わりです。でも、少しだけ、なんだかさみしいような気もしました。
既に意識は灰色です。
真冬の夜のことでした。
(おわり)
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